菜の花

死にたいを綴ることがあります。不快にさせたらごめんなさい。

菜の花

死にたいを綴ることがあります。不快にさせたらごめんなさい。

最近の記事

穴は塞げない

ドロドロとぐるぐると、黒い感情は私の中でどんどん広がっていく。 誰も悪くない。 強いて言えば私が悪い。 私が全部悪い。 全てを自分のせいにして自分を責めてしまうのは、この世で1番楽な逃げ方だ。 私が悪い。 そのたった一言で自分以外の全てを許してしまえる。 誰かの言葉も、誰かの行動も。 だって私が悪いから。 私がいなければ全てうまくいっていたのだから。 私さえいなければ。

    • 崩れるのは一瞬。立て直すのは長期勝負。

      一瞬だった。 私が積み上げてきた努力が崩れていくのも、会社への信用も、仕事仲間への信頼も。 たった数ヶ月程の出来事で4年間の全てが崩れた。全てが信じられなくなった。 私が正社員として初めて入社したのは、4年間アルバイトとして働いていた慣れ親しんだ会社だった。 そこでの仕事は私にとって苦痛ではなかったし、仲間との関係も良好だった。 上からの圧力は多少あったけど耐えられる程度のものだったし、 「4年もいれば任されることもあるだろうな」 みたいな仕事ばかりだった。 正社員と

      • 同棲してそろそろ半年です

        時の流れは早いもので、「1ヶ月だけ」と始めた同棲ですが、気づけばそろそろ半年らしいです。 そらいつの間にか20代も3年過ぎちゃうわなぁ。 彼と付き合ってすぐ、「記念日はお祝いしたい?」と聞かれた。 毎月盛大にお祝いするのはお金がいくらあっても足りないので、記念日付近にケーキを食べてお祝いするのはどう?と言う私に彼は賛成してくれて、そろそろ8回目のケーキがやってきます。早いな。 「蝋燭さしたい!」「風船も!」と毎月記念日に彩りをつけたがる私に「いいよ」と一緒に蝋燭の色を選

        • 休職して半年が経った

          うつ病。と診断されて半年。 びっくりするほど時の流れは早すぎて、同期はもう昇格してたりする。びびる。 最近、「そういえばあの時もうつ病に近かったな」みたいな出来事が思い出せるようになった。 大学の時盛大に振られて食事が食べられなくて単位めっちゃ落とした時とか、卒論を書くのに布団から出られなかったときとか。 思えば父親に暴言を吐かれていた幼少期から私はご飯が食べれたり食べれなかったり、夜眠れたり眠れなかったり、憂鬱な気分になったりならなかったりしていた気がする。 まあそんな

        穴は塞げない

          生きてるんじゃなくて、死んでないだけ

          死ぬ勇気がない。 かといってこのまま生き続けられる自信もない。 ちゃんと働いて、お金を稼いで、家賃を払って、光熱費を払って。 そんな当たり前のことをできる自信がない。 働き続けられない気しかしてない。 時々何もできなくなる瞬間がある。 何もしたくないんじゃない。できない。 食事も、お風呂も、何もしないでぼーっと横になってるだけ。 そんな日が不定期に来る私に会社勤めなんかできるんだろうか。できるはずがない。 そんな確信と共に私はもうすぐ学生を終える。 就職先は慣

          生きてるんじゃなくて、死んでないだけ

          息を止めた

          時々死にたくてたまらない瞬間がある。 朝起きた瞬間。お風呂に入っている瞬間。大学に行く途中の電車。バイトに行く直前。バイトでちょっとしたミスをした時。レポートがうまく書けなかった時。夜眠りにつく前。人が死んだニュースを見かけた時。 誰かに生を強要された時。 死にたい。と言うと「なんで?」と、聞かれる。 私からすればその質問に対して「なんで?」と問いたい。 生きたい理由は聞かないくせに、死にたい理由はとことん聞きたがるのは、人を殺す理由は聞くけど人を殺さない理由は聞かな

          息を止めた

          欠陥商品

          「お前はお姉ちゃんみたいになるなよ」 私の頭にふとよぎるその台詞は、まるで解けない呪いのようだった。 父は「お前のことは2回しか叩いてないだろ」と私に言ったことがある。 だから父は悪くないのだと。 正直なところ2回ではなかったと思う。 2回だろうが2千回だろうが叩いたことに変わりはないじゃないか。なんてことは言わなかった。言えなかった。 直接叩いたのは2回だったかもしれない。 髪を引っ張られたのは2回じゃない。 物を投げられたのは2回じゃない。 物を蹴られたのも

          欠陥商品

          就活も苦労しなかった

          突然だが、私は苦労をしたことがない。 本気で何かを頑張ることとは程遠い人生だったし、きっとこれからもそう。 適当に生きて、市内で1番頭の悪い公立高校に通って、欠点を取ってみたり、くだらない理由を添えた遅刻届けを大量に書いてみたりしながらFラン大学を第一志望にした。 そんなFラン大学の中でも最下位争いをしながら就職目前のところまでやってきた。やってきてしまった。 自分に合わないアルバイトはことごとく辞め、自分に合うアルバイト先に入社できたものの、最初は週20時間の勤務だ

          就活も苦労しなかった

          当たり前が当たり前にできない

          小学生のとき、小学校が家の目の前にあるのにも関わらずいつも遅刻ギリギリだった。 中学生になってからは不登校気味だった。 高校は遅刻常習犯だった。 多分学年でもトップレベルの遅刻回数だったと思う。ほんとに。 大学では遅刻に加え、同じ科目の単位を2回も落とした。2回も。 普通はこんなことないんだろうなぁと思う。 最近は卒論が終わらない。 いや、終わらないんじゃない。そもそも進めようとしてない。 担当の先生に「みんなこの辺までは終わってるから頑張ってね」と急かされたがそれ

          当たり前が当たり前にできない

          私はすぐに泣いてしまう

          私はすぐに泣いてしまう。 小中学生の頃、よく父親に怒鳴られて泣いていた。 泣きすぎて過呼吸を起こした日には、 「わざとらしいからやめて」 とまた怒鳴られた。 その日から「泣かないように」手首をきゅーっとつねって痛さで紛らわしたり、何も考えずに父親の怒鳴り声を聞くようにした。 そのおかげで薬局のバイトで先輩にめちゃくちゃ理不尽に怒鳴られて続けても人前では泣かなかった。 ところがどっこい、ここ最近はどうしても泣くことを我慢することができなくなった。 感動ものの映画やド

          私はすぐに泣いてしまう

          影響を受けた。

          私が「コロナの影響を受けた」と初めて感じたのは3月2日だった。 アルバイト先が休館になった。 マスクを禁止していたバイト先がマスクを許可したり、「コロナで出勤したくない人は出勤しなくていい」と電話をくれたりなんかはあったが、私個人が「影響を受けた」と感じることはあまりなかった。 そのとき私は東京で一人暮らしをしていた。 色々あって2月と3月は関西から東京に行って、東京でアルバイトをさせてもらえることになっていた。 短期でアパートを借りていたりなんかもした。 2月の時

          影響を受けた。

          高校にギリギリ入れた話

          私は中学で勉強を死ぬほどサボった。 そのせいで高校にはギリギリ滑り込んだ感じで市内で1番頭の悪い公立高校に入学した。 今偏差値を調べたら43だったけど当時はもっと悪かったと思う。 高校3年生の国語の模試が学年1位だったのだが、それでも全国偏差値は50ちょいだった。 流石底辺高校!と言うしかないくらい生徒は荒れていた。 入学時、先輩たちの髪色は人工的でピアスがばちばちにあいていて、男子の腰パンはふなっしーレベルに短足に見えたし、女子のスカートはめちゃくちゃ短かった。スカ

          高校にギリギリ入れた話

          不思議な友達

          私には、ちょっと不思議な友達がいる。 人間の好き嫌いがはっきりしていて、上部だけの関係がなくて、良い意味でも悪い意味でも「今」を見ていて「今」を生きている。 時々彼女の人生を見てるこっちが心配になる。そんな感じの子。 結論から言うと私はその子が大好きだ。 良い面も悪い面もあるし、時々「ん????」って思うところもあるけど結局大好きだ。超大好き。 出会いは中学の部活だった。クラスが一緒になることは一度もなかった。 人懐っこい子で、多分もうちょっとなんか上手くやれば誰と

          不思議な友達

          いじめられていたことを思い出した

          私は中学でいじめられていた。 中学の記憶はもうほとんどなくて、 「何て言われたかおぼえてないけどいじめられたっぽい」 みたいな、そんな曖昧な記憶だった。 私が当時めちゃくちゃ使ってた掲示板が閉鎖する。 ということで自分の黒歴史を振り返っていた。 その時その日記を見つけた。 日記にはいじめられて学校に行きたくない。みたいな内容と当時の醜い感情が丁寧に事細かく記されていて、 「あぁ、確かにこんなことあった」 と全てを思い出してしまった。 消し去ったはずなのに強制的に

          いじめられていたことを思い出した

          はたちの誕生日に死のうと決めていた

          突然だが私ははたちの誕生日に死ぬ予定だった。 結論から言うと死んでない。生きている。 初めて自分の死を望んだのは小学5年生の頃だった。 洗面台の前に立って、タオルで首をきゅっと締めてみた。 人間そう簡単に死ねないので、親に見つかってめちゃくちゃ怒られた。 中学生に入って、高いところから飛んでみたいという衝動に駆られることがあった。 ジェットコースターが苦手なので絶対楽しくないだろうと思った。 中学3年生のとき、転校生がやってきた。 隣の席の女の子。 「私、レッグカ

          はたちの誕生日に死のうと決めていた

          プリンセスになりたかった

          どんなにしんどい環境にいても可愛くて、優しくて、愛されて、強くて、素敵な王子様に選ばれて、結ばれてハッピーエンドで終わる。 そんなプリンセスに憧れていた。 こんな人は私だけではないはず。 小さい頃は自分は大きくなったらプリキュアかプリンセスになるのだと信じて疑わなかった。 気づけば彼女たちと同い年になり、そして彼女たちの年齢を超えていた。 彼女たちは永遠に10代を生きているのだ。 と思ってちょっと調べてみたらエルサは推定21歳らしい。同い年やん。 まぁでも来年になれ

          プリンセスになりたかった