教育の偉人について考える(5)ー斎藤喜博(1970)斎藤喜博全集10教師の自由と責任ーから
前回の記事の続きになります。
自分の研究にも影響を与えた斎藤喜博全集なので,長く語らせてください。
また,水越先生の本なども読んでいきますので,しばらくお付き合いいただければと思います。
本日も,「斎藤喜博(1970)斎藤喜博全集10教師の自由と責任.国土社,東京」から読み進めていきます。
違った反応に対して一斉授業であれば,対応することが難しかったと考えられます。しかし,今は1人1台の情報端末が整備され,学習の様子がクラウドで確認できる環境が整っています。だからこそ,それぞれが違う個性があって学習していても対応できるようになっていると私は考えます。
教科,また単元や内容によってもその時々に子供の反応は変わっていくと考えると,教師のみる力といったモニタリング力が非常に重要になるはずです。
授業を見る中で,一人の児童に個別指導・支援にいくことが多かった時に授業者に理由を聞きにいくことがあります。その時に授業者は,こういう単元でここが苦手な児童だから躓いていたと説明してくれます。
このことが教科や単元による子どもの変化だと考えていて,その変化をすぐに教師は察知しているということだと考えます。そうした能力を僕らも身につけていかなければなりません。
こういう話は,守破離の考え方にもつながると思います。
教育の世界でも研究の世界でも先人の積み重ねから成り立っていることを理解した上で,この先生のようになりたいと考えることやこの先生の後を追いたいと考えることが重要だと考えます。
有名な教育者であれば,自分はいろいろ学んでいるうちに斎藤先生まできました。研究面でも,いろんな論文を読んでいるうちに東洋先生まで辿り着くことがあります。(いつか書籍のレビューをしたいです)
今は有名な教育者と研究者で考えましたが,各分野でいろんな先生を持つことが重要だと私は考えます。その後を追ってまずは真似してみる,次に学んでいくということをたくさんすることが重要だと思いました。
一つか二つの分野だけでなく,多方面での先生を持つことが重要だと感じました。
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