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多様性について考える 異国の文化を学べるチャンス編

前回の投稿で考え始めた多様性。

障害をもつ子どもたちにも運動する機会があるべきという話をしたが,今回は外国人について考えていく。
基本学校と結び付けて考えているので世界をまたにかけたような壮大なものではないとだけ・・・

そもそも多様性とは


多様性とは,「互いに非常に異なる多くの人や物の集まり」と定義されている。
広い視点で見れば,自然界においても多くの生物が存在しているので,これも多様性といえる。

クラスにいる外国人の子


日本にも外国人の方が多く住むようになり,子どもは我々の子どもと同じように学校へ通う。
学校では学年に何人とかの割合で外国人の子がいるだろう。

その子に対してどのように接するのだろう。
前の投稿でも書いたが,日本の学校の中では,こういった多様性を受け入れるという価値観が育ちにくい。

みんな一緒。

出る杭は打たれる。

同調圧力。

そういった風習が日本にある以上学校の中でも外国人の子に対してそういった接し方をする子が多くなってしまうのが現実である。


外国人の子はクラスの中でも少し浮いた存在になることがあるのではないだろうか。
担任の先生も腫物に触れるかのように接することが多いのではないだろうか。

もちろんそうじゃない人もたくさん知っている。

異国の文化に触れるチャンス


では,なぜそういった差別的な扱いを受けてしまうのか。

1つめの理由は,外国人の子はしばしば日本語を理解していない場合があるということ。
うまくコミュニケーションがとれずに周りは離れていく。
本人はコミュニケーションがとりたくて気を引くためにいじわるをする。
など,コミュニケーション不足から起こる差別。

2つ目の理由は,そもそも育ってきた文化が違うということ。
その子は日本で育っているかもしれないけれど,その子を育てている親はその国の文化で育てている。
日本とは決定的に文化が違うので,常識だと思っていることも受け入れられない場合もある。

こういった理由で外国人の子は差別的な扱いを受けることが多少なりともある。

しかし,2つの理由とも言い換えれば異国の文化を学ぶチャンスである。

ブラジル人の子がいたら,その子からブラジルのことを学べばよいのである。
何かあるごとに「ブラジルではこういう時どうするの?」と聞くだけでブラジルの文化を学ぶことができる。
そして,発言をした子に対する接し方も変わってくるだろう。

少しの工夫で新しい価値観に触れることができ,新しい文化を学ぶこともできる。
失礼な言い方かもしれないが,こんなに良い教材はない!
外国人の子はまさに生きた教材なのである。

こういった子との付き合い方が多様性を受け入れることにつながっていくだろう。

まとめ


このように,日本ではまだ多様性が受け入れられない現状が多々ある。
LGBTQや民族,人種や障害を持つ人,女性など受け入れられていないマイノリティの方がたくさんいる。

これからの時代のために,小さいころから様々な価値観に触れることで,多様性を受け入れられる人材が育っていって欲しい。
自分も学校の外からこういった教育に貢献出来たら幸いである。

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