折り畳み傘を小さく綺麗に畳める人と結婚したい
5月14日(火)
折り畳み傘を小さく綺麗に畳める人と結婚したい。
重い荷物でもなんでも持ちますので
それだけはお願いしたい。
* * *
2024年5月の日記です。
5月1日(水)
電車で隣の席になった女性がかなり浅めに座っていたので、チラチラとスマホの画面が目に入って気になってしまったのですが。その女性は、もはやずーーーっと広告を見ていました。
はじめは何かのメモアプリみたいなので作業をしていたようだったが、無料アプリ使用中に出てくる広告(左上に10秒のタイマーが表示されて、10秒後に✗ボタンが出てくるアレ)に度々引っかかっていた。
作業が一段落したのか、気づいたらYouTubeを開いていたが、もちろん動画の最初には広告が出てくる。そして、3本ほどの広告を視聴した末に辿り着いた動画も、美容系インフルエンサーみたいな人が化粧品を紹介する、ほとんど広告みたいな動画だった。
これぞ資本主義社会に生きる若者の鑑。
現代社会は、無課金の消費者に無数の広告を浴びせてくるのだ。
5月2日(木)
理不尽なことで怒られても、自分は悪くないと思えるほどの行動をちゃんとしておけば、そんなに腹を立てずに済むっぽい。最近気付いた。
武蔵野館で『パターソン』を観る。
乗客の会話を聞きながらバスを運転し、笑顔を浮かべるパターソン。運転席の窓いっぱいに広がる、なんでもない風景が素晴らしい。
一週間のなかで、毎日繰り返される習慣と、偶然出会う異物。それらが合わさって、生活なのだ。
生活のなかで、言葉は強くなる。
パターソンのランチボックスはかわいかった。欲しい。
5月3日(金)
昼前、隣のマンションから
「行くな!行くな!行くなよ!タバコ一本も許さぬぞ!」
という女の子の声が聞こえる。
どうやら一人で出かける父親を引き止めているらしい。父親はタジタジだが、どこかうれしそう。良いGWだ。
もともとは彼女と会う予定だったけども、風邪を引いたそうなのでキャンセルに。急に予定がなくなった。
そういえば、付き合いたての頃に、彼女の方から「来週は会える?」と、来週も会うことが当然のように聞かれたのが、とてもうれしかった。
5月4日(土)
土曜の夜のショッピングモールのフードコートは家族連ればかりで、生ぬるい。
5月5日(日)
東武動物公園の近くにある進修館へ行く。かわいい建物で、人も少なくて、時間の流れがゆっくりだった。コミュニティセンターって良いな。
家に帰って、しばらくベッドで横になる。
最近は、夕方に窓を開けて入ってくる風がとても気持ち良い。
ずっとこの季節が続けばいいのに。
夜は『二重のまち/交代地のうたを編む』を観る。
被災者から聞いた話を語る4人。他者の語りなのに、それを語り直すとき、彼ら彼女らは本当に苦しそうに言葉を紡いでいく。そのとき、人は語りの器になっていた。
ワークショップを終えた後、4人がこれからのことを話す場面が素晴らしかった。2週間を振り返り、あの土地の人の話を語り継いでいくことについて。
「自信持って喋れますか?」
「喋っちゃだめななんだろうか?」
津波に襲われた人が、”あの日”なにを感じたか。その話を聞いたとき、自分は何を感じたか。自分に話を聞かせてくれた人は、どんな人なのか。
それらを何ひとつも零すことなく、そのまま他の誰かに伝えること。それは絶対的に不可能であり、そうしたいという願望だけが、ただ私たちの身体の中をぐるぐると回る。
4人は、なおも考え、うなだれ、そして絶望する。
その姿勢はとても誠実だった。その姿勢だけで、もうきっと十分で。
だけど、一人ひとりの中に立ち込める霧は、決して晴れることはない。この自然の中に生きるということは、そういうことなのかもしれない。
震災のときは、皆若かった。この4人も、陸前高田の人も、この映画を観るわたしたちも。皆等しく、今より若かった。
5月6日(月)
東京都現代美術館で開催中の『翻訳できない わたしの言葉』展に行く。
コミュニケーションにおける「待つ」という行動の重要性を感じた。
展示の最後、ラウンジの壁面に、鑑賞者が展示の感想や「わたしの言葉」についての思い出や考えを書いて吊るすガーランドがあって、これがとても良かった。顔も知らない誰かの、ごく個人的な体験やモヤモヤを聞いたり見たりするときの、どうしようもない感覚。理想と現実の間で考えることを止めず、この場所に残された名もなき声に、胸が掻きむしられる。宝箱に仕舞っておきたいと思う。けれど、1週間後には忘れてしまいそうな言葉たち。
5月7日(火)
GW明け。結構忙しい。
会議中に直接飲み会に誘われてしまい、断れなかった。2週間後。憂鬱だ。どうしてみんなそんなに会社の人と飲みたがるんだろう。
5月8日(水)
ポレポレ東中野に『ラジオ下神白』を観に行く。本当に素晴らしい作品だった。
音楽を聴く。一緒に歌う。その曲の思い出が語られる。情景が浮かぶような、浮かばないような。それはごく個人的な出来事で、事実かどうかも定かではない、その人の記憶でしかない。けれど、どうしようもなく胸がしめつけられるようなものがある。
共通しているのは、みんなすごく良い表情で話していること。お年寄りたちのそんな表情を見ると、涙が出てきてしまった。
「真面目にカラオケする」という言葉が良かったな。辛いこととか悲しいことも歌に乗せて、今日も生きる。
祖父が好きな歌も、祖母との思い出の歌も知らないまま。どんな出会いがあって、どんな別れがあったのかも知らないまま。何も知らないままお別れしてしまったなあ。
5月9日(木)
気温が急にぐっと下がった。
けれども、厚手の洗濯物を出したくないので、なんとか薄着で耐える。
夜ご飯は、近所のイオンモールで買った半額寿司とマックのポテトという嘘のような食べ合わせ。独身男性はこんなこともできちゃうんだぜ★
最近日記に書くようなことが浮かんでこなくて悲しい。無理やり捻り出すものでもないけど。
5月11日(土)
電車で向かいの席に、スカートタイプのリクルートスーツに、ニューバランスのグレーのスニーカー(タンのロゴだけグリーン)を履いた就活生が座っていた。びっしりと何かが書かれた紙を持っている。面接の受け答えを確認しているのだろう。少し表情が硬い。頑張ってほしい。
新文芸坐で『PASSION』を観る。
「本当に女を好きになったら、金がいるんだよ」
帰りの電車では、隣に座った70歳くらい? のおばあさんがポケモン GOをしていた。画面をゴシゴシ激しく擦って、モンスターボールを投げつけている。で、投げるたびに深いため息をつく。一体何を捕まえたんだ。
5月12日(日)
新文芸坐で『親密さ』を観る。観るのは2回目だけど、本当に大好きな作品。奇跡のようなシーンが2つある。
4時間半のあいだ、深いところまで潜って、溺れる。今すごいものを観ている。何か大事なものを掴めそうで掴めない。そして映画は終わってしまう。
実体の伴ったものは何も持ち帰れないまま、わたしたちは帰路につく。
家に帰って、今日観たものを言葉にしようと必死に思い返す。ただ、やはり何もない。まだ誰からもラベル付けされてないような感情が浮かぶ。 言葉にできない青いなにかが、胸の中でうごめく。
またいつかあそこに潜りにいかなければならない。
わたしたちはどこまでも他者であって、言葉は想像力を運ぶ乗り物でしかない。完全にわかることなど不可能だ。 唯一できることは、働きかけをやめないこと。それだけ。
いつからだろう。いつからわたしはあなたと、他者同士になるんだろう。
5月15日(水)
上司にハシゴを外された気分。なんというかもう、がっかりした。今後はこの会社に何も期待しないことにする。
怒りすぎて無理。完全にやる気を失った。
5月17日(金)
昨夜はもう全く気力がなくて、夕飯は即席ラーメンと、そのスープに米1合ぶち込んで食べた。
今朝は胃がもたれてもたれて、気持ち悪い。
最近は、前日食べたものが、体調に影響するようになってきた。これが加齢・・・・・・。
ついにわたしも野菜を好んで食べるようになるのだろうか。
電車の少し離れた席で、バキバキバキバキ! と大きな音が鳴った。何が起きたのかと、そっちの方向を見たら、おじいさんがいろはすのペットボトルを潰す音だった。なんかそういう妖怪みたいだった。
5月18日(土)
昼過ぎに洗濯機を回して、15時ごろに近所のうどん屋で遅めの昼食。小海老の天ぷらが美味しい。
何も予定がないので、昔住んでいた祐天寺に行くことに。
久しぶりに東横線に乗って、ひとつ隣の学芸大学で降りる。降りた瞬間懐かしすぎて、膝が震えた。商店街に背の低いお店がぎっしりと並ぶ。看板が雑多で賑やかな雰囲気。なんだか泣きそうになってくる。隣に住んでいた2年間、この街の素晴らしさを見落としていたなんて。どれだけぼーっと過ごしていたのかと。昔よく行ってたからあげ屋を覗こうと思ったら、その向かいの電気屋が不意打ちしてきた。この看板、懐かしすぎる。
学芸大学の商店街を往復してから、祐天寺の方向へ歩く。
住んでいたアパートが近づくにつれて、あの頃の記憶が蘇ってきて、足取りが重くなる。社会人1年目、映像制作の会社に就職して、朝から朝まで働いて、疲れ果てていたこと。社会人2年目、転職してすぐにコロナ禍となり、日当たりの悪い6畳1Kの部屋で病みかけていたこと。当時の自分はわがままで、優しい上司にも迷惑をかけた。夜中にあてもなく歩き回っていたアパートの近くの道。なんだか後悔がほとんどだ。
祐天寺の商店街も散策して昔の思い出に浸るつもりだったけれど、いまの自分には少し刺激が強すぎたため、お寺のベンチで休憩。
気づかないうちに強くなっていたのかもしれない。自覚はなかったけど、あの頃と比べると、怖いくらい強くなった。
木の葉が穏やかな風に揺れる音だけがわたしを包む。まだぎりぎり初夏という感じ。
今度また彼女と一緒に来よう。通っていたお店を案内して、住んでたアパートの前でその頃のことを話す。きっと楽しいはずだ。
それから目黒まで散歩した。目黒新橋から見えた空がとてもきれいだった。
5月19日(日)
文学フリマへ行く。
しりひとみさんをはじめ、いろいろな出展者の方とお話できて楽しかった。4時間くらいいた。次回は自分も本を作って、出展してみたいなあ。
帰りに池袋のカツ丼屋へ。このお店ではいつも大盛りを頼んで後悔するので、最近は並盛を注文することにしていた。だけど今日は昼ご飯食べてないし、大盛りいけるのでは? と思い、大盛りを頼んだ。
結果、見事に途中で気持ち悪くなった。どんなに食前空腹でも、今後一切大盛りを頼むような愚かなことはしません。並盛りで十分です。
5月20日(月)
上司からすべてを否定されるようなことを言われて、完全にやる気を失う。
むしゃくしゃしたので、目的もなく自転車で夜道を爆走する。川沿いの風が気持ち良い。
交差点には、すべての信号が赤になる瞬間はあるけれど、すべての信号が青になる瞬間はない。
外の気温がちょうど良い。でももうすぐ猛暑の季節がやってくるんだろうなと思うと、この季節の夜風を存分に味わっておかなければ、という気持ちになる。
5月21日(火)
起床時に激しい動悸に襲われる。
感情を無にして仕事の時間を耐えて、19時前に退勤。
20時にはシャワーも済ませて寝る準備完了。
文学フリマで買ったしりひとみさんの『異常係長日記』を読む。ちょうど今の自分にもタイムリーな内容で、読んでいて心がスッと楽になった。職場の人間関係に悩んでるのは自分だけじゃないんだというのは、なぜか心強い。
土曜日から日記を書いてなかったので、ここ数日のことを思い出しながら遡って書く。振り返るのが嫌になるくらいには、最悪な気分の日が続いている。それでも日記を書くのだ。
5月23日(水)
今月は新作の映画を劇場に観に行けてない。行きたいのだけど、なんか今月はしんどそうな作品しかやってなくないか? 今の時分にはとても観れない、重めの内容のものばかり。
家の近所に新しくマックができるらしい。うれしいけど、行きすぎないように気をつけないと。
5月25日(土)
新宿武蔵野館で『ありふれた教室』を観る。
終始、緊張感というか、ストレスがすごかった。この現代の社会で、どうしようもない。カーラはどうすれば良かったのだろうか・・・・・・。やはりどうしようもない。
ラストが良かった。
14時過ぎに友だちと合流して、池袋のスパへ。
一度風呂に入って休憩した後、食事処で夕飯を食べていると、話題はマッチングアプリの話になった。友人は複数アプリに課金して頑張ってるそうだが、なかなかうまくいかず相席屋に行ったりしてるそう。街コンにも興味があるらしい。
しばらくすると、隣の席の女性二人組もマッチングアプリの話を始めた。おもしろすぎて聞き入ってしまった。その日限りの関係とかも普通にあるらしい・・・・・・。そして、話題は見事に相席屋、そして街コンに広がっていく。
こっちのテーブルでも! その話をしてます!
きっとこういうすれ違いは、今あらゆる場所で起こっているのだろう。
男性も女性も同じことで悩んでいるのだけれど、正式な出会いの場以外での出会いにはとても慎重になっている。アプリ上で相手の趣味や年収などのスペックを知って、他の登録者と比較するというステップを踏まないと、関係を前進できないようだ。
あまりにも滑稽である。
5月26日(日)
彼女とデート。
わたしは彼女といてとても楽しいのだが、彼女はわたしといて楽しいんだろうか? と最近よく思う。自分の中に語るべきことがなさすぎて、彼女を楽しませられていない気がする。
5月28日(火)
交流戦でネット配信がないため。久しぶりに地上波で野球中継を観た。王貞治デーということで、張本勲さんがゲストで登場したのだが、少し見ない間にひどく痩せて弱っているようだった。サンデーモーニングで元気に「喝だ!」と言っていた面影はもうない。なんだか寂しい気持ちになった。
野球中継が終わると「ザ!世界仰天ニュース」が始まった。この番組まだやってたのか。調べたら2001年から放送してるらしい。もう20年以上も経つが、取り上げる事件がなくなることはないようだ。
さすが、現実にはおもしろい事件が溢れているのだろう。