『パラサイト』から考える映画においての現実描写とフィクションとの考察(作品前半部分のネタバレを含みます。)

今月に入り、ワイドショーでも取り上げられている話題作『パラサイト』を軸に映画における現実描写とフィクションとのバランスについての考察をしていきます。

『パラサイト』は、アカデミー脚本賞、作品賞、監督賞、国際長編映画賞、パルム・ドールも受賞した誰もが認める「名作」であり、
今後も語り続けられていくであろう作品ですが、今回は物語の展開や画面構成、演出だけではなく、設定や舞台にも注目します。

今作の舞台は、現代の韓国。
狭く薄汚れた半地下のアパートに住む4人の家族と高級住宅街に住む4人の家族を中心に物語が展開され、物語の前半、つまり半地下の家族が寄生に成功するまでは非常にテンポよく進んでいきます。

このテンポのよさは、オーシャンズシリーズのように視点が異なるカットを細かく使う「モンタージュ」という技法を用いて演出されています。


この「モンタージュ」の技法は作品自体のテンポを早める代わりに、観客に今何が起きているのかを分からせる説得力が必要となります。

それぞれのカットに説得力がなければ、観客を置いてけぼりにしてしまう可能性があり、本来の目的であるテンポの良さが仇となるのです。

言うなれば、「モンタージュ」という技法は、家具や電化製品などの説明書のようなもので、完成までの手順を順番に描くもの。
説明書に書かれている言葉や説明が難解なものだと、組み立てることはもちろん、完成までたどり着けなくなるのです。

先程例にあげたオーシャンズシリーズでは、計画を実行するまでの入念な準備のシーンをちゃんと描き、観客に「ここまで準備したものを実行します!」と分からせた上で、計画の実行シーンを「モンタージュ」を用いて演出しています。

では、『パラサイト』ではどうでしょうか。


映像にもあるように、少しずつ進めてきた計画の仕上げとして、家政婦を追い出すところまでを「モンタージュ」を用いて演出をしています。

この場面においての説得力は、それぞれの家族が寄生先に対して信頼を勝ち得る描写があるため、説得力の獲得に成功しています。


「モンタージュ」を用いた演出の話はここまでで、ここからはこの説得力を生み出した設定について、考えを進めていきます。


寄生を始める初期段階として、ケビン、ジェシカの寄生があるのですが、ここの場面で私が感じたのは、
「ここまでの計画を組み立てられて、家庭教師の仕事ができ、文書の偽造(フォトショかなにかかな?)もできるのに、進学ができないのか。」
「それほどまでに、韓国の格差社会というのは、強烈なのか。」

ということでした。

これは、自分自身が教育に関わる仕事をしているからか、作中に出てくる彼らが本当にスキルがあり、計画性も社交性もあるように見えたこと。

そんな彼らは誇張されているわけでなく、さも当然のものとして広く受け入れられていること。

徹底的に演出された「リアリティ」のうちの一つとして描かれているこの部分が今作の高い評価を支えているように思えたのです。



韓国の大学入試の現状は、80%を超える大学進学率、高校では授業を終えた後に、22:00まで学校で勉強をする「ヤジャ」と呼ばれる制度があり、センター試験にあたる「スヌン」では、交通規制が各会場で行われる。

日本での入試にかける熱意を大きく上回り、
韓国の人々は人生のすべてをそこにかけているのです。

もちろん入試は本人の努力次第な部分もありますが、
やはり家庭の経済状況も影響してきます。


『パラサイト』では、貧困という設定を演出するために、
「能力があれども、経済状況によっては進学ができない」
「経済状況を変えるには進学しないといけない」
「進学していないといいバイトにすら巡り会えない」
といった要素を半地下の自宅に混ぜて、韓国の貧困層の現実を描いているのです。

今作は主題でもある「貧富の格差」を描くにあたり、流してもいいような部分も含めて現状を再現をすることで、作品全体に説得力を持たせているのです。


作品に出てくるすべての人物、背景、物の設定を細かく考えていくことは、これまでの名作と呼ばれる文芸作品全てにおいて言及されてきたことです。

黒澤明監督が「あの家を消してくれ」と言った逸話があったり、宮崎駿監督の設定ノートなどにもその点が見えるかと思います。

『パラサイト』がアカデミーの主要部門を受賞したことで、今後日本映画はどうなっていくのかと話題になっていますが、一度基本に立ち返り、
「作品の設定や舞台をこれでもかと細かく描くこと」が必要なのではないでしょうか。

『パラサイト』『ジョーカー』のように社会風刺の作品でなくてもいいとは思います。
しかし、漫画原作にせよ、オリジナル脚本にせよ、物語の大きな骨組みと展開に関わる設定だけでなく、ふと映る背景そのものや、それをどのように撮るのか、
物語の世界そのものが架空の社会ならば、その社会はどのような経済状況か、政治はどのように動いているのか、といった部分にまでこだわって描いてもらいたいのです。


『シン・ゴジラ』もゴジラが出てくる部分以外は政治家や官僚の話すスピードやセットの大きさ・レイアウトにまでこだわった結果、国内外で高い評価を得ることができたことを考えると、

「この国はまだまだやれる」ことは、必ずあると思いますし、作品の流れだけでなく、そのような細かい点まで指摘ができる受け手がもっと増えてほしいと思います。


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