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歴史は誰の視点で語るのかについて | ふくしま移住記録 #7

歴史は受験のために覚えるものだと思っており、記憶力の悪いわたしにとってはしんどい時間だった。ひとりの物語が何も見えない、ただの暗記科目として捉えていたなぁ。

勉強しておけば将来や実生活に役に立つだろう。昔は、そんな気持ちで授業を受けていた。しかし大人になるにつれ、教科書だけではない世界を知り、そして先日も新しい学びがあった。

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先日、アメリカ生まれの詩人アーサー・ビナートさんのイベント「ここは広い世界の入り口だ」に参加してきた。(福島県南相馬にある、俺たちの伝承館で開催。)

メインはみんなで詩を作ることだが、当日はアメリカ人の視点から見る、福島第一原発事故、第五福竜丸の被曝についても語ってくださった。

ハッと夢から覚めたような、そんな気持ちになった。
「原子力と核を切り離して考えるのは、日本特有だ。核兵器反対といいながらも、原子力を推進しようとしている。」

という言葉を聞いたとき、「そういえば、そうだ。」とハッとさせられた。

核物質であるプルトニウム。原子核が分かれる核分裂が連続すると莫大な熱エネルギーが生まれる。これを応用したのが原発や核兵器。核と原子力という言葉を使い分けられているが、英語にすればnuclear(核), nuclear power(原子力)と一目瞭然というように。
アメリカでは原子力と核は切り離せない関係で、それを安全だと言い切ってしまうことはあり得ないことだと。

他にも、本来なら"殺人"となりうるものでも"事件"と報じてしまうこと。
加害者側や権力のある方により、歴史は簡単に捉え方を変えていく。

パレスチナことを10秒ばかり、瞼の裏に思い浮かべる。"戦争"という言葉ではなく、紛れもなく虐殺なのだから。
将来、教科書に"戦争"とは決してかかれませんように。

言葉というものは、無意識のうちに心の隙間に入り込んでくる。
使う言葉に気をつけるということ。改めて強く感じた。

そして詩人であるアーサーさんは、"物語"を通して民衆に伝える意義を話してくださった。物語というのは、ぐっとわたし達を身近にしてくれる。

図書館で読むはだしのゲン、金曜ロードショーでみる火垂るの墓、資料集で見たハゲワシの少女。おぼろげな記憶に残るものは、数字ではない誰かの物語、あるいは想像力を掻き立てるものから得ていた。(当時は、日本が被害者である視点のものばかりだったけれど…)
膝から崩れ落ちてしまうくらいに、心を動かされたのを今でも覚えている。

上記に挙げたものは戦争になってしまったけれど、
大きな媒体で取り上げる話を、誰もが生活に落とし込めるくらいに内面化させたい。難易度は高く、思い通りにならないことの方が多いかもしれない。
それでも、わたし自身も伝えるということを諦めたくない。

誰の視点で、歴史を語るのか。
誰の視点で、戦争を語るのか。
誰の視点で、復興を語るのか。

誰の視点で、物語を語るのか。

心に刻んでおこう。

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