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冥王星はナゼ惑星から外された?【2/18は冥王星の日】

2月18日は「冥王星の日」と定められています。冥王星とは、直径2370キロほどの太陽系のもっとも外側を公転する準惑星です。月の直径が3474キロであることと比較すると、かなり小さい星です。

2月18日が冥王星の日になったのは1930年、アメリカ・ローウェル天文台の天文学者クライド・トンボーが、太陽系第9惑星「冥王星」を発見したのが、2月18日だからです。(18日は昨日だったのですけれど…)

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冥王星発見の経緯

もともと天王星の運行の乱れから、外側にもうひとつ惑星があることは予見されていました。しかし、あまりに暗い星であるため発見が難しく、トンボーによる写真の比較研究によって発見されたのです。

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このとき発見された星は、当時の研究者が考えていたよりはるかに暗いものでした。星の明るさを表す数字(1等星が一番明るい)では、なんと15等星。そのため、ギリシア神話の冥府の神ハデスの呼称から「プルート(Pluto)」と名付けられ、日本では英米文学者で天文に関する著作を多数残している野尻抱影が提唱した「冥王星」になったのです。

じつは太陽系の惑星ではない

このときに地球と同じ太陽系の惑星の仲間入りを果たした冥王星ですが、じつはいまは惑星として認められていません。
2006年に惑星から「純惑星」へ格下げとなったのです。つまり、2006年以降は、太陽系の星を覚える際は「水・金・地・火・土・天・海」までで、最後の「冥」は外さなければならないのです。
ではいったいなぜ冥王星は惑星から外されてしまったのでしょうか。

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冥王星クラスの天体がみつかり惑星の座がキケンに

冥王星が発見された当時、「惑星」に明確な定義が存在していませんでした。なんとなく太陽のまわりを回っている星、というイメージで語られていたのです。
しかし、その後の研究によって新天体が次々に発見されるにしたがって、惑星って何だ!? 冥王星も惑星ではないだろう! というような論争が繰り広げられるようになりました。

とくに21世紀に入ってからというもの、テクノロジーの向上によって、2001年のイクシオン(直径約1200キロ)や、2002年のクワオアー(直径約1280キロ)、2004年のセドナ(直径約1800キロ)など、冥王星クラスの大きさをした新天体が次々に見つかりました。これらは冥王星よりさらに外側を回る、太陽系外縁天体とされています。

その後2005年、のちにエリスと命名される、冥王星よりやや大きいと推測された外縁天体の発見が公表されました。当時、このエリスを惑星と呼ぶかどうか、公式な合意はなされていなかったのですが、発見者とメディアはこれを「第10惑星」と呼び、冥王星のさらに外側の惑星が見つかったと報じました。
この出来事から、惑星論争が本格化していきます。エリスを惑星に入れていいのか、入れてはいけないのか。それを決めるために惑星の定義をいま一度きちんと考えましょう、となったわけですね。

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惑星の定義から漏れる

そして様々な議論がなされたのち、エリス発見の翌年である2006年にIAU(国際天文学連合)によって惑星の定義が決められました。このときに冥王星が惑星から外れ、準惑星に格下げになってしまうのです。

IAUによる「惑星」の条件は以下の3つです。
・太陽のまわりを公転している
・自らの重力によってほぼ球形を保っている
・軌道の近くに衛星以外の天体がない
この3つの条件を満たしていれば、太陽系の惑星と認められます。

しかし、冥王星はこれらの条件すべてを満たしていませんでした。上の2つしか当てはまらなかったのです。太陽のまわりを回り、自重によって球形を保っているものの、軌道の近くに大きな天体があったからでした。


そして冥王星は、IAUがつくった新しい枠組みである準惑星に格下げとなったのです。このとき定義された準惑星は、惑星の条件のうち上の2つしか満たさないが、軌道近くに衛星以外の天体があり、自らも衛星でもないことでした。まさに冥王星のためにつくられたような定義です。


こうして冥王星は準惑星となったのでした。したがっていまは、太陽系の惑星は第8惑星の海王星までの、8つしかありません。

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参考資料:

日経ライフコラム

JAXA

Ⓒオモシロなんでも雑学編集部

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