百人一首で小野小町だけが後ろ姿なのはナゼ?【3/18は小町忌】
先日まで冷え込みのきつい日が続いていましたが、今日はようやく春らしい暖かな気温になりましたね。
本日3月18日は、春の季語としても知られている「小町忌」です。
小町とは、六歌仙や三十六歌仙のひとりである小野小町のこと。
あはれてふ ことこそうたて世の中を 思ひはなれぬほだしなりけれ
花の色は 移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに
うたた寝に 恋しき人を見てしより 夢てふものはたのみそめてき
など、数々の歌を残した平安時代の女流歌人です。陰暦における3月18日は、彼女の忌日といわれており、そのため本日は「小町忌」となっているのです。
小町忌はたくさんある
3月18日が忌日とされていますが、じつはほかにも忌日があります。
3月18日という日付は単なる伝承に過ぎず、ほかの日の説もあるのです。
奈良県今市町にある帯解寺というお寺では、4月24日に「小野小町忌」を設けていますし、京都市山科区の隨心院では、12月4日に「小町忌美心祈願法会」が行われます。
ほかにも各地で11月12日~12月4日の間に「小町祭」が行われるほど、忌日があやふやになっています。
百人一首では美貌が見えない
小野小町は、世界三大美女のひとりとしても有名です。それは古代エジプトの女王・クレオパトラと、唐の玄宗皇帝の妃・楊貴妃、そしてこの小野小町です。
三大美女のひとりというなら、よほどの美貌なのだろうと想像してしまいます。
そこで百人一首の札で確認してみましょう。すると、なぜだか後ろ姿で描かれていることが多く、その美貌を拝むことができません。(なかには面を上げている絵もありますが…)
いったいなぜ後ろ姿ばかりなのでしょうか。それは、百人一首の作り手の事情にありました。
百人一首の販売戦略
「小倉百人一首」はもともと鎌倉時代初期につくられていました。
それが江戸時代に入り、遊戯用に一般にも出回り始めたのです。その絵柄は、鎌倉時代に描かれた「本三十六歌仙絵巻」をもとに、江戸時代の絵師が描き直しました。
小野小町が後ろ姿で描かれるのは、このときです。
その理由は、絵を見た人に想像させるためでした。美貌をあっさりと明かしてしまうことよりも、後ろ姿にして想像してもらったほうがいいと判断したのです。ミステリアスさを残すことで、ユーザーの興味を掻き立てたのですね。
もうひとつ大事な理由があります。
それは、本当に美女を描いてしまうと、女性たちが嫉妬して商品に反感を持つかもしれなかったからです。ドラマや映画などできれいな人が揃っている現代のエンタメ業界からすれば考えられないような話ですが、変にクレームつけられるリスクを回避したかったのかもしれません。
つまり小野小町が後ろ姿なのは、立派なセールスプロモーションだったのですね。
(面を上げている絵もあります▼)
参考資料:
『「見るだけ」で楽しい!「ビジュアル雑学」の本』博学面白倶楽部(三笠書房)
Ⓒオモシロなんでも雑学編集部