奈良県に日本最古の時計があった!?【5/26は明日香法施行の日】
本日、5月26日は1980(昭和55)年に通称・明日香法(正式名称:明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法)が公布・施行された日です。奈良県の明日香村には、数多くの遺跡や古墳が点在しており、それらの史跡を保護するためにこの法律がつくられました。
今回はその明日香村の遺跡に関する雑学をご紹介します。
謎の水落遺跡
この明日香村の北部に、飛鳥水落遺跡という史跡があります。1972(昭和47)年に民家新築の工事中に発見された遺跡です。
この飛鳥水落遺跡は、古代の建物の跡です。
一辺が11mほどの正方形の基壇のうえに24本の柱が立っていました。建物の真ん中には水を使った設備があったとされています。花崗岩でつくられた台石の上に大型と小型の黒漆塗の木箱で作られた水槽が置かれ、さらに土の下には水槽へ水を引くための木桶暗渠や枡、暗渠内の水を汲み上げるための銅管がありました。
つまりこの史跡は、建物の内部に水を流しこんで、その真ん中に貯めるという、何とも変なつくりの建物だったのです。
一見すると、高級なお風呂かな? とも思ってしまいますが、それは違います。
では、いったい何のためにつくられた建物なのでしょうか。
日本最古の時計
飛鳥水落遺跡は、じつは日本最古の時計の跡なのです。
この詳細は『日本書紀』に登場します。
斉明天皇6年5月の条に「皇太子中大兄皇子が初めて漏刻を造り民に時を知らせた」と記されています。この「漏刻(ろうこく)」というのが、水を使って時間を計測する、いわゆる水時計を指すのです。
つまり飛鳥水落遺跡は、中大兄皇子が造った水時計の跡だったのですね。
水を使って計る時計とは耳慣れませんが、どんな仕組みだったのでしょうか。
まず、階段状に「漏壷(ろうつぼ)」と呼ばれる複数の水槽を並べます。次にそれらを細い銅管でつなぎ、通った水が最下段の漏壷に溜まった量から時間を計ります。
この一番下の漏壷には、時間の目盛りが刻まれた箭(せん)をもった人形が置かれていました。水位が上がると、この箭も上昇して水面に触れる目盛りの位置も変化します。これを読み取っていました。
漏壺が階段状に並べられていたのは、水の勢いを殺すためです。
水が直接注がれるのは最上段です。当然、波紋がたって水面が乱れたり、こぼれたりすることもあるでしょう。しかし、階段状になっていることによって、中間がクッションになって水位を一定に保つことができます。
忙しい現代人の原点
この漏刻は、飛鳥に住んでいた当時の人々に時刻を知らせるために造られました。おもに飛鳥の朝廷に勤める官人がメインだったと推測されます。現代で言えば公務員サラリーマンですね。
それまでは各人がフィーリングの時間で仕事などをしていましたが、この漏刻によって時間が共有できるようになりました。すると、時刻によって仕事が管理できるようになったのです。
時間によってスケジュールが決められるのが私たち現代人の常識ですが、それは飛鳥水落遺跡に起源があったともいえそうですね。
参考資料:
『奈良・古代史ミステリー紀行 封印された「歴史の闇」を解き明かす』関裕二(PHP研究所)
『飛鳥史跡事典』木下正史編(吉川弘文館)
「水落遺跡と水時計 解説書」(奈良県明日香村・関西大学文学部考古学研究室)◀このリンク先に復元図があります!
Ⓒオモシロなんでも雑学編集部
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