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三ツ矢サイダーという名前に隠された悠久の歴史ロマンとは?【3/28は三ツ矢サイダーの日】

本日、3月28日は、三ツ矢サイダーの日です。

夏の暑い日などにごくごく飲みたくなる、あの飲み物ですね。コーラほどくどくないあのほんのりとした甘さが、疲れた体をリフレッシュしてくれます。レモンやブドウなどいろんな味があって、飽きが来ないシリーズ商品です。

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なぜ今日が三ツ矢サイダーの日かと言えば、文字通り3(ミ)28(ツヤ)の語呂合わせから。三ツ矢サイダーの販売元のアサヒ飲料が記念日としました。
今日はこの三ツ矢サイダーに関する雑学をご紹介します。

三ツ矢の由来

三ツ矢サイダーは日本でもっとも古い炭酸飲料です。発売したのがなんと100年以上前の1884(明治17)年というから驚きです。それなのに今なお国民から愛され、CMもバンバン流しているなんて、非常に稀有なスーパーロングセラー商品なのです。

ここで疑問なのですが、そもそも三ツ矢という言葉はどんな意味なのでしょうか。

三つの矢、という言葉から連想すると、戦国武将・毛利元就の三本の矢が挙げられますが、どうやら違うらしいです。
じつはなんと、戦国時代よりもさらに古い、平安時代のエピソードが「三ツ矢」のルーツと言われています。
いったいどんな由来があるのでしょうか、それは三ツ矢サイダーを生み出した土地に伝わる逸話でした。

源満仲が放った矢が由来

三ツ矢サイダーは、現在の兵庫県川西市が発祥地です。ここの平野鉱泉を飲料として売り出したのが始まりでした。この地には以下の伝承があります。

この地は平安時代、清和源氏の始祖である源経基の子・満仲(多田満仲)の居館が置かれていた場所です。

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満仲は居館の場所をどこにするか決める際、空に向かって3本の矢を放ちました。そして、矢が落ちたところに館を建てると決めました。
このとき満仲は、落ちた矢を地元衆に探させましたが、それを見つけた孫八郎という男を重臣に取り立てて、「三ツ矢」の姓と領地、そして3本の矢羽根の家紋を与えたと言われています。
その後、満仲は鷹狩りの最中に多田荘平野で霊泉を発見しました。このときに見つけたのが三ツ矢サイダーにつながる平野の天然鉱泉だったのです。(JR川西池田駅前にある満仲の銅像)

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平野鉱泉に三ツ矢を冠した明治屋

この平野の霊泉は、1881(明治14)年にイギリスの理学者であるウィリアム・ゴーランドによって「理想的な飲料鉱泉である」と評価されると、平野鉱泉として一躍有名になりました。

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そこに商機を見出した明治屋という商店が、1884年に平野鉱泉の水を「三ツ矢平野水」「三ツ矢タンサン」というネーミングで売り出したのです。
この三ツ矢という名前は、もちろん満仲の伝承にちなんでいます。

1907(明治40)年には「平野シャンペンサイダー」の製造販売が始まり、やがて「三ツ矢サイダー」という名前で売り出されました。
そして時代は飛び、現代の1996(平成8)年には「三ツ矢」ブランドはアサヒ飲料に譲渡されましたが、その後もテレビCMなどで見ない日はないほど国民に浸透したまま現在に至ります。

このスーパーロングセラー商品に、平安時代から続く歴史のロマンが隠されていたのは驚きですね。

続く▼



Ⓒオモシロなんでも雑学編集部

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