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うつになって気づいた100のこと|可愛いからあげる

休職して1ヶ月ほど経った頃、
諸事情により実家に帰った。

実家には60代の母が一人で住んでいる。
母にも休職のことは言っていない。
有休をっていることにした。

「こっちにきて見てみて」

ある朝、外で母が呼ぶ声がした。
ご近所さんにメダカの稚魚をもらったらしい。
玄関の外に、
どこから引っ張り出してきたのか
と思うほどどでかい壺。
そこにハスの葉がびっしりと浮いている。
稚魚が親に食われないように
隔離スペースを作るためだとか。

毎日餌をあげて、話しかけるらしい。
「おはよう」とか。

知人とは言え、他人からメダカをもらうとか、
正直よく分からないし、面倒くさそうだし、
私だったら絶対に「要らない...」と思いながら
仕方なく受け取るだろうと、その時は思った。

「ふぅ〜ん」と言いながら
大きな壺を見つめた。

母が餌をやると稚魚がチョロチョロと
ハスの葉の間から顔を出して食べに来る。
小さな口をパクパクと開ける。
少しでもこちらが体を動かしたり声を出すと
サッと身を隠してしまう。

確かに可愛い。
見つめているとそう思えてきた。

ただそれだけのことなのだと思った。

可愛いから、近所の人にもお裾分け。
それを素直に受け取る。
大きめの壺があるから
そこに素敵に入れてあげる。
そして育ててみる。
ただそれだけなのだ。
何も面倒なことはない。

ふと郵便受けの上に目をやると、
いくつかの野菜が裸のまま置かれていた。
信じられないくらい不恰好で、
お世辞にも美味しそうとは言えない
変なきゅうりやナス。

「何これ..?」
「あ!また○○さんが置いてくれたんだわ」

これは別のご近所さんからの、
何かのお返しらしい。
母はまたこのお返しをして、
そうするとまたお返しが届くらしい。

「めっちゃまずそうじゃん。。」

と言ったが、そんなことないのよ、
こう見えてすごく美味しいのよ!
と言い切られた。

その晩、そのきゅうりとナスを使った料理が
夕飯に出てきた。
めちゃくちゃ美味しかった。

この歳になって、
もっと素直な人間になりたいと思った。

人のまっすぐな善意が連鎖するのを
久しぶりにこの目で直視した。

人から優しさを素直に受け取ると
自分もその人に何かを与えたい
と思えるものだろう。

人に与えて、そしてまた何か戻ってくる。
そしてまた自分も与える。
なんの損得も考えない。
母が当たり前にしているそう言う繋がりが、
なんか、いいな、と思った。

シンプルに心が温かくなるのを感じた。

そういう連鎖や繋がりから、
ずいぶんと遠い世界に
居続けている気がする。

きゅうりとワカメの酢の物と
ナスの煮浸しを食べながら
今このタイミングで
母の生活を垣間見ることができたことは
幸運だと思った。

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