うつになって気づいた100のこと|言葉のしこりは吐いて捨てたい


「あなたも大事なリソースなんだから」

上司はある日の面談で私にそのように言った。

言いたいことは分かる。
チームにとって必要な人的資源だと
いうことを伝えたかったのだろう。

けれどもし私が上司の立場になって
部下に、同様の意味のことを伝えようと
思ったとしたら、面と向かって相手に
「リソース」という言葉は絶対に使わない。

社員はあくまで会社の一駒に過ぎない
というのは理解している。
けれどそれをわざわざ強調するような
表現を選ぶ必要はない。

「もっと〇〇さんとかを上手く使ってさ」

その上司は誰かを頼ることを
しきりに「使う」と言った。
それはもう口癖のように、
会うたびに私に言った。

これも言いたいことはよく分かる。
一人で仕事を抱えすぎずに、
上手く割振れということだ。

これももし私が上司だったら、
同じチームのメンバーに対して
「使う」という表現は絶対にしない。

私より上のメンバーには、同じように
私のことを上手く「使え」と
しきりに言っているのだろう。

相手の発する言葉自体にいちいち
捉われるのは賢明ではないし
言葉のチョイスやセンスだけで上司の
良し悪しを判断したりはしないが、
こう言った言葉のささいな引っかかりが
ずっと私の中に、
しこりのように残っている。

たかが言葉、されど言葉。
何気ない言葉のチョイスに、
その人の深層心理は隠れていると
私は思っている。


ある朝、基本フルリモート勤務のため
久しぶりに出社していた私の横を
その上司が通りかかった。

お久しぶりですね、などと軽く挨拶を交わし、
上司は一応、私の仕事の状況を
気にかけるようなそぶりを見せた。

私は急ぎの対応をしている最中だったので、
内心早く去ってくれないかと思いながらも、
笑顔で、「なんとかやってます」と
いうようなことを言った。

「ね、まぁいつまでもペーペー
と思ってないでさ」

いくつか労うような言葉を言った後、
去り際にそのようなことを言って
彼は自分のデスクへ歩いて行った。

ペーペーか。
もっとしっかりしろ、とか
そういうことが言いたかったのだろうか。

転職して1年と少し経っていた頃だった。
どういう意図で彼がそのようなことを
言ったのか、明確には分からなかった。

心の中がとてもモヤモヤとした。
その日一日のやる気と集中力が
削がれるような思いだった。

慣れない中で、毎日必死で
やっているつもりだった。
明らかな業務過多にも文句を言わず、
とにかく目の前のタスクに
対応してきたつもりだった。

その上司には、私がいまだに
ペーペーの気でいるように
映っていたのだろうか。

だとしたら、具体的にどのような行動や
仕事ぶりの部分を指していたのだろうか。

通りすがりにサラリと言われたものだから、
それを彼に聞くことはできなかった。

今でもその言葉と、その時の情景が
しつこい染みのように脳裏に残っている。

「ちゃんと見ていますからね」

いつかのオンライン面談で、
その上司はそのように言った。

「メールを見れば、分かりますから」

彼曰く、ほぼフルリモートの状況でも、
CCで入っているメールをちゃんと
見ているので、仕事ぶりや大変さなど、
よく分かっている、
ということらしい。

私はひどく困惑した。

まず仕事のうち、メールを介すものは
全体の半分ほど。あとはチャットや電話。
そのうちわざわざ彼をCCに入れる案件は、
2〜3割程度だ。

それも分からず、CCで入っているメールが
全てだと思って、それぞれの仕事ぶりや
業務状況を把握している
と思っているのだろうか。

私はそれとなく、かなり、
それはもう、うんと言葉を選んで、
メールが全てではない旨を伝えると、
彼はなんとなくムッとした感じで

「見ないといけないのは
あなただけじゃないんで」

というようなことを言った。

この面談はほとんど意味がない
ことを悟った私は早々に話を
終わらす方向に持っていった。

「もっと存在感を出してください」

終始そのようなことを言われた。

その上司曰く、私には存在感がないらしい。

ほぼフルリモートの状況で、
何が「存在感」を示すのか、
よく分からなかった。

頼りないということを言いたいのか、
もっとリーダーシップを発揮しろ
ということなのか。

考えても分からなかったため、
具体的にどういうことなのか
私は彼に聞いた。

もっと堂々としろ、とか
自分の色を出せ、とか
そのようなふんわりとした答えが返ってきた。

結局、具体的に何を改善すべきなのか
私には理解できなかった。

「存在感がない」という言葉は、
それを生まれて初めて言われた私にとって
どうしても消化できないものだった。

そもそも存在感がある方が
優れているのだろうか。
決して存在感は強くなくても
自分の仕事をきっちりとやれていれば
評価されるべきだし、そのような人を
私はたくさん知っている。

自分が毎日睡眠時間を削って
必死でやってきたことが
この言葉で一気に砂のように崩れて
流れていってしまったような感覚だった。


気にしずぎ、
と言われればそれまでかも知れない。

私もその場では、
言葉自体に引っ張られないようにしよう、
気にしないでおこう、と冷静になれる。

けれど私の場合、一度できてしまった
言葉のしこりは簡単には取れない。

取れないのだけれど、
一旦吐き出してみる。
誰にも言うことができないのなら、
ここに書き殴る。

今の私にできるのはそれだけだし、
その時のことを思い出すのは
やはり苦痛だけれど、
それでも吐き出し切ったその瞬間は
意外とスッキリするものだ。

私は腹が立っていたのだ。

頭では割り切っていたつもりだ。

もういい大人だし、
いちいち人の言葉を気にしていたら
生きていけない、

そういう私がいる一方で、
本当の私は、忌まわしげな形相で
その上司をキッと睨んでいた。

ここに書き殴りながら
そんな自分と対面するのも
悪くはないと思う。




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