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小説を書きたいけど、小説が読めない #野心日記 8


私には、人知れず(?)抱えているプチ・コンプレックスがいくつかあります。

世間知らずコンプレックスとか、自分の過去の文章を読み返せないコンプレックス(最近は少しずつ緩和されつつある……?)とか、
恋愛感情がよく分からないコンプレックス(これについてはそのこと自体はコンプレックスじゃないんだけど、他人に「ヘンだよ」って言われるとちょっと気にします)とか……。

その中から今回は、いつか書こうとずっと思っていた「小説を書きたい(書いてる)けど、小説が読めないコンプレックス」について。

小説の中でも特に、紙の本の小説が読めません。
昔は読めていたのですが。
図書館や本屋さんでタイトルや装丁を見てときめいて、ワクワクしながら読んで、読み終えると思わず本を抱きしめたくなるくらい心を動かされて……(って文字にするとちょっと恥ずかしいけれど)
そんな頃が私にもあったのですが。

そんな私ですが、一昨年くらいから長編小説を書くことに挑戦しています。
それについては私のマガジン『野心日記』にまとめてありますので、ご興味ありましたら。
(※小説本編ではなく、あくまでただの日記です)


ずっとずっと思っていました。
小説を書いてるのに小説読めないなんて、致命的じゃない……?と。

一応、6月くらいから「読みたいなぁ」と思って宮沢賢治さんの『銀河鉄道の夜』を読もうとしているのですがなかなか内容が頭に入らず、未だに読み終えられていません。
他にも何冊か読みたくて買った小説があるのですが、いずれも最後まで読めていません。

やっぱり私は小説が読めないのかなぁ……


そんなふうに悩んでいたある日、運命的なnoteに出会いました。

タイトルを見て飛びつき、読みながら、自分のことかと。

わたしにとって小説は、
「読みたくないもの」ではなくて
「読みたいけど読めないもの」なのだ。


「苦手」と「嫌い」はイコールではない。

そうそう、そうなんだよね。本当は読みたいと思っているし、何度か挑戦してみるんだけれど。
「やっぱり読めない」という事実に直面するたびにそんな自分に落ち込んでしまうのです。

古島(こじま)さんと知り合ったのはまだつい最近ですが、私のnoteに「スキ」してくださったのをきっかけに私も古島さんのnoteを読んで…… を何度か繰り返したのち相互フォローに。
私は古島さんの文章と、文章から滲み出るお人柄をたちまち好きになりました。
「まっさらり」などの古島さんオリジナルな言葉たちも魅力的です。

こちらは古島さんのファーストnote(自己紹介)ですが、この中で書かれている「文章を書く上での自分ルール」

1. じぶんのために書くこと
2. 読まれてもいいことを書くこと
3. きれいごとを書くこと

私には「3.きれいごとを書くこと」がとても響きました。
綺麗事って、あんまりよくない事のような印象があるじゃないですか……?
綺麗事ばっかり言ってると敬遠されたり、偽善者だって揶揄されたり。
綺麗事じゃ救われない…… 私もそう思うことあるし。でも、心の奥底ではやっぱり綺麗事を信じているというか。
なんだかんだで、行き着く先は綺麗事だったりとか。

わたしは"きれいなこと"こそ書きたいです。

それは嘘っぱちでも偽善でもなく、
本音でほんとうに思っていることを。

ほんとうに言えないことは、
きれいごとだったりするんじゃないかな?

そんなふうに昔から思ってきました。

ありきたりだったり、ベタだったり、
熱かったり、クサかったり。

そういう恥ずかしいくらいにいい子ぶった"きれいごと"をここにたくさん記していきたいです。

こんなふうにハッキリと言葉にできる古島さん、かっこいい!って思いました。
アカウント自体まだ新しい古島さんのnote、これからもっとたくさんの人に見つかって、どんどん読まれてほしいなぁと個人的に思っております。



古島さんのnote「わたしは小説が読めない」をTwitterでシェアした際、「私も!」と飛びついてくださったのはMicaさん(以下みかさん)

みかさんと最初に知り合ったのは2020年に開催された岸田奈美さんの企画『キナリ杯』が終わったちょっと後くらい。
私がキナリ杯に応募したnote『文章 と わたし』にみかさんが「スキ」してくださったのをきっかけに私もみかさんのnoteにおじゃまして、そこで目に留まったBUMP OF CHICKENについて書かれたこちらの記事に感動。Twitterでシェアしたのをきっかけに繋がりました。

未読の方はぜひ。
私自身にとってもBUMPは特別なアーティストで、流行りの音楽に疎かった私が中学生の頃、生まれて初めて好きになったアーティストがBUMPでした。
こんなに夢中になれる存在は初めてというくらい、衝撃的な出会いで。

だけど、私が人知れず(?)抱えているプチコンプレックスのひとつには「BUMPについて書けないコンプレックス」というのもありまして。
BUMPが好きだと言いつつも、BUMPについて書けないのです。
いつからだろう。
自分はもうBUMPについての文章は書けないんじゃないか……、そんな思いが増していきました。
こんな自分は本当にBUMPが好きと言えるのかなって。
(この辺はまた別noteで書けたらいいなーと思ったり)

一度、ちょっと無理して「音楽文」にBUMPのことを書いて投稿してみたものの、案の定自分で読み返せなくなってしまいました。
(ただ、アメブロ繋がりのフォロワーさんが当時その文章のことをとっても褒めてくださって……。その言葉のおかげで、私はその文章を否定せずに済んでいます。この場を借りて……本当にありがとうございます)

BUMPについて抱いている気持ちをうまく言語化できずにいた私にとって、みかさんが書かれたnoteは衝撃的でした。
なんてすごいんだ!と。
うまく言葉にできないけれど、とにかく感動を共有したくて感想らしい感想も書けないまま「ぜひ読んで!」とTwitterでシェアしました。
Twitterは、BUMPをきっかけに繋がったフォロワーさんも多いので。
シェアしたみかさんの文章が「いいね」やリツイートされるたび、うれしかったなぁ……。
自分がいいなって思ったものを誰かにも「いいね!」って思ってもらえると嬉しいですよね。

みかさんからもお礼のリプライが届いたのですが、私はこのときまだnoteの「Twitter連携」というものを知らなかったので、noteをシェアしたことがご本人に伝わったことにびっくりしたのを覚えています。
でも、それがあったから今こうして繋がれたのだなぁと。

そして、そんなみかさんも「小説が読めない」仲間でした……!

もういろいろと共感です。
私も多分、いやほぼ確実に、小説を読めなくなっていったのは産後からなんですよねぇ。
産後はただでさえ、集中力や記憶力が落ちるって言われてますもんね。
私は長男を産んだのがもう10年くらい前(!)で、娘が生まれてまた振り出しに戻る(?)みたいな感じでずいぶん長いこと「読めない期」を過ごしております。
みかさんは最近少しずつ読めるようになってきたとのこと。
私も、小説に限らず読めない・書けない期を経て今はこうしてnoteやブログを読んだり書いたりできるようになってきたので、きっと小説もいつか読めるようになるんじゃないかなぁと希望を持っています。



小説が読めないとは言いつつも、noteのフォロワーさんの小説はなるべく読んでいます。
これは私が「フォローしている人の投稿はなるべく全部読みたい」性分であることも関係ありますが、それだけでなくnoteでの小説は比較的読みやすいなと思うのです。
(それでもやっぱりエッセイよりは読み始めるまでに時間がかかることも多く、いつも遅れて読んでてすみません)

どうして読みやすいんだろう……?
「スマホ」という媒体の特性もあるかもしれませんが、それ以上に「その人ありき」で読んでいるからじゃないかなー と個人的には思っています。

なんというか、「書き手が見える」というか。
これは小説を書く方々にとって嬉しいことなのか分かりませんが、文章から「その人」が見えると没入のしやすさが格段に上がるのです。私の場合。


たとえば、野やぎさんが書かれたショートショート
『ヨシダは死にました』

野やぎさんに出会ったきっかけは、野やぎさんの「いいね読み(いいねしてくれた人のnote読みます)」企画でした。
フォロワーでもない私がいいねしてもいいんだろうか……とドキドキしながらいいねを押したのを覚えています(未だに誰かのいいね読み企画に参加するときは緊張します)

そして野やぎさんはなんと、私も含め「いいね」してくれた人全員のファーストnoteとその時点での最新のnote、計2本ずつを読んでそれぞれ感想を添えてTwitterでシェアしてくださったのです……! 感激してしまいました。

そのシェアをきっかけに私のnoteを読んでくださった方や、相互フォローになった方もいたりして。逆に私も普段出会えないnoteに出会えたりして。
人付き合いに臆病な私の、noteでの出会いと繋がりを手助けしていただいたような……
勇気を出して飛び込んでみてよかったなぁと今でも思います。

話を「ヨシダ」に戻しますが、タイトルに思いっきり「ショートショート」と書かれてありますね。
当然私も「お!野やぎさん今回は小説なのか」と思いながら読み始めたわけです。
なのに、読んで間もなく私の脳はすっかり「野やぎさんの実話、エッセイ」として読み進めてしまいました。何ということでしょう。
だから最後の一文で3度見することに。

でも、シェアされた感想を読んでいると結構私と同じような方がいらっしゃって。もしかしたら、意図されたものなのでしょうか。
いずれにしても、「ヨシダ」がここまで多くの人に読まれ(スキ1000超え)愛されている理由はもっと深いところにあると私は感じています。
未読の方はぜひです。


野やぎさんといえば、最近はいいね読みの他に「冒頭3行選手権」という企画も開催されていました。
こちらにも私は参加したのですが、私の参加をきっかけにこの企画を知り、飛び込んでくださったフォロワーさんがいます。

まめ大福(ままめ)さんです。
ままめさんと出会ったのはnoteきっかけではありませんが、普段はエッセイを中心に食べもののことや音楽(主にBUMP OF CHICKEN)のことなど、柔らかな語り口で(でも言うべきところでは毅然と)書かれています。

そんなままめさんが冒頭3行選手権に寄せられたのは、ファンタジー小説!

私は今までままめさんのエッセイしか知らなかったので、こんな感じも書けちゃうんだ!という驚きと感動が。

ままめさん自身ファンタジーが好きだとおっしゃっていましたが、だとしても細かな設定とかキャラクターとか、物語の世界を自身の想像力で生み出すのは本当にすごいことだと思うのです。
柔らかな文体こそ顕在ですが、普段の文章とはまた違う一面が見えてとても新鮮でした。

私の場合、現実から離れた舞台のお話ほどその世界に入り込むのに時間がかかってしまう(故になかなか読み進められない)と感じていましたが、ままめさんの「結精師」はするりとその世界観に入っていけたのも不思議な感覚でした。
つづきも、(ご無理のない範囲で)楽しみにしています。



普段、noteユーザーさんの小説を「その人ありき」で読んでしまいがちな私は、「小説なのにエッセイだと思って読んでしまう」勘違いを今までにも何度かあちこちでやらかしています。

例えば、keiさんが毎日更新されている『摂食障害の長い長いトンネルを抜けて』

私自身にそういった経験があるわけでは(多分)ないのですが、摂食障害の苦しいトンネルに陥ってしまった主人公の行動や心理がとてもリアルかつ丁寧に描かれていて驚きます。

それもそのはず、keiさん自身が摂食障害の元当事者であり、実体験をもとに信念を持って書かれた物語なのです。
あまりにリアルゆえ、私は途中までこの物語をkeiさんの実話(実体験に基づくエッセイ)だと思って読んでいたほど。

今、もしくは過去、ともすると未来の「摂食障害に苦しむ人々」が一人でも、一日でも早くその苦しみから抜け出せますように……。
他者に寄り添いながら、自身の苦悩や経験を惜しみなく「物語」という形にして発信しつづけるkeiさんに尊敬の念を抱きます。

私は「摂食障害」でこそないかもしれませんが、完璧主義や強迫観念などが別の形となって現れ、なんらかの呪縛にとらわれている自覚があります。
だからこそ、keiさんのnoteに惹かれるのかなと思うのです。

keiさんは毎日noteを更新されているので私はなかなか読むのが追いついていないのですが、265話辺りは主人公の苦悩が痛いくらい伝わってきてじっくり考え込んでしまったり。このまま読み進めてしまうのがもったいない……という意味でもなかなか先へ進めないときがあります。
一進一退を繰り返しながらも光に手を伸ばす主人公がこれからどうなっていくのか、最後まで見届けたいです。



豊満あつこ(旧:目頭あつこ)さんにも、以前盛大に勘違い(小説なのに実話だと思ってトンチンカンなコメントをする)をやらかしてしまったことがあります……。

あつこさんの小説で最初に読んだのはこちらだったはず。

「クリスマス金曜トワイライト」という池松潤さんの企画に応募されたリライト小説(池松さんの原作の方は未読で申し訳ないです)なのですが、初めて読んだときその文章力、表現力、情景描写、心理描写……、物語から見える「人生」、そういったものに圧倒されたのを覚えています。
きっとあつこさんは今までにたくさんの書物を読まれて、それをしっかりと自分の人生に重ねながら血肉にしてきたのだろうと。そんなことが文章から感じ取れました。
私の言葉ではうまく表現できなくてもどかしいのですが……。

そんなあつこさんの最新の小説がこちら。

小説って、こういうことを言うんだなぁって。読んだあとに感動のため息が出ました。
映像のように、鮮やかに情景が浮かんできて。この真っ紅なツツジ?の写真がまた良いんですよね。

少しアダルディな描写もあり、あまり耐性がない(既婚で子持ちの人間が言うのもなんですが)私はタジタジしてしまう場面もありましたが、そういうのを飛び越えて胸に迫るものがありました。

私が言うのも恐縮ですが、これほどの書き手さんがnoteの片隅で燻っているのは勿体ないなぁと、そんなことを思ってしまいます。
あつこさんの「再生」を秘かに願っています。



最後に紹介させていただくのは、小野 ぽのこさん。
ぽのこさんも割と最近、いいね読み(いいねしてくれた人のnote読みます)企画をきっかけに繋がったばかり。
その丁寧で温かいお人柄は、ぽのこさんを知る人なら周知のことと思います。
食べものに関するエッセイも多く、個人的な嗜好にもヒット。

最近書かれた小説も、「たべもの」をモチーフにしたお話でした(なんと、小説を書くのは初とのこと)


例えば「ジブリ飯」という言葉があるくらい、スタジオジブリシリーズに出てくる「たべもの」はとても魅力的です。
ラピュタの「目玉焼きのせパン」やトトロの「さつきちゃんのお弁当」に憧れたことがある人も多いのでは。

うちの子たちも、「ポニョミルク(はちみつ入りホットミルク)飲みたーい!」とか「今日はポニョラーメンにして〜!」とか言います(具はハムしか食べませんけど)
野菜が苦手な子どもたちが「きゅうりそのまま食べたい!」と言ってきたこともあったり。
苦手なものも美味しそうに見せてしまうジブリ飯、すごいです。

絵本だと、『ぐりとぐら』の大きなカステラに何度ときめいたか。
『はらぺこあおむし』がむしゃむしゃ食べる「葉っぱ」ですら美味しそうに見えて、実際に似たようなものを食べながら、頭の中で物語を想像してその世界に浸ったりしたものです。

ぽのこさんが描く「たべもの」は、まさにそんな「おいしそう!」「食べてみたい!」と、読みながら思わず味や香りを想像してしまう魅力にあふれています。

今回の小説を読んでから、バニラビーンズ入りのバニラアイスが食べたくってしょうがない。もちろんコーヒーも一緒に。
でも、意外とバニラビーンズ入りのバニラアイスって市販されていないのですね……
じゃあせめて「アイスクリーム種」のバニラアイス(MOWとか牧場しぼりとか)を食べたい!とスーパーへ出向くもなぜか行くとこ行くとこ売ってないんですよ。
MOWはあってもチョコと抹茶味だけとか。バニラはどこ……?
バニラアイスへの思いが募るばかりです。

ぽのこさんの小説には、まるでバニラアイスやコーヒーを口にしたあとのような余韻があります。
きっとどこかで登場人物たちが物語のつづきを生きているのだろうなと「その後」を想像させる、終わっても終わらない味わい深い物語。

実は私も「おいしい」をテーマに小説を書いているところなので、ぽのこさんの小説を読んで「わたしもがんばろう!」と思えました。ご縁に感謝。



「小説を書きたいけど、小説が読めない」というタイトルでコンプレックスについて書くつもりが、気付けばnoteのフォロワーさん紹介祭りになっていました。
でも、こういうのも書きたいなと思っていたのでこれはこれで良し。
(でも突然でびっくりさせてしまったらごめんなさい)

私とそれなりに付き合いの長い方はなんとなーく察しているかもしれませんが、私はあまり人付き合いが得意じゃありません(リアルだともっと顕著に)
もういい大人ですが、基本的に受け身の姿勢であまり自分からは人に関わっていけないチキンです。
だからせめて、手を伸ばしてくれた人の手はしっかり掴んで対話したいと思うけれど、なかなかそれもできていません。

気の利いた言葉とかあんまり言えないし、いざ言葉にするとよく間違えるし、コメントやシェアもしようと思いながらしそびれて「スキ」や「いいね」で済ましてしまったり。
思っていることはたくさんあっても、言葉にならなかったりしなかったり、勇気や元気が出なかったりで普段あんまり伝えられていないから、いつか何らかのかたちで伝えられたらいいなと思っていました。
今回紹介できなかった方にもそれぞれいろんな思いがあるので、また何かの機会にお伝えできたらいいな。


話すのが苦手な私にとって、文章は大切なコミュニケーションの形のひとつ。
文章を通して誰かとお話ししたいし、文章を通してその人のことを知りたい。
人付き合いが苦手なだけで、人がきらいなわけじゃないんですよね多分。「苦手ときらいはイコールじゃない」もんね。
むしろ人が好きなんだけど、うまく関われないのがもどかしくてせめて文章の世界では誰かと繋がっていたいのかもしれません。

アメブロから私を知ってくださっている方々の中にはもう9年近いお付き合いになる方もいますが、もちろんその間、交流がなくなってしまったり去って行ってしまった人たちもいて。
なんて儚い繋がりなんだろうと思います。

でも、だからこそこんな私と繋がり続けてくれている方々ってすごいなと(最近とある方とお話しする中で改めて実感して)思うのです。
ほんとに感謝感謝です。


世の中には、私にできないことが出来る人がたくさんいます。
でもきっとそれは私も同じで。他の人には難しくても、私にできることだってあるはず。

例えば「小説が読めない」というコンプレックスだって、逆手に取れば「強み」になり得るかもしれない。
小説が読めない人間が書いた小説なら、同じく小説をあんまり読めない(読んだことない)人にとっても読みやすい小説になったりしないかな〜
なんて、ポジティブな感じで終わっておこうと思います。

でもやっぱり小説は読めるようになりたいと思います。その方がきっと楽しいから。




【おまけ】
とある日のひとこま

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娘が拾ってきたどんぐり、発芽していました。



※今回のトップ画は、「みんなのフォトギャラリー」より春田みつきさんのイラストを使わせていただきました。
以前書いたnote「音楽について書きたい、読みたい」でもみつきさんのイラストを使わせていただいたのですが、一目見て「あの方のイラストだ!」と分かってうれしくなりました。
今回もかわいい(見方によっていろんな表情に見える)ねこちゃんのイラストをありがとうございました。

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