見出し画像

「音楽について書きたい、読みたい」


仕事が終わって、いつものベンチで遅めのお昼ごはん(おにぎり)を食べてからTwitterを眺めていたとき。
飛び込んできた報せにひどく動揺してしまった。


「音楽文」サービス終了のお知らせ


正直、ここのところ不安な気持ちがなかったわけじゃない。
noteでもTwitterでも時々書いていたけれど、最近なんだか音楽文さん元気なさげだなぁって感じていたから。
言葉にはしなかったけれど、このまま少しずつ縮小して衰退していつか終わってしまうんじゃないか……って、でも私の思い過ごしかもしれないし……って。
それがいざ現実になると、想像以上に気持ちがざわついて心ここにあらず、という具合になってしまったのだけれど。


ついこの間も、noteで音楽文について触れたばかりだった。


上記のnoteでも書いたけれど、今の『音楽文.com』というサイトが誕生したきっかけとか、運営の方の熱い思いを知ったとき私はとても嬉しくて。

熱量の近さみたいなものを感じたのかもしれない。
こんなふうに、音楽に熱い思いを持った人たちが運営している音楽文.comって素敵だなって思ったし、そこに自分も載せてもらえたこと、はたまた賞までいただいたこと、嬉しくて誇らしかった。


↓受賞したamazarashiの音楽文


音楽文というサイトの存在を知ったのはいつだったか。
Twitterのタイムラインに流れてきた誰かの音楽文を目にしたのが最初だったと思う。
読んで、すごいなぁと圧倒された。
昔から文章を書くことは好きだし、音楽も好き。8年ほど前から書いているブログでも何度もライブレポ的なものや音楽に関する文章を書いてきた。
でもいろいろあって思いを言葉にするのを躊躇うようになったり、そもそも書く気力が湧かなかったりと低迷していた時期だったので、音楽文というサイトの存在を知っても自分で投稿しようとは考えもしなかったな。

それが変わったのが、2018年の11月16日。
amazarashiの日本武道館公演『新言語秩序』のライブビューイングを観に行ってものすごい衝撃を受けた。

ライブ中に秋田さん(amazarashiのギター&ボーカル)が何度も叫んだ「言葉を取り戻せ!」という言葉がずっと頭の中で響いていて。
この気持ちを忘れたくないと思ったとき、今までただ傍観していただけの「音楽文」の存在が目の前に現れて気づけば筆をとっていた。

とはいえ難しかった。
長文をまとめ上げるなんてことも久しくしていなかったし、普段書いているブログよりもいろいろと細かい部分に気を配らなければならなかったから。
何度も諦めそうになってはライブの感動を思い出し、他の人たちの音楽文を読んでは自分を鼓舞して書き進めていった。
そうやってなんとか完成させられたときの「自分にも書けた!」という達成感は忘れられない。
まさに「言葉を取り戻せ!」を体現したかのような文章になったんじゃないかと思う。

この「最後まで書き上げることができた」というある種の成功体験は、その後も何度も私の背中を押してくれた。

ここ、noteだってそう。
音楽文への投稿がなければ、始めていなかったかもしれない。
ずっと、形にしたいと思っていた思いの丈。1年以上かかってしまったものの、なんとか書き上げることができた大切なファーストnote。


無名の私が未踏の地で放ったこのファーストnoteは、ありがたいことにたくさんの方に反応をいただいて、投稿から2年が経とうとする今でも時々「スキ」の通知が届いたりと読まれつづけている。
自分からそんなものが生まれてきたなんて正直信じられないけど、とてもうれしい。

音楽文に挑戦したことは、間違いなく今もいろんな方面で書き続ける糧になっている。
そんな、私にとっていろんな「きっかけ」をもたらしてくれたamazarashiの音楽文。
さらに奇跡みたいな出来事が起こるのだけど、それはまた後述するとして。

私が音楽文に投稿する際の名前「名無 ひと」は、amazarashiのライブで歌われた「ナモナキヒト」という曲からきていたりする。
ブログやTwitterで長年使っている名前……というかほぼ本名の「ひと」と掛け合わせて、「ナモナキひと」→「名も無きひと」→「名無 ひと」という感じ。
音楽文が終わったら、もうこの名前を使うこともないのかな。


音楽雑誌のライブレポでは読めないような、「その人」と音楽の物語。そんな文章がたくさん読めて、書けて、読んでもらえる。そこが音楽文のいいところだなって、私はそう思っている。
終わってしまうのはやっぱり、さみしいな。

音楽文.comはプロ、アマチュア問わず誰でも投稿することができます。
文体だって自由だし、1000字に満たないような短い文章も、文字数制限の1万字ギリギリいっぱいの文章も載せてもらえる。
じっくり時間をかけて練り上げられたであろう文章から、勢いで書き殴ったような疾走感あふれる文章まで、本当に多様な文章が寄せられていてそこが音楽文のいいところだと私はずっと思っています。
「音楽について書きたい、読みたい」をコピーに掲げる音楽文。
文章の上手さとか経験に関係なく誰もが「書きたい」「伝えたい」という衝動をぶつけられる場所があることを、自分を表現できる場所があることを、私はとてもありがたいなと思っています。

件のnoteからの引用だけど、言いたいことはほぼこのまま。


音楽文、投稿の受付は8月31日の16時までだそう。
来年の3月31日にはサービスが終了して、これまでに掲載された音楽文もウェブサイトでは読めなくなるとのこと。
投稿している方は念のためコピペしてバックアップとっておくといいのかも。
自分もだけど、noteとかブログしてる人はそちらに転載することで残せるし読んでもらえるけれど、SNSとかしてるのか分からない方の音楽文が読めなくなってしまうのは残念だな……。


募る思いはいろいろあるけれど、それは一旦置いておいて。

今、音楽文に投稿するつもりで書きかけの文章がある。
3週間くらい前に書き始めて、まだ全然あやふやなんだけど……。
そのアーティストについては1年くらい前にも一度書こうとして、結局書けなかった。
1年越しに再び書きたい気持ちが芽生えたから書いていたものの、また迷走してしまってる。
rockin'on関連でいろいろあった件が関係してなのか、全く別の理由でなのか分からないけれど、気持ちが文章へ向かなくて、なかなか書き進められなくて。
何度も「今日は書くぞ」とスマホに向き合っては思うように進まずを繰り返している。

また、書けないのかなぁ……と弱気になっていたそんな折り、私に書き進めるエネルギーをくれたブログがあります。

キタガワのブログ』にてつい最近、7月29日に投稿された記事。
このブログを読んだとき、こうしちゃいられない!書かなきゃ!って気持ちがむくむくと湧いてきた。

今、苦境に立たされているであろう音楽業界とバンドマン。私が好きなアーティストたちも例外ではないと思う。
私はお金に余裕がないからCDやグッズもあんまり買えないし、ライブにももともとそんなに行けない。そんな自分にできることって言ったらこれ(書くこと)くらいしかないじゃないか って。


『キタガワのブログ』のキタガワさんは、私が音楽文を語る上でおそらく欠かせない人。
まさに音楽文(前述したamazarashiの)を通じて繋がったご縁。

amazarashiの音楽文投稿と受賞から約1年が経過したある日のこと。
私のこのツイートがきっかけでした。

↑amazarashiの公式Twitterさんのリツイートにより目に留まったこちらの記事を読んで、記事の最後に書かれている執筆者の名前(キタガワ)の文字を見ての反応です。

この、引用リツイートでもなんでもないただのひとりごとのようなツイートを拾い、キタガワさんはリプライをくださった。

このときの衝撃は忘れられない。
こんなことが自分の身に起こるとは思ってもみなかったから。

彼が夢を叶えていく姿を見ていたいと思ったからTwitterもフォローした。
以来、私は彼がrockin'onからの依頼でコラムを寄稿したり、ブログや音楽文に文章を投稿したりして一歩ずつ夢へと向かう姿をインターネット越しに勝手に応援してきた。

ちょっと音楽文を覗いてもらったら分かるんだけど、キタガワさんの投稿数って飛び抜けてるの。
月に何本も掲載されているし、1日に2本掲載されているときもあるし。
だいたいは先にブログに投稿してから音楽文に投稿してらっしゃるから、いつもブログを読んでいる私は彼の音楽文が掲載されるとアーティスト名とかタイトルですぐに気付いてしまう。
(ただ、本当にたくさん投稿されているのでその全部に私が「いいね」をつけるのもいかがなものかと思って、気付いていても心の中だけでそっと「いいね」することも多い)

ひとつひとつのボリュームもすごいし、ライブレポはまるで自分が本当にそのライブを体験したかのような錯覚に陥るほどで、感動する。
キタガワさんのブログは私にとって「音楽の宝箱」で、今まで知らなかった音楽や、名前は知っていたけれどあんまり聴いたことなかったようなアーティストの魅力に出会うことができた。
ここ数年で私が新しく踏み込んだ音楽の供給源は、7〜8割くらいがキタガワさん経由だと言っても差し支えない。

彼に出会って私の音楽の世界はぐんと広がった。もっと音楽が好きになった。
本当にジャンルレスに聴いてらっしゃるから、中には私が苦手なジャンルに触れることも当然ある。
けど、キタガワさんが書くのなら……という信頼感でついつい読んでしまう。音楽以外の記事もしかり。
そして、苦手かもと思っていたものも少し好きになれたりする。

音楽レビューにライブレポ、キタガワさんの文章は私をいろんなところへ連れていってくれた。
他にも言いたいことはあるのだけど、ともかく。
ブログにしても音楽文にしても、これだけの量を書き続けられるのは本当にすごいこと。誰にでもできることじゃない。
彼が書き続ける姿は、私にとって希望そのもの。
だから、これからも勝手に応援してく。


いま私が書いている音楽文は、受賞には縁がなさそうな内容だと思う。
もちろん、もう一度受賞したいなという気持ちはずっとあって。というのも、私がはじめて投稿した音楽文で受賞したときはまだ「講評」がつかなかったので、なぜ選んでいただいたのか詳しいことは分からないままだったから。

受賞は賞そのものはもちろん嬉しいのだけど、私にとっては「なんで選んでもらえたんだろう」「どこが響いたんだろう」っていうのがとても気になるし重要なのかもしれない。
あんなにたくさんの素晴らしい文章の中からどうして私の文章を選んでくれたのか、その理由が知りたかった。

noteのコンテストで受賞したときもそう。
受賞はもちろんとてもとても嬉しかった。けど、「入賞」の私は名前と作品名の記載のみで。
「入賞」よりも上の賞には審査員からのコメントがついていてそれがとても羨ましかったり。
どんなところが決め手になって受賞できたのか知りたかったな、そのためにももっと上の賞を目指したかったな……と思ってしまった。

とはいえ、選んでくれた「人」が確実にいるというその事実はとてもうれしかったな。
だって、少なくともその選んでくれた人には私の文章が何かしらの形で届いたということだと思うから。


音楽文の月間賞受賞作品に「講評」がつくようになってからというもの、『いつかもう一度受賞して「講評」を受け取る』というのは私の秘かな夢だった。

でも、音楽文終了を知った今は賞よりとにかくそのアーティストについて書き上げたい。
最後に書けて、掲載していただけたらそれでいい。
願わくば、アーティスト本人に届いてくれたらうれしい。どうかボツ(一応、掲載可否の審査があります)にだけはならないで……。
そんな気持ちで書いています。
もちろん、その結果もし受賞できたならそれはそれでめちゃくちゃ嬉しいだろうけど。

キタガワさんには受賞してほしいな。最優秀賞を。
こんなこと、公に言うもんじゃないのかもしれないけれど。
今までもずーっと、月間賞発表のたびにキタガワさんの名前が載る日を秘かに夢見てた。

私は音楽文に何かを賭けてきたわけじゃない。
もちろんいつだって本気で書いてきたけれど、それをきっかけに何かのチャンスを掴もうとかはあまり考えていなかった。
もし受賞できたらその賞金でまだ買えてなかったそのアーティストのCDやDVDが買えるなぁ、とかそれくらい。

音楽文の投稿フォームには「投稿する理由」というチェックリストがあって、「自分の思いを表現したいから」とか「アーティストに自分の思いが届くかもしれないから」とか当てはまる項目にチェックを入れていくのだけど、その中の「音楽ライターになりたいから」の欄に私は一度もチェックを入れたことはない。

でも、キタガワさんは違う。
本気で音楽ライターを目指しているし、そのチャンスを音楽文に賭けていた。少なくとも、私の目にはそういうふうに映っていた。
彼に出会ってからの1年と8ヶ月ほどの間、Twitterやブログを通して彼が夢を追う姿を見てきた。
悔しがったり落ち込んだり、喜ぶ様子を見ては心の中で応援してきた。

何より私は彼の書く文章が好きだから、本当にすごいと思っているから、絶対にいつかそれが花開いてほしいと願っている。
音楽文の引用リツイートなどで、キタガワさんが称賛されているのを目撃した日には自分のことのように嬉しかった。やっぱり、見てる人は見てるんだ!って。
もし今度キタガワさんが受賞したら、間違いなく私はよろこびまくる。

↓キタガワさんと音楽文の軌跡はこちらより。



音楽文を通じて出会えたご縁はキタガワさんだけじゃない。
相互フォローの人もいれば、そうじゃない人もいるし、
言葉は交わさなくても「いいね」で気持ちを送り合ったり、そんなあたたかいコミュニケーションがいくつもあった。
音楽文終了の件のツイートの引用RT欄を見てみたり、Twitterで「音楽文」と検索すると終了を惜しむ声や感謝を伝える声などであふれていて、またその中に見覚えのあるアイコンや名前をみつけては勝手にうれしくなっている。
みんな最後に書くのかな。読みたいな。

書く力や言葉を失いかけていた私に、表現すること・書くことの楽しさを思い出させてくれた音楽文。

音楽文が書けたから、私は迷い立ち止まりながらも書き続けてこられた。新たに野心を抱くことができた。
たくさん、感謝しています。
書くきっかけとなったamazarashiにも。
そして、読んでくださった方にも。決して多くはないかもしれないけど、反応のひとつひとつが本当に嬉しかった。

最後にもう一度、自分らしい文章が書けたらいいな。

音楽文が終わっても、私は「音楽について書きたい」し「読みたい」
それはこの先もきっと変わらない。
やっぱり私は音楽も、文章を書くのも大好きだから。




※私が今までに投稿して掲載していただいた音楽文はこちらから(2022年3月31日まで)読めます。よければ。




▶︎8月12日、追記。

こちらのnote、公式さんの「今日の注目記事」にピックアップしていただきました。
何かの企画やお題に参加したわけでも、オススメされて話題になっていたわけでもないので突然のことにびっくり。
たまたま、運営のどなたかの心に留まったのでしょうか。だとしたら、ありがたいな。

それでも最初は「スキ」の数もいつもとそんなに変わらなくて。そんなところも自分のnoteらしいなぁ、なんてのん気に思っていましたら、日曜日くらいから続々と通知が届くようになってまたびっくり。

気付けば「スキ」が150を超えていました。いまちょうど170かな。
うれしいやら、恥ずかしいやら(ほぼ私信みたいな内容なので……)
たくさん読んでいただけると、うれしい反面少し怖くなったりします。
少なくとも、「スキ」を押してくださった方々は好意的に感じとってくれてるんだろうか……と思いつつも。

でも、こんな私信のような内容を公開したのはやっぱりキタガワさんのこと知ってもらえたら嬉しいなっていう気持ちがあったからで(記事にすることはご本人に了承いただいております)
たくさんの方の目に留まって、このnoteをきっかけにキタガワさんのことも知っていただけるなら本望でもあります。

私のnoteで「スキ」が100を超えたのは、ファーストnoteとコンテストで入賞したnote(どちらもパプアニューギニア海産という会社について書いています)以来。
たまたまだとは思うけれど、いずれも「応援したい人(会社)」について書いているんですよね。


応援って、ちょっと勇気がいります。
好きな人や好きな作品を生み出す人には、好きです!応援してます!楽しみにしてます!と伝えたくなる。
でも、それが相手のプレッシャーになってしまわないかとか、熱意が凄すぎて引かれないかとか不安になったり。
公に誰かを応援することをあんまり良く思わない人がいるってことも、なんとなく分かってきました。

気持ちは伝えたいけれど、あんまり言葉に縛られないでほしいとも思う。
だから、基本的に私は「勝手に」応援してます!というスタンスでいます。
私が好きで「勝手に」応援してるだけだから、あんまり気負わないでくださいね!……と。


一方通行でも、いいと思っていました。私が勝手に応援したいだけなので。
でも、受け取ってもらえるとやっぱりとても嬉しいし、ホッとします。

最後の音楽文、キタガワさんにはいつも通り大好きな音楽への思いの丈を綴ってほしいなと思うし、それを読めるのを楽しみにしております。

仮に、この先なかなか結果が出なくとも応援していきたいし、もしも諦めて他の道を歩むとしても、それはそれで応援していく所存です。
その人が、自分で選んだ道ならば。私はそれを応援したい。
キタガワさんに限らず、私が好きで勝手に応援している全ての人に、そのように思っています。
そしてそんな人たちに勇気をもらいながら、私も私なりにがんばるぞ!と思うのです。 



▶︎9月14日  追記

先日(9月10日)、最後の音楽文の月間賞が発表されました。
フォロワーさんではないけれど、見覚えのある方の名前を見かけて心でおめでとうを送ったり、何度も受賞歴のある方がまた受賞されててすごいなぁと思ったり、私自身も読んで「いいね」を押した方の文章が受賞していてうれしくなったり。

でも、その中に私が願った人の名前はありませんでした。
いろんな感情が鳩尾につっかえて、うまく言葉にならなくて、涙ばかりがじわじわと滲んできてしまいました。

その後、Twitterでキタガワさん自身のコメント(音楽文の終了と今後の活動について)を読んで、またじわじわと涙が。
(私が泣いてどうするんだって話ですよね)

そして、考えました。
私が書いたこのnoteは今でもぽつぽつと読まれつづけていますし、ホームの固定記事にも設定しています。
でも、今後もこのnoteが読まれつづけることはもしかしたらキタガワさんの負担になってしまうんじゃないか……と。
固定記事から外すなり、記事自体を下書きに戻すなりした方がいいんじゃないか……と。

私1人で考えても答えが出なかったため、ご本人に直接お伺いを立てました。

「noteは是非とも残しておいてほしい」との言葉に安堵するとともに、noteはこのままにしておくことに致しました。
また、ご本人と個人的にお話しする中でキタガワさんの思いも正しく(?)知れた今は、私も前向きな気持ちでいます。
音楽文は終わってしまいましたが、キタガワさんの「第二章」も全力で応援していく所存です。


※「第二章」の幕開けに素晴らしいことが起こりました……!

自分のことのように嬉しい……。
※この件については、こちらでも詳しく書いています。


月間賞の受賞者の中にはキタガワさん含めフォロワーさんの名前はありませんでしたが、私は本当に皆さんの文章に心を打たれましたし、きっと誰にもそれぞれにとっての「いい文章」「心に残る文章」があったことだと思います。
私の文章も、どこかで誰かの心に残っていたら嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?