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文章 と わたし


小学4年生のときの担任の先生の名前を今でも覚えている。イトウ先生。

イトウ先生は、いつも学校に「マイ塩」を持ってきていた。
給食で残りがちな「白ごはん」も、イトウ先生が「マイ塩」をつかって塩むすびにすると ぴかぴか魅惑の食べものとなる。
みんなこぞっておかわりした。
食べるの大好きなあの子も、少食なあの子も。

私もイトウ先生の塩むすびが大好きで、たまにおかわりの列に並んだ…気がする。

そんなイトウ先生が担任だった小学4年生のゴールデンウィークは、今まで生きてきた中でいちばん印象に残っているゴールデンウィークだと思う。

よそのお家はゴールデンウィークって家族でお出かけしたりするのかな。
わが家はその年両親ともに仕事で忙しく、どこへも出かけることはなかった。
気付けば宿題の作文(テーマ:GWの思い出)が書けないまま最終日を迎えてしまい私は焦っていた。

どうしよう…。

ずっと原稿用紙とにらめっこ。原稿用紙はうんともすんとも言わない。

どうしよう、どうしよう…。

もうすっかり夕方になってしまって、キッチンから夕飯のいい匂いが漂ってくる。

幼き日の私は考えに考えた。

これは余談だけど、小学校にて全校生徒を挙げての「かくれんぼ大会」が開催されることになったとき、絶っっ対に見つかりたくなくて、どこに隠れたら誰にも見つからないかを前日の夜に考えて考えて考えすぎて、翌朝(かくれんぼ当日)熱をだして休んだという過去が私にはある。

そんな私が頭から湯気が出るかと思うくらい、考えに考えた。
そして突然、ピコーン!とひらめいた。

そうだ!作文が書けない ってことを作文に書けばいいんだ!

ひらめいてからは早かった。
ノリノリで書き始め、母親に「ごはんできたよー」と呼ばれても「ちょっと待っちょって!」と書く手は止まらず。
原稿用紙はみるみるうちに埋まり、気づけば5枚目の裏にまで達する大作となっていた。

やったー!!書けたー!

作文が書けないことを作文にするなんて、我ながら名案ではないだろうか。
心は達成感と開放感に満ちあふれていた。こんなに素晴らしいゴールデンウィークが今までにあっただろうか。

しかしそれだけでは終わらなかった。
なんと後日、イトウ先生がその作文をクラスのみんなの前で読み上げ、褒めてくれたのだ。

恥ずかしい。でもうれしい。

我ながら名案だとは思いつつも、もしかしたら「なんだコレは」とか「ふざけないで」って呆れられるんじゃないかと少し不安だったのだ。

でもイトウ先生は責めることも否定することもなく、私のひらめきと努力?をそのまま認めてくれたのだ。
そりゃもう、うれしかった。

感謝しています。
イトウ先生、私は今でも文章を書くのが好きです。


…とは言ったものの、文章を書くのが好きなのはその前からなのか後からなのかよく覚えていない。
因果関係は分からないけれど、この経験が私の中で大きな支えのひとつになっているのは間違いないと思う。


どうして私は文章を書くのだろう。

伝えたい?表現したいことがある?
じゃあなんで「文章」なのか。

私は面と向かっての会話があんまり得意じゃない。
相手の言葉を飲みこんで、理解して、自分の気持ちを伝えるまでにものすごく時間がかかってしまう。

会話が「ツーテンポ遅い」なんて言われてたこともある。
ワンテンポどころかツーテンポである。

言葉にするのに時間がかかる故、3人以上での会話だとなかなか話に入っていけない。
その場では、聞き役で精一杯。
で、あとから「あ〜 あれはそういう意味だったのかな」とか「こう伝えたかったなぁ」とか思っちゃったりするのである。

黙っているからと言って何も考えていないわけじゃないのです。
…何も考えていないときもあるけど。

その点、文章ならじっくりと言葉に向き合える。
少なくとも自分にとっては対面より適していた。
面と向かっての会話やコミュニケーションはダメダメで何度も自己嫌悪に陥るけれど、文章なら少しはマシになれたんだよね。たぶん。

あんまり喋らないからか、よく大人しい性格に見られた。
「なに考えてるかわからない」と言われることもあった。
なんでか分からないけれど、ちょっと悔しいような気がする。

だから、文章では張りきって想いを炸裂させるのだ。
「わたしはここにいるよ」
「こんなふうに思っているよ」と。

普段しゃべらない分、秘めている想いがダダ漏れしてよく長文になってしまったけれど。

文章は私にとって「存在の証明」であり、想いを伝えるためのツールで。
これが、私が文章を書く理由のひとつになっていると思う。

難があるとすれば、時間がかかりすぎること。長くなりすぎること。
もっとサラサラっとコンパクトに書けるようになりたいなぁ。
それか、長くても読みやすい文章を書けるようになりたい。


思い返してみても、私はずっと文章といっしょだった。

小学生時代、授業や宿題で「作文」「感想文」と聞くと心が踊った。
何度か、コンクールの賞もいただいた。
ただ、やっぱり書くのにものすご〜く時間がかかっていた。
書き始めるまでも何時間も原稿用紙とにらめっこしてたりして。

先生、その子ぜんぜん書き始めないけど作文が嫌いなわけじゃないんです。むしろ頭の中でわくわくワールド展開中なのです。
ちゃんと形になるから焦らず待っててあげてね、と。
そっと先生に教えてあげたい。

もしかしたら、あなたの周りにもいるかもしれないねよね。そんな子が。

中学生になると、作文が校内の弁論大会の学年代表に選ばれて、全校生徒の前でスピーチするという経験もしたりした。

高校生になると、校外活動での作文のようなものが県代表に選ばれてラジオでちょこっとインタビューを受けたりもした。

余談(またか)だけど、その際ラジオ局の収録ブースにある頑っっ丈な防音扉に指を思いっきり挟んでしまっている。

痛かった。
びっくりしてしばらく声も出なかったので、防音扉に指を挟まれっぱなしで立ち尽くす私を見て周りの大人がひどく慌てていたっけな。
ちなみに今では傷あとも残らないくらい大丈夫です。

行きたい専門学校を親に反対されていて、でもどうしても行きたくて
「お金を自分で用意すれば親も文句は言わないだろう」と人生初のアルバイトをはじめたのも高校生のとき。

でも学費のためということは親に内緒だったので
「バイトしてる(収入ある)から大丈夫やろ」とお小遣い制度がフェードアウトしたり、衣服や夕飯(たまに私が作っていた)の食材なども自分で購入する羽目になってしまったため、入学金などとても貯められなかった。せつない。

そこでまた若かりし日の私は考えに考えた。
専門学校の入学金という、高校生アルバイトの収入程では手の届かない大金を手に入れるためにはどうしたらいいか。

頭によぎったのは
「小説コンクール… 入賞… 賞金」

賞金? 正気?

そんなまさかである。
でも当時の私は「もうこれしかない…!」と思ってしまった。

でも、書くにしても学業もあるし時間が足りないぞ。
どうする?
そこでまた私は突拍子もないことを思いついてしまう。

学校休んじゃえば書けるんじゃない…?

どんなに嫌なことがあっても病気以外で学校を休まなかった私が、小説を書くために学校を休もうとしていた。
なかなかに破天荒である。と、大人になった今の私なら思う。
そもそも学校を休んでまで時間をかけて書いて応募したとて、入賞する(賞金が手に入る)保証なんて全っったく無いのに。無謀すぎる。

でもその時の私は謎の自信(?)に満ちあふれていて、「どうやったら小説を書くために学校を休むことを親に許してもらえるか」ということで頭がいっぱいだった。

親に伝えなきゃ。でも、面と向かってだとうまく話せる自信がなかった。
そこでまた私は文章、手紙にしたためることを思いつく。
本末転倒、なんだかもうめちゃくちゃだけど本人は至って大マジメである。

結局、その手紙を書くのにも膨大な時間がかかるということに気付いて(気付いてよかったな)、親には面と向かって想い(音楽の専門学校に行きたい!)を伝え、いろいろ条件付きでなんとか進学を認めてもらえたのだった。

かくして学校を休んでまで小説を書こうとしていた事実は闇に葬り去られ、私は何事もなかったかのように生きている。
(ちなみに、この記事のサムネイル写真の原稿用紙はその当時小説を書くために買ったものです)

この時ばかりは持ち前の「筆の遅さ」に助けられたなぁと思う。
もしも手紙が完成していたら、それを親に渡していたら…
親(特に父親)は卒倒していただろう。

学校の先生もびっくりだ。
スカート丈も規則通りで授業も真面目に受けてるような生徒が、そんな突拍子もない理由で学校を休みたいなどと言い出したら、急にどうした!?大丈夫か?ってさぞ心配するか呆れるかしたと思う。

「あれか?学校で嫌なことでもあるのか?そうなんだろう?大丈夫、正直に話してごらんなさい」と。

うん、手紙書けなくてよかった。
世の中には知らない方がいいこと、伝えない方がいいこともあるよね。

クラスのみんなもさ、「大人しそう」で「なに考えてるか分からない」ような、口数少ない人間が実はこんなに内に秘めているなんて知ったらさ、なんて思うかな。
…特になにも思わないか。

あなたのまわりにもきっといるんじゃないかな。
心の内側に宇宙が広がっているような人。


念願の専門学校に入ってからは音楽に没頭していたので、文章らしいものはあんまり書いてなかったかな。歌詞は書いてたけれど。

そして大人になって、子どもを産んでからはますます文章から遠のいてしまった。
若干、産後うつのようになりながら日々をこなすことで精一杯だった。

好きだった音楽にも興味が薄れていく。
昔がんばって勉強したことも思い出せない。簡単な計算もできなくなった。もの忘れがひどい。スケジュールの管理ができない。
世間のことなんて解らない。自分の考えなんて持てない。もう文章は書けない…。

脳の機能がどんどん低下して、このまま廃れていくんだろうなという不安に飲み込まれそうだった。


このままではいけない。このままじゃ、いやだ。

そう思って、自分を救うためにブログを始めた。
7年前のことだ。

最初はちょっとした日記みたいな内容で、ジャンルも特にこだわらず雑多に書きたいことを書いていた。
当然のごとく、読んでる人もほとんどいない。

でも、ある日のブログを境に読者が増えた。
それは、とあるアーティストのライブレポ(のようなもの)だった。
「とあるアーティスト」って別に隠す必要もないので言っちゃうけどBUMP OF CHICKEN
中学生のときに出会って、私が人生ではじめて好きになったアーティスト。

ブログに綴ったのは、2013年に行われたツアー『WILLPOLIS』の大阪城ホール公演、2日目についての感想文。

それをきっかけに、同じツアーに参加していた何人かのBUMPリスナーおよびブロガーさんが私のブログを読んでくださって、親しくなって。
さらにそのブロガーさんの読者さんが私のブログも読んでくださるようになったりして、少しずつ繋がりは広がっていった。

あれから7年ほど経った今でも、ブログおよびTwitterなどで仲良くしていただいてる。
好きなアーティストをきっかけに繋がって、でもそのアーティストに関係ない内容のブログにもいつも反応をくれたりして。
私が間違ったときは叱咤してくれたり、落ち込んだときには心配してくれたり、嬉しいことがあったときは一緒に喜んでくれる。

いくつもの「おめでとう」や「ありがとう」をブログを通して重ねた。
子どもたちの成長も、まるで親戚のように見守ってくれている。

私の文章や私自身のことを「好きだ」と言ってくれるかけがえのない人たちに、ブログ(文章)を通して出会えたのだ。私もみんなが大好きだ。
空がきれいだとか夕焼けがきれいだとか、ちょっとしたことでも伝えたくなってしまう。
文字を介してでなければ、ここまで親しくなれたか分からない。
リアルな知人よりもずっと私の内側を知っているんじゃないだろか。

私の人生の宝だと思う。
あのときブログを始めた自分にグッジョブと言いたい。

最近はTwitterやnoteにも活動の幅を広げていてブログの更新頻度は減ってしまっているけれど、そこに行けばいつでも知ってるみんながいて、まるで「実家」のようにホッとできる場所だなぁと思うのだ。


ブログを書くのはとても楽しかった。
どんなに書いても話題は尽きず、伝えたいことで日々あふれていた。
ブログのおかげで、少しずつ私は「言葉」を取り戻しているかのように思っていた。

…が、今から数年前のある年。
人生が一度、めちゃくちゃになった。

いろんなことが次々に襲いかかって、私はダークサイドに墜ちかけたのだ。
でも、持ち前の「マシュマロメンタル」でなんとか踏ん張った。

このマシュマロメンタルという言葉は、ブログやTwitterで仲良くしていただいてる方が私に贈ってくれた言葉でとても気に入っている。
何度潰されてもむくむくと元の形にもどる、マシュマロのようなメンタルという意味だ。

ブログはやめなかった。
書く頻度は減っても、むしろどん底にいるときにしか書けないようなことも書いて繋いで、なんとか心を守った。
やっぱり私は文章に救われるのだな、と思う。

時間をかけて、もうダメかもしれないような日々から少しずつ浮上していったものの、心はすっかり摩耗していて私はふたたび言葉を失った。

ブログに書くのは、どこへ行ったとか何をしたとかいう記録のような文章。
自分の考えを見せない、当たり障りのない文章。

そういう文章がダメなわけじゃない。
でも本当は、自分が見て聴いて感じた気持ちなどを自分なりの言葉で伝えるような、そんな文章が書きたいと思っていた。


そんな私の中の「文章熱」を再燃させるきっかけとなったのが、rockinon.comの『音楽文』

音楽文とは?
音楽について書きたい、読みたい。
音楽文(オンガクブン)powered by rockinon.comは、音楽を愛する書き手と読み手が出会う投稿サイトです。
(サイトより引用)


要するに、アマ・プロ問わず誰でも自分の好きな音楽やアーティストについて思いの丈を語れる場(と私は認識している)

臨場感たっぷりのボリューミーなライブレポを投稿する人もいれば、衝動のままに書き殴ったような感情を揺さぶる文章を投稿する人もいる。
きっちりしてたり、ふわっとしてたり、ユーモアがあったり、いわゆる公式のライブレポートやライナーノーツでは読めないような多様な文章に出会えるのが魅力だと私は思っている。

音楽文の存在はなんとなく知っていた。
ときどき、誰かが書いた音楽文がTwitterのタイムラインに流れてきて読んだことがある。

すごいなぁと思うだけで、自分でも書こうとは思わなかった。
昔の私だったら書いたかもしれない。でも、言葉を失ったその当時の私にはもうそんな情熱は湧き上がらなかったのだ。


…と、思っていたのに。
ある日どうしようもなく「書きたい!」という想いを突き動かされた。

2018年11月16日
amazarashiの初・武道館ライブ『朗読演奏実験空間“新言語秩序”』にて。

【amazarashi】
Vo&Gtの秋田ひろむ、Key&Choの豊川真奈美から成る青森県出身のロックバンド。
バンド名は「日常に降りかかる悲しみや苦しみを雨に例え、僕らは雨曝しだが“それでも”というところを歌いたい」という思いから名付けられている。
素顔は公開していない。
ライブはサポートメンバーを携え、ステージを紗幕で覆い、そこに様々な映像を投影しながら行われる。


武道館へはとても行けなかった私は、そのライブを大阪の映画館でリアルタイムに観た。いわゆるライブビューイングというやつだ。

「言葉を取り戻せ!」
という言葉が何度もつよく繰り返されたあの夜。
その感動のままに、私は音楽文をしたためた。

実はそのタイミングで娘が体調を崩してしまって、保育園を1週間ほど休んでいた。つまり私も仕事を休んでいた。
そのためじっくりと文章に向き合う時間を持てたことも、筆を捗らせた。
それでも長いことちゃんと文章を書いていなかったので、かなり苦戦してしまった。

そりゃそうか。
小学生のときの「文章を書くのが好き」という気持ちだけでなんとなくここまできてしまったのだから。
語彙も乏しければ、表現や技術面でみても拙い。

いわゆる「レポ」はプロに任せよう、私は自分の感じたこと・伝えたいことを自分なりの言葉で書くことにしよう。そう思った。
しかし投稿するからには「そのライブを観ていない人にもライブの様子が伝わるように書きたい」という思いもあり、そのバランスがとても難しく、すぐに頭がオーバーヒートしてしまう。

何度も「やっぱりムリだ」と筆を投げそうになり、その度に他の人の音楽文を読んだ。
すごいなぁ、やっぱり私も書きたいなぁ、と自分を奮い立たせるため。

何よりも、amazarashiのライブの感動そのものが、最後まで文章と向き合うエネルギーを私にくれた。
やっぱり書きたい、伝えたい…!と。

そうしてやっと、音楽文は完成したのだった。
久しぶりに「完成」させられた作品… 心の底からうれしかった。
「投稿」のボタンを押すとき、急に怖くなって緊張が高まった。
いっそやめてしまおうかという思いにも駆られたけれど、最後は勢いにまかせて、えいやっ!とボタンを押した。

音楽文は誰でも投稿できるけれど一応、掲載可否の審査があってそれをクリアして初めて一般に公開される。
私の音楽文は投稿した翌日、無事に掲載していただけた。

信じてたこと 正しかった
 amazarashi武道館公演(ライブビューイング)に立ち会って

…えーっと
お話の途中ですが、ちょっと困ったことがありました。
私、自分のパソコンを持っていなくてnoteはスマホで書いているのですが、スマホだとTwitterやnote記事の埋め込みができないみたいで。
今まではChromeで開いて「PC版サイトを表示」に切り替えてから埋め込んでいたのですが、それも出来なくなっちゃってて。
なので埋め込みの代わりにスクショ(自分のツイートやnoteに限る)とリンクで対処いたします。


音楽文には「月間賞」というものがある。
掲載された音楽文は自動的にその月の「月間賞」の選考対象となり、その中から「最優秀賞」と「入賞」作品(数は決まっていない)が選ばれることになっている。

なんと私はその月間賞に、初めて投稿したamazarashiの音楽文で「入賞」してしまったのだ。

ちなみに月間賞は最優秀賞、入賞それぞれ賞金をいただける。
私はその賞金で、ずっと欲しかったamazarashiのアルバムを購入した(残りは食費に)
amazarashiのおかげで書けた文章だから、amazarashiに少しでも還元したかったのだ。

どんな理由で選んでいただけたのかは分からない。
けれど、選ばれたということは選んでくれた人がいるというわけで、少なくとも誰かの心に私の文章が響いたのだというその事実がとにかくうれしかった。


しかしそれだけでは終わらなかった。
amazarashiの音楽文を投稿してから1年程経ったある日。
Twitterに数件の通知がきていたのだ。

最近なんか呟いたっけな…?
と、特に心あたりのないまま通知を開いて驚いた。
読みながらその場(キッチン)にしゃがみこみ、リアルに体が震えそうになった。 


それはとある音楽ライターさんであり、音楽文の書き手の一人からのメッセージだった。

その数日前、私はrockinon.com公式のamazarashiのコラムをTwitterで読んでいたのだけれど、コラムの最後に書かれてあるライターの名前に見覚えがあった。

それは、私がamazarashiの音楽文を書く中で心が折れそうになったときに読んできた音楽文の中のひとつ、同じくamazarashiのライブについての音楽文を投稿していた方の名前と同じだったのだ。
偶然?いや、きっとあの人だ…!

私はそのコラムをリツイートして、
「プロのライターさんだったのか…!」と、思ったことそのまんま呟いた。完全なるひとりごとである。

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そんなひとりごとがご本人に届くだなんて、そしてまさかのリプライをいただけるだなんて、思ってもみなかった…。

そのメッセージはTwitterの140字には収まりきらず、メモ帳機能のようなものを用いて、一つの呟きに対して載せられる画像の最大数である4枚分の言葉となって送られてきていた。

その人にとってamazarashiは命の恩人であり、絶望の淵からもう一度、音楽ライターの夢へと向かわせてくれた存在だという。
彼は全てをかけてその音楽文に臨んでいた。
この記事だけは絶対に受賞できるものにしよう、と。

しかし結果は先述の通りで、入賞したのは私だったのだ。

同じアーティスト、同じライブへの想いを文章に起こして自分は負けてしまったのだと、一度は悲しみに暮れた、と彼は言う。
でも、繰り返し私の音楽文を読んでいく中で
「この人にはどうやっても勝てなかっただろうな」という称賛の気持ちに変わっていった、と。

そして、私が書いたamazarashiの音楽文を超えたい…!という想いを胸に、その後も音楽文へ投稿をつづけてきたこと。
そうして、諦めかけていた音楽ライターへの道をいま歩みはじめていること。
そのきっかけに、私の存在があるということ。

真っ直ぐ、丁寧な言葉で伝えてくださった。

これはとんでもないことが起こってしまった。
ただならぬ想いを受けとってしまったぞ、と胸が震えて仕方なかった。

誠心誠意尽くしてお返事かかねば…!
乏しい語彙をたぐり寄せて、気持ちを整理して、私は1日かけてお返事を綴った。
スマホのメモ帳を使って、スクショ4枚分のメッセージ。


いただいたメッセージを読んだとき、実は少しだけ恐ろしかった。
だって危うく一人の人間の尊い夢を潰してしまうところだったかもしれないのだ。
自分の知らぬ間に、誰かの文章を打ちのめしていたなんて。
自分の文章にそんな、殺傷能力(?)があっただなんて…。

けれど、彼は悲しみから立ち上がった。
今まさに、音楽ライターへの道を歩んでいる。
そのきっかけに自分が関与しているというのが信じられないけれど、心からうれしく光栄に思う。

でも何よりも、彼自身の「それでも」と何度でも立ち上がる精神こそが夢を切り拓く鍵になったのだと、私は思わずにいられない。


あれから、私は彼の文章を読むのをとても楽しみにしている。
彼の音楽への愛情と知識はとても深く、ブログは宝箱のようで、私にとってまだ知らない素晴らしい音楽と出会えるきっかけになっている。

音楽が好きな人は一度覗いてみてほしい。
あなたの人生に彩りを添えてくれる、そんな音楽に出会えるかもしれないから。
キタガワのブログ


amazarashiの音楽文をきっかけに、私はまた言葉を取り戻しはじめた。
時間はやっぱりとてもかかるけれど、長い文章も最後まで投げ出さず組み立てられるようになった。

その筆頭が、私がnoteをはじめるキッカケとなったパプアニューギニア海産さんについての文章


「働けないひと」が「働けるひと」になるまでと、これからと 〜パプアニューギニア海産をひとつの目印にして〜


「好きな日に働けて、休むときの連絡も不要」な大阪のエビ工場。
かつて息子の療育と仕事と家計の狭間で悩んでいた私にとって、大きな道しるべ・希望の光となっていた会社への5年越しの想いの丈。

この文章は、完成までに1年以上もかかってしまった。
けれど初投稿にもかかわらず多くの反応があり、note編集部のオススメにピックアップされたことも手伝って、たくさんの方に読んでいただけたので本当にうれしかった。

その後、noteには様々な企画(コンテスト)があることを知り、その中のひとつ『#こんな社会だったらいいな』に参加。

…と言っても、まだnoteにまめにログインしていなかった当時の私はその企画のことを締め切り当日に偶然ログインして知る。

パプアニューギニア海産の記事は企画のテーマにぴったりだと思い、過去記事でもタグをつければ応募OKとのことだったので滑り込みで参加したのだった。

そして後日、【#こんな社会だったらいいな】SIFプロデューサーお気に入り作品紹介 としてピックアップしていただいた。
ここでもまた、記事を読んでくださる方が増えた。
とてもとてもうれしかった。
結果としては特に入賞などしなかったけれど、ちゃんと届いているんだ…!ということを実感できたから。

もともとnoteはパプアニューギニア海産のことを書きたくて伝えたくて始めた。だからそれだけ書ければよかった。
そう思っていたけれど、私は考えを改めることに。

企画をこまめにチェックし、次のチャンスを待った。
そして出会ったのがnote×LINE証券の企画
『#わたしが応援する会社』

わたしが応援する会社、もちろんパプアニューギニア海産さんに決まってる!
書きたい、書かねば…!

その企画も、タグをつければ過去記事でも参加可能だった。
けれど私は企画用にあらためて書き上げることにした。
まだまだ伝えたいことがある。

1年以上かけて書き上げた文章を、今度は1ヶ月ちょっとかけて書き直した。しかも挿絵的なイラストまで添えて。


「働き方」から「生き方」をみつめる
〜パプアニューギニア海産に灯してもらった希望〜


書くのに時間かかる私が…!締め切りに間に合った…!うれしい…!!

まるで小4のゴールデンウィークのあの日のような達成感。
イトウ先生、わたし、やったよ…!

文字数は削れるかと思いきや、多分最初のより増えてしまってる。
我ながら熱意が狂気じみてると思う。

そして結論から言うと、私が応募した文章は「入賞」したのだ。
(よかった、ただの狂気で終わらなくて)

うれしい。ものすごく嬉しい。
すごい。うれしい…!

けど、正直に言うと もう少し上を目指したかった。

というのも、入賞すると賞金がいただけるのですが、その賞金でパプアニューギニア海産のエビをたくさん買いたかったから。

そして、そのエビを食べた食レポ記事とかレシピ記事をnoteに書きたい!という秘かな夢があったから。

パプアニューギニア海産の「働き方」だけでなく、エビの美味しさや魅力ももっと伝えたかった。
あと、わが家の再建費用としても活用したかった(切実)

文章を書いたのは私だけど、元々すごいのはパプアニューギニア海産さんだものね。
それで賞をとれたなら、パプアニューギニア海産さんにやっぱり何か還元したいなと思うし。エビ買いたかった。

でもね、結果発表で他の受賞者さんのnoteを読んでみたら納得の結果だったの。
グランプリ作品はもう本当にブラボーだったし(私もオレンジページさんの「ゆる自炊BOOK」買いました)
どの作品も読んでておもしろいし、ほっこりするし、確かにその会社のこと応援したくなっちゃうし!
文章としても「なるほど〜」と勉強になることばかりで。

こんな錚々たる文章の中で「入賞」できただけでも本当に光栄だと思った。
食レポとレシピnoteもきっといつかまた。
(最近はパプアニューギニア海産さん公式でお料理動画をアップされているので不要かもしれないけれど。
「エビはプロ 料理は素人」シリーズ、なんだか元気になれる動画ですよ)

「入賞」の賞金1万円は、わが家が次のお給料日まで生きのびる費用としてありがたく使わせていただきました。

私のnoteをたどって、パプアニューギニア海産の工場長 武藤北斗さんのnoteへ訪れる人もいたようで、私はそれがとても嬉しかった。
会社のことを知ってもらいたくて書いたのだから、もう、それこそ本望です。

武藤さんご本人にも読んでいただけて、「僕が思ってる大事な部分をうまく表現してくれている。なんか頑張ってきてよかったとすごく思った」とありがたい言葉をいただいた。
(よかった、一方的な狂気で終わらなくて)

この企画への参加は、入賞という結果だけでなく「締め切りに間に合った」ということも含めて私の中で大きな自信に繋がったと思う。


その後も私は文章を書きつづけ、音楽文にも数回投稿、つい最近にも投稿して掲載していただいたばかりだ。
令和2年のハナミズキ
 時を経て届いた、一青窈さんの「祈り」

音楽文には「名無 ひと」という名前で投稿している。
これは、初めて音楽文に投稿するきっかけとなったamazarashiのライブ『新言語秩序』でも演奏された曲「ナモナキヒト」と、私のHNである「ひと」を掛け合わせたもので、ライブの余韻が抜けずにしばらくTwitterのHNを「ひと」から「名無ひと」に変えていたことが由来になっていたりする。

今回の文章は私にしてはめずらしく、1週間ほどで一気に書き上げた。
文字数も、私にしては少なめの4446字。
今までずっと読むのに「10分以上」かかる枠だったけれど、はじめて「5〜10分で読める」枠に入れた。うれしい。

少しずつだけど、かかる時間も文字数もコンパクトになってきてるのかなと思う。
適切な文字数で、伝えたいことを書けるようになってきてるのだとしたら、うれしいな。
文章を通して、自分の成長のようなものを僅かでも感じられると、楽しいな。
言葉を失って、「もう自分に文章は書けない」と嘆いていた頃の自分に見せたげたい。


だけど、手放しで喜べない部分もある。
それは、文章と向き合いすぎてしまうこと。

わたしにとって想いを文字にすることは、こころの安定にもつながっている。でも…

文章とばかり向き合いすぎて、目の前にいる子どもたち(当方2児の母です)と向き合えていないときがある。

文章を書くには静かで集中できる環境が必要になる。少なくとも私は、誰かや何かの相手をしながらだとうまく言葉を紡げない。
だから子どもたちが寝ている間に… そう思うけれど、その時間は他にもすべきことがたくさんある。
それに、文章は時場所かまわず頭の中にあふれてくる。
忘れないうちに、すぐに書き留めておきたくなる。
すると、目の前の「すべきこと」が疎かになってしまう…。

夫にも「最近文章ばっかり書いてるな」と呆れられてしまう始末。
私が文章を書いて何度か賞をいただいてることも、賞金をいただいていることも、夫には話している。
どんなことを書いているかまでは知らないけれど、受賞については素直にすごいと褒めてくれたりもしているし、私が文章を書くことをそっと認めてくれてる感はある。

その証拠に、サムネイル写真の万年筆は今年の誕生日に夫が贈ってくれたものなのだ。
文章を書くためにスマホの画面ばかり見ている私に、アナログでも書くことを提案してくれた。

残念ながらその万年筆はどうにも調子が良くなく、インクがなかなか出てこなくって今のところほとんど使われていないのだけど…
夫は、文章を書くこと自体を否定しているわけではないのだ。
ただ、文章に夢中になりすぎて大切なことを見失わないで… そう伝えたいんだと思う。

夫は私のダメダメな部分をよく知っているからこそ、私が文章を書いてる光景はさぞ不思議だろうと思う。

考えてもみてよ。
言葉を取り戻しつつあるとはいえ、世間知らずで思慮もたいして深くない私みたいな人間がなにかを語ろう伝えようなんて、滑稽だよ。やめちまえよ。

そう言われたって仕方ないのだ。

でも… ごめん。やめられないんだ。
やめたくないんだよ。

amazarashiの秋田さんも「言いたいことは言葉にすべきです」と言っていた。
だから、という訳ではないけれど言葉にすることを諦めてしまいたくないと思う。
言葉は難しいけれど、それでも。

もっと子どもたち(夫)に向き合いたいという母親(妻)としての自分と、
文章を書きたいという一人の人間としての自分とが、もうずっとせめぎ合っている。

ゆらゆらどころかグラグラして危なっかしい。
このままいけばいつかバランスを崩して取り返しのつかないことになってしまう。

だからこそ、文章にかける時間をなるべく短くできたらと思う。
もっとスパパパン!と書けるようになって、文章以外のことにも向き合う時間を持てるようになりたい。
その「時間」はきっとまた、文字になって紡がれるのだろうけど。


文章を書く理由は、いろいろ複雑に絡まり合っているので一言で語るのはむずかしい。

記録のため、思考の整理のため、誰かになにかを伝えるため。
見たこと、聴いたこと、感じたことを「表現」するため…etc.
私にとって文章は「存在の証明」であり、コミュニケーションの手段でもある。

書くと、ぼんやりと思っていた事柄の輪郭がはっきりしてくる。
少しだけ理解が深まる…ような気がする。
あと、単純に癒される。
自分の感情に向き合って書くことで、気持ちが落ち着く。

でも、私がここまで文章にのめり込んでいるのには、まだ理由がある。

私にとって文章は、崖っぷちギリギリでどうしようもない現状を切り拓くための手段。一縷の望み。最後の砦でもあるのだ。

例えとして適切かは分からないけれど、「フランダースの犬」で家族、仕事、お金、住む場所など多くを失ったネロが、絵画コンクールにすべての望みを託したときのような。

いわば自分の強みなのだと思う。
なんて言うとさぞ自信たっぷりなのかと思われそうだけど、自信はない。でも信頼はしてる。

もちろん、「書きたい」という強い想いがあってこそ。
書きたいと思うからこそ書くし、それを読んでもらえて、誰かになにか伝わるものがあったなら、とてもうれしい。
そして、そこに金銭的な価値までも生じるのだとしたらなお嬉しい。
需要と供給のマッチング最高(?)

逆に、たとえ賞金や何か見返りのようなものがあったとして、「書きたい」と思えなければそこまでの時間と情熱はかけられない気がする。わかんないけど(プロはそれじゃダメなのかもしれないけど…)

ネロだってもともと絵を描くのが好きだったから、絵画に懸けたんだと思うんだ。
その分、希望を失った瞬間のダメージは相当に大きかっただろうけど…
そりゃあ「僕はもう疲れたよ…」となってしまう。

私も何度も「もう疲れたよ…」という状況に陥ってきた。

でも、あともう少しだけ続けてみたら
何かが好転するかもしれない。

それは努力の結果だったり、「棚ぼた」だったり、何が飛び出すかはわからない。
一寸先は闇かもしれないし、光かもしれない。
分からないから、エイヤッ!とその先へ踏み出してみたくなる。

もちろん、「見切りをつける」ことも時には必要かもしれない。
でも、いつまでもしがみついて「これしかない」と思えるようなものがある人生も悪くないんじゃないかな。

「いつかきっと」
そんな日を信じて懸け続けるのだ。
いや、書き続けるのだ。


私はいま、あることに懸けようとしている。
もしもそれで結果が出たら、わが家の苦しい状況を打開できるかもしれない。とか思っちゃったりしている。
まさにフランダースの犬のネロ状態だ。

もちろん若かりし日の私のように、その目的のために「仕事やめようと思うんです!」などと言うつもりはない。
今まで通り堅実に、淡々とパートとして働いて収入は得つつ…時間はとてもかかるかもしれないけれど。
文章以外のことにも、向き合いながら。

正直言わずとも自信はない。
でも、「書きたい」「やってみたい」という衝動は止められそうにないのだ。


ところで、文章を書くことは「孤独との戦いだ」というような言葉をどこそこで見聞きした気がするのですが、そうなのでしょうか?

確かに、書いてる間は基本的に一人で、自分の世界に閉じこもってひたすら言葉に向き合っている。
チームを組んだり誰かと共同で作業するよりも、どちらかと言うと単独作業かもしれない。
そういう意味では「孤独な作業」なのかもしれない。

でも文章を書くとき、少なくとも私の中にはいろんな人がいる。
それは同じく文章を書くことに情熱をかける人たちだったり、私の文章を好きだと言ってくれる人、応援してくれる人、支えてくれる人だったり。

だから、「ひとりだけど、ひとりじゃない」という感じがする。

はじめてブログに「いいね!」がついたとき、コメントをいただいたとき、読者がついたとき。
はじめて音楽文に感想をいただいたとき、想いを受け取ったとき。
はじめてnoteに「スキ」がついたとき、コメントをいただいたとき、「オススメ」していただいたとき。

はじめて反応があった時のことは、毎度世界がひっくり返るほどの衝撃で。

一人で壁に向かって言葉を紡いでいたら、ある日壁の向こうから自分のじゃない声が聴こえた。みたいな。
壁だと思っていたら壁じゃなかった!みたいな。

なんだかうまいこと表現できないのだけど、画面の向こうにいる人の存在を、体温を、感じられたとき。
なんていうか、とても愛おしいなと思う。
人も、文章も。


文章を書いていたら、想像もしていなかったようなことが起こったりした。
文章を書いていたから出会えた人、つながったご縁もある。
大袈裟かもしれないけれど、見える世界が変わったんだ。それも、何度も。

文章ってすごい。
文章に何度も救われた。

私から文章を取り去るということは、つまり水槽のエアーポンプを切られるような感じで、きっと息苦しくなってうまく泳げなくなる。生きてる感じがしなくなる。

わたしに、文章があってよかった。
心から、そう思う。
願わくば、自分以外の人たちにもそんなふうに思ってもらえるようになれたらいいなと思う。


私はこれからも文章を書くだろう。
世間知らずで思慮も経験も浅くて自信もないけれど、言葉にしなければずっとこのままだと思うから。
文章を通して起こる奇跡みたいな出来事に、まだまだ出会ってみたいから。

ときには苦しかったり辞めたくなったりするかもしれないけど、伝わった!という感動は何物にも変えがたくて、何度味わっても飽きないんだ。

だからさ、やっぱり…

文章書くの、やめらんないよね。



というわけで、わたしを支え形作るものたちのルーツをたどる文字の旅『◯◯ と わたし』シリーズ第二弾は「文章」についてでした。

7年書きつづけているブログでも語ってこなかったような、破天荒エピソードも初公開してしまった。

次は「料理」か「お菓子づくり」辺りかな。順番的に(一応、好きになった順で書いていこうかと)

相変わらずマイペースな更新だと思いますが、もしお気に召されましたらまた覗いてもらえるとうれしいな。
最後まで読んでくださってありがとうです。

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