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「働けないひと」が「働けるひと」になるまで と、これからと ~パプアニューギニア海産をひとつの目印にして~


私は、私が生きてきた狭い世界のことしか知りません。
自分が体験したことしか、本当の意味では分かることもできません。

でも、そんな私のちいさな世界も 他人から見れば「知らなかった世界」の話かもしれない。

だから少しでも知るきっかけになればと思って、このnoteを書きます。


はじめましての方のため、かるく自己紹介から始めます。

小学3年生の息子と、2歳の娘をもつ2児の母です。
去年の4月から、週に3日ほどのパートタイマーとして働いています。

高校卒業とともに大阪で暮らし始めて、大阪での生活も今年で12年目?です。

府内で何度か引っ越し、その度に仕事(アルバイト)も転々としてきました。
長く勤めたところでも2年半… 社会人(正社員)の経験はありません。

何度目かの引っ越しにして今やっと、住居も仕事も安定したかなぁというところです。


突然ですが…
お仕事、なんのためにしていますか?

きっと働く理由も、形態(パート、フルタイム、派遣、正社員、フリーランスetc.)も様々で。
自分で選んで、望んで、その通りの職に就いた人もいれば、なんとなく成り行きでとか、そうせざるを得ない理由があって今の職に就いている人もいると思います。今は働いていないという人も。


私の場合。
昔は夢があって、その夢で、好きなことで食べていきたいと本気で考えていた頃もありました。

諦めた、と言える潔さはなく。でも、諦めていないと言える説得力もなくて。
いつかまた頑張れるという見込みもイマイチ… イメージが湧きません。
優先順位が変わってしまった、そう思うことで今のところ納得しています。

今は日々を繋いでいくことで精一杯で、私にとって仕事といえば紛れもなく「生活のため」です。

自分や家族が食べていくため、着るものを買うため、水や電気やガスの通った家に住みつづけるため…

それらは必要最低限で、もうちょっと贅沢を言えば 家族や友達と美味しいものを食べに行ったり、年に一度くらいは実家へ帰省したり、旅行へ行ったり、子どもが「やりたい!」と言ったことにどんどん挑戦させてみたり、大好きなアーティストのCDを買ったり、ライブへ行ったり… なんかもしたいところです。

別に贅沢ではないかな。
「健康で文化的な最低限度の生活」のうちですよね、きっと。
でも今の我が家はそれらが十分にできているとは言い難い暮らしぶりです。

生きていくため、その日々を豊かにするためには少なからずお金が必要なので、そのために私は働いています。

そんな調子なのであんまり仕事にやりがいは求めていませんが、やってくうちに見つかることは多いです。端から見れば些細なことかもしれませんが、生活のための仕事なのでそれくらいでちょうどいいかなとも思っています。

働けるだけありがたいので、働ければ何でもいい… と言いたいところですが、できれば自分に合った仕事をしたいな〜と思ってしまうもので。

でも、自分に合った仕事って一体なんだろう… と、長年悩みつづけてきました。

その答えになり得るような一つのカタチを、もしかしたら見つけたかもしれません。

そんなお話です。


まず、この記事を読んでみてほしいのです。

これからのお話の要となるパプアニューギニア海産という会社の工場長武藤北斗さんが 自ら新聞に投書した文章です。

短めの記事ですが、パプアニューギニア海産という会社の特徴、今まで取り組んできたこと、取り組んでいることなどが分かりやすくまとめられています。

私が工場長を務める会社のパート従業員は、出勤する日も休む日も自由で、会社に連絡は不要です。退社も30分刻みで自由にできます。出退勤時間はタイムカードで管理。さらに3月末からは分刻みで好きな時間に出勤できるようになりました。

(一部抜粋)


始めに申し上げておきますと、私はパプアニューギニア海産さんの従業員でもなければ、取引先、親族などなど一切の関係者ではありません。

私がこの文章を書くのは、ただ個人的に感銘を受けて応援しているからに過ぎません。

逆に言えば、関係者でもなんでもない人間にここまで(かなり長文です)書かせるパプアニューギニア海産って一体どんな会社なんだろう?
と興味をもっていただけたら幸いです。

会社の存在を知って約5年、想いを文章に起こそうと思い立ってからは1年とちょっとが経ちました。
もちろんその間毎日ずっと書きつづけていたわけではありませんが、こうして形にできるまでに想像以上の時間と気力が必要でした。

何がそこまで私を突き動かしていたのか、その正体も、書いていく中で見つかりました。

ちょっと(?)長いですが、よければ是非お付き合いください。



出勤も欠勤も自由な大阪のエビ工場

パプアニューギニア海産という名のその工場は、大阪の茨木市にあります。

パプアニューギニアの海でとれた無添加の天然エビ一筋に30年以上、工場でむきエビやエビフライなどに加工し販売している会社です。

フリースケジュール制という特徴的な「働き方」が話題となり、ニュース等メディアで取り上げられることも。
その度に様々な反響があります。


「好きな日に連絡なしで出勤、欠勤できる。出退勤の時間も自由」

「嫌いな作業はしてはいけない」


そう聞いて、どんな印象を受けるでしょうか?

羨ましい?素晴らしい?

それとも、そんなの夢物語?うちの会社では無理…?
それで上手くいくの?成り立つの??

賛否や疑問があるのは当然かと思います。

ただ一つ言えるのは、パプアニューギニア海産はフリースケジュールなどに取り組んですでに6年以上、実績を上げてきた実在する会社だということ。

ちなみにフリースケジュールが適用されるのはパート従業員のみで、その多くは子どもを持つ母親だそうです。

時給という働き方を選んでいるのには何かしらの理由があるはずと武藤さんは言います。

私も時給で働く身なのでよく分かるのですが、出勤しなければその分お給料は減ってしまうわけで…
それじゃ困るので、働ける日には積極的に働いて毎月一定の収入を得たいと考えます。

するとトータルで見れば出勤日数や人数に大きな差は出にくいし、誰も出勤する人がいない、なんてこともそうそう起こらない。
…というのは、私からするとそんなに不思議ではなかったりします。

でも、特に経営者目線だと、出勤・欠勤を自由にしたら誰も来なくなるのでは…?と、不安に思うものなのかもしれません。
だからこそ、「思いきってる!」「斬新だ!」と注目も集まるのでしょう。

パプアニューギニア海産では、フリースケジュールにしてからパートさんが誰も出勤しなかった日が過去に2回だけあったそうです(その内1回は台風による警報が出ていた日)
その2回は社員でカバーしたため、欠品もなかったとのこと。

出勤日が自由なだけでなく、お休みするときには連絡も要りません(と言うより連絡するのは禁止)

誰が来ていないとか遅刻してるとかをいちいち気にしなくていいので、パートさん同士だけでなく、武藤さん自身も余計なストレスが減ったという思わぬメリットもあるんだとか。


もう一つのルール「嫌いな作業はしてはいけない」については、嫌なことや辛いことも我慢して頑張るのを美徳とする風潮の残る社会では、眉をひそめる人もいるかもしれません。

でも、嫌いな作業をしない=好きな仕事だけするというわけではありません(ニュースなど見た人に誤解されやすいそうです)

パプアニューギニア海産では、各作業工程を書き出した表を用意して、従業員に嫌いな作業にバツ印をつけてもらうアンケートを定期的に行い共有し、バツ印をつけた作業はしてはいけないことになっています。
が、それ以外の「好きな仕事」「好きでも嫌いでもない仕事」はすることになっています。

その人にとって精神的・肉体的に負担が大きすぎることだけを避けるのです。
自分にとっては苦手な作業も、他の誰かにとっては好きな作業だったりするもので(もちろん偏ることもあるので、そのときは平等に振り分けるそうです)

したくないことを嫌々するより、それぞれが好きな(好きでも嫌いでもない)作業に専念できた方が効率的、という考え方です。

でも「嫌いな仕事はしてはいけない」というそれ自体はさほど重要ではなく、大切なのは自分の意思を表明し、それを尊重してもらえるということ。

だから、嫌いな作業に挑戦したいと思えば それを選ぶこともできます。
表に×印を書かなければいいのです。

自分で決めたなら、少なくとも「嫌々する」ということがなくなるので、仕事に対する向き合い方が変わってきます。
そしてそれは商品の品質にも繋がっていきます。


私生活でも、立ち向かわねばならない問題や困難はいくらでもあるもので…

仕事くらい、余計なストレスを抱えずに淡々とこなしたい…  そんな人にとって、パプアニューギニア海産の働き方は魅力的だと言えるのではないでしょうか。


このように従業員が働きやすい環境を探求していった結果、
人が辞めないので人件費は下がり、個々の仕事の質や従業員同士のチームワークは上がって、結果的に品質の向上にも繋がって…
と、働く人にとっても会社にとってもいいことづくしな環境の中で、パプアニューギニア海産は実際に利益をを上げていったのです。
(と言っても利益は後からついてきた、という感じだそう)


しかし、もとからこんな風通しの良い会社だったのではなく、フリースケジュール制を取り入れる前は逆に「従業員を管理し、規則で縛るのが当たり前」だと武藤さんは思っていたそうです。
監視カメラまでつけて今とは真逆だったのだとか。

でも、だからこそ誰でも変われる。自分だってそうだったのだから、と語る武藤さんには説得力があります。


そんな武藤さんが変わるキッカケとなったのが、2011年の東日本大震災。

もともとは宮城県の石巻市にあった工場が津波によって全壊してしまい、
縁あって今の工場がある大阪の茨木市へ移転することになりました。

震災による債務を抱え、被災指定地から離れたという理由で国からの援助もなくなり、再建が思うように進まない… そんな苦しい中で 働き方の改革を始めたのだそうです。


会社を救った働き方改革

働き方を改革するにあたって、パート従業員の一人一人と面談をした武藤さん。

そこで語られた「本音」から見えてきたのは、武藤さんが知らなかった(気付かなかった)現場の実態でした。

従業員同士の嘘や、争い事。
誰も自分のことを信頼していないし、会社のことも好きではない…

従業員が生きていない、生かされていないのだと感じて、「従業員が生きるための職場」にしなければという想いが武藤さんの中に強く湧き上がったと言います。

目指したのは、従業員が働きやすい職場。

自分だったら?自分の妻がパートだったら…?
どんな会社だったら働きやすいだろう?

いつ働けるかよりも いつ休めるかが大事で、気兼ねなく休める会社ならすごくいいだろうなと武藤さんは考えました。

これが、出勤も欠勤も自由(休む際も連絡はNG)なフリースケジュールに取り組むきっかけとなったのです。

結果としてこの改革が会社を救ったとも言います。


私の話になってしまいますが、昔から欠勤の連絡をするのがとても苦手です。
子どもを産んでからは特にそう思います。

子どもは(もちろん個人差ありますが)度々熱を出します。
出勤当日の朝、急に熱を出すことも少なくありません。
熱が下がったかと思えばまた別の病気にかかったりして、振り返れば今月は5日しか出勤できていない… そんな時もありました。

明らかな高熱や感染症だと分かっていればお休みしますが、微熱や治りかけ、熱はないけどしんどそう… とかだと判断に悩みます。
他の人に代わってもらうのも申し訳ないし… と。
けどもし熱が上がってきたり、何かの感染症で、登園させたばかりに他の子に病気を広げてしまったらかえって迷惑をかけることにもなります。

登園させる?させない?
仕事休む?休まない?どうしたらいいの?

…と、子どもが体調を崩す度にこういった判断に頭を悩ませ、責任を感じて押しつぶされそうになるのです。

休みの連絡をする度に、申し訳なくて、憂鬱で。
こんなに休んで迷惑をかけるくらいなら仕事を辞めてしまおうか… でも辞めたら収入が… 生活が… と、休みの連絡一つでかなり精神的に削がれていました。


また、子どものいる生活は大人のスケジュール通りに事が運ばないこともしばしば。
子どもは本当に自由で、こちらの都合などお構い無しです。

着替えない、朝ごはん食べない、出発直前にうんち、寄り道etc.

迫る出勤のタイムリミット
急いでいるからイライラして、ついには「早く!」と急かしてしまったり、ギャン泣きで仰け反る子どもを抱っこして駅までダッシュ…
わたし、何してるんだろう… なんてことも。

時間に追われてキツイ言葉や態度で接してしまい、子どもは自分の思いが叶わず泣く…
これはお互いにとてもツライです。

あぁ、もっと話を聞いてあげられたらよかったなと後から一人反省会しても、次の日になればまたバタバタな日常の繰り返し。


でも、出勤時間も欠勤も自由なフリースケジュールなら、
今日は愚図りがひどいから、少し落ちつくまで待って出勤しようかなとか
もう少し子どもの話をじっくり聞いてみようかなとか
今日はしんどそうだから、休んで家でゆっくりしようかなとか…
逆に、この間はお休みしたから今日はがっつり働くぞ!とか

そういった柔軟な選択をすることが可能だと思うのです。
目の前の家族を、自分の生活を優先させることができる。
私にとってこれはとても魅力的なことです。


こういった柔軟な働き方ができる職場を必要としている人は少なくないのでは、と思っています。

例えば、子どもが小さくて思うように働けない人。
自身や家族に病気、障害があって決められた時間で働くのが難しい人。
家族の介護で働ける時間が限られている(長時間働けない)人。
追いかけたい夢がある人。
最初に載せた記事(↑)の中に出てくる「30年間一度も働いたことがなかった男性」のような人。などなど…


本当にどうしても物理的(精神的)に働くのが無理な場合もあると思います。

でも、「働けない」人の中には本当は「働ける」「働きたい」はずの人が多く存在していると感じるのです。

働く日時をその日その日で選べるなど、もっと柔軟な働き方ができる職場が増えれば、多くの「働けない」人たちは「働ける」人になれるのではないでしょうか。

自分で「選べる」って、働くということに限らず 人間の本質的な喜びの一つなんじゃないかと私は思うのです。



人は争うもの

数年前、私は「働けない」人間でした。

私がパプアニューギニア海産のことを知ったのはその頃です。

生活がカツカツで、でもなかなか仕事が見つからなくて(つづかなくて)
虚ろな目で求人を眺める日々に飛び込んできたその会社の存在は、私にとって希望の光でした。


現在小学3年生の我が家の長男は、3歳半のときに「広汎性発達障害」、「精神遅滞(軽度)」※いわゆる知的障害 と診断されました。「自閉症スペクトラム」とも。

療育手帳も持っていましたが、成長とともに知的面の発達が伸びたため、今は返還しています。

自閉症は字面から誤解されやすいのですが、いわゆる引きこもりや心の病気ではなく(二次障害としてそういうことは起こり得ますが)先天性のもので、脳の働きが異なることが原因と言われています。

大人しいタイプもいれば、やんちゃでお喋り(うちの子)なタイプもいて、性格も千差万別。
それぞれの特性に合った支援や工夫が、日常生活の中で必要になることがあります。

病気ではないので「完治」ということはなくても、療育や適切な支援によって 本人も周りもより生きやすい生活を送ることは可能と言われています。


私も、息子の療育のために保健センターへ出向き、そこで紹介された市の療育園へ通うことを考えていました。

当時息子は保育園や幼稚園には通っておらず(託児所付きの職場に預けていた時期もありましたが、引っ越しとともに仕事からも保育施設からも離れました)
保育料という出費がない代わりに、私は仕事に行けないので収入はなく(たまに家族が休みの日に息子を預け、単発バイトで収入を得る程度)自宅でこぢんまりと暮らしていました。
(この後いろいろと大変な出来事がつづき、どんどん経済的に困窮していくのですが…)


療育にしても保育園にしても、通うとなると毎月の利用料やその他の雑費で出費は避けられないため、仕事を始める必要があります。

保育園へ預けて(加配をつけて)フルタイムで働くことも考え、一度は市役所へ手続きにも行きました。

しかしそこで告げられたのは、息子の発達状態では保育園への入園は不可(加配も付けられない)という判定。

今になって思うと、もう少し踏み込んでみるべきだったというか、他に手立てがあったのではと思うのですが…(息子と同程度、もしくは息子より重度の障害判定を受けていても地域の保育園へ通っている子はいるので)
その時の私は息子のこと以外にもいろんな状況が重なりいっぱいいっぱいで、もう自分で調べたりする余力はなく…
「入れません」と言われれば「あ、そうなんですか…」という感じであっさり引き下がってしまったのでした。

保育園がダメなら、残された道は療育園。
療育園の目的はあくまで「療育」であって保育ではないので、親(と言ってもほぼ母親)が子どもと一緒になって療育に参加する必要がありました。
そのため、仕事をするのはなかなか難しいと聞いていました。
※県や施設によって違いはあると思います。

禁止ではなく、「療育に支障がない範囲でなら働くことも可能」ということだったので、私は入園前に園長先生にも相談して、短時間のバイトを探し、入園と同時に働き始めることにしました。

園の近くの家電量販店で、週に3日、1日4時間程度の勤務。
これなら療育に通いながらでも働ける、生活もちょっとは楽になるかも…

と希望を抱いたのは束の間で、蓋を開けてみれば「働くことも可能」というのは「ほぼ不可能に近い」状態でした。

私の他にも働いているお母さんは数人いましたが、ほとんどの人は隠すようにして働いていました。

なぜなのか。
それは、働いているお母さんのことを 良く思わないお母さんがいたからです。

園には「保護者会」というものがありました。
その名の通り保護者が運営していて、療育の傍ら毎日集まり、ミーティングや何かしらの活動をしていました。
それらの活動に、仕事を理由に参加しないのはタブーだという空気があったのです。

しかも活動の予定は急に決まったり変わったり、ということがわりと頻繁にありました。
その度に、勤務先に頭を下げなければならないということなのです。

入園してすぐ、仕事をしている新入りの母親たちが集められ、保護者会の会長・副会長から「そのこと」について告げられました。

正直、入園する前にもっとその辺詳しく知っておきたかった…と思いました。もう仕事も決まってしまったのにどうしよう…

「子どものために覚悟を決めて仕事を諦めた人もいるから、仕事を理由に保護者会の活動を休んだりはしないでほしい」とお願いされました。

仕事だから仕方ない、と言って保護者会をサボろうというつもりは毛頭ありませんでしたが、働いているというだけでずいぶん肩身が狭いんだな… と思いました。

でも、会長・副会長が言っていることも理解はできました。
中には、長い間積み上げてきたキャリアを手離したお母さんもいたはずです。

共働きだったのが一馬力になって、今までほど贅沢な暮らしはできなくなるかもしれないけれど子どものためなら…と覚悟を決めたお母さんもいるでしょう。
それらの想いはどれも切実なものです。

でも、本当に本当に貧しくて働かないと食べていけない・ライフラインが止まってしまうような家庭や、シングルマザーで自分が働くしかないお母さんたちの想いもまた、切実です。
仕事を手離せない理由があるのです。

子どもに療育を受けさせたい、でもキャリアも手離したくない!というお母さんの覚悟もまた、尊重されるべき決断だと思います。
両方を望むのはそんなに贅沢なことでしょうか。


会長・副会長はきっと 揉め事を避けたくてそんな話をしてくれたのだと思いますが、保護者同士の対立や陰口はそれでも起こってしまっていました。

保護者会の遅刻や欠席が目立つお母さんは、本人のいないところでいろいろ言われていました。

ひどい時は、あの人は持ち家だとか、身に付けているものを値踏みして「お金ないって言いつつ贅沢してるよね」などという声までも。

「非の打ち所がない貧困」でなければならないという強迫観念みたいなものが、私にも付き纏いました。
どんなに安くっても、頂き物でも、新しい服を着て行くときは周りの目が気になるようになってしまいました。

ただ生きていくために働いているだけなのに。なにも悪いことはしていないはずなのに、どうしてこんなことに…?

「こっちの事情も知らないくせに」と、陰で怒りを露わにしている人もいました。涙をこらえているように見えました。

それでも、誰かが「苦しい」と声を上げれば、自分で選んだ結果なんだから、と自己責任論が飛び交うことも。

自分が直接言われたわけじゃなくとも、それらを耳にするだけでもう怖かった。自分もどこかで言われてるかもしれない、って。
苦しくても、声を上げることは躊躇われました。

保護者会での議論に発展したり、直接口論する母親もいました。


本来なら、こういうことで母親同士が争うべきではないはずです。 
子どもに障害があると分かっても、働くことを諦めなくていい社会だったら…

何かを諦める前に、手を差し伸べてくれるような制度が無いわけではありません。
むしろ、日本のセーフティネットは充実しているのかもしれません。
でも、それらが正しく機能していない例も度々見てきました。
せっかくの制度も、必要なときに使えないのでは意味があるとは言えないです。

さらに、それらの情報が必要な人たちに届いていない場合もあります。
窮地に追い込まれている人の中には、自分で情報を得る余裕すらなくなっている人もいるのです。
情報は持っていても、世間の声を気にして利用に踏み込めない人もいるでしょう。

とりこぼされた人たちはどんどん追い込まれ、心を病んで、行き場のない思いは、時に他者への攻撃という歪んだ形となって現れて…

社会の歪みのひとつの形が、この保護者会だと思いました。

こんな状況きっと健全なはずがない。
今のままじゃ、保護者会はダメになる。誰かが潰れる… そんな気がしてなりませんでした。
(実際、そういった理由で途中退園していった人もいたのではないかと思います)

なんとかできないかと思いつつも、私も自分の生活で精一杯。どうすることも出来ないまま月日が過ぎていきました。

ただただ暗黙のルールに従いながら、なるべく誰も敵に回さぬよう、保護者会にもバイト先にも迷惑をかけないようにと必死に振る舞い、家に帰れば疲労困憊です。

一体なんのために療育園へ?私がいちばん大切にしたいことは何だったっけ? 何度も見失いそうになりました。


…と、こんなこと書くと療育園や保護者会がとんでもない所に思われてしまうかもしれませんが、あたたかい声かけもたくさんありました。
療育園へ通って「よかったな」と思うことも、救われたことも、楽しいことも嬉しいことも、いい出会いもたくさんありました。

でも、心の奥底にはもやもやとした気持ちがくすぶっているのです。それは卒園した今でも、時々思い出しては何とも言えない気持ちになるほどに。


「人は争うもの」だと武藤さんは言います。
でも、だからこそ争わないためにはどうしたらいいか考える必要がある、と。

武藤さんが働き方を改革する以前の職場環境が、私には、保護者会のそれと重なって見えました。 



パプアニューギニア海産との出会い

療育と保護者会を優先させたシワ寄せは、当然ながらバイト先に。
度重なるシフト変更の申し出に、バイト先の人にもいい顔をされなくなりました。

仕事が出来なかったことも、いい顔をされない理由の一つだったかもしれません。向き不向きというものがあるなら、私には向いていない仕事内容だったと言えます。

迷惑をかけ続けるくらいなら、辞めたほうがいいかもしれない… という思いが日々大きくなっていきました。

生活のことを思えば、誰がなんと言おうと仕事を手離さない!くらいの強い気持ちでいるべきだったのでしょうが、私には無理でした…。

家に帰っても仕事のことばかり考えてしまい、生活のための仕事のはずが、仕事に生活が侵食されていく。
仕事の日は朝から気が重くて吐きそうになっていました。

結局、私は家電量販店のアルバイトをわずか3ヶ月ほどで辞めてしまいました。

その後、昼間の仕事で療育に支障が出るなら夜に働こうと思い立ち、家の近くのカラオケ店で働き始めましたが、それも半年ほどで辞めてしまいました。

世の中にはフルタイムで働いているお母さんだっているのに、週3日4時間程度の仕事もこなせないなんて自分は根性なしだ、何の仕事をしても要領わるいし、つづかないし…

私が働くと、いろんな人に迷惑がかかってしまう…と思い詰めるようになりました。
立て続けに短期間で仕事を辞めて、働くということに自信を失っていたのです。


療育や保護者会で忙しい、仕事ができない… とは言っても、暇な時間が全くないわけではありませんでした。

急に予定が入ることもあれば、逆に急に予定が空くこともあったのです。
その空白の時間が、なんとももどかしかった。

今なら、働けるのに。こんなとき、園の近所に ふらっと働きに行ける職場があったらな… そう思いました。

出勤や欠勤の連絡もいらなくて、働きたい・働けるときに自由に出勤できる。
急に予定が入っても休みの連絡がいらないような、そんな職場があったらいいのに…


…ないのかな?そんな職場。
もしかしたら、あるのでは?

ネットでキーワードを入力し、検索しました。
そんな都合のいい仕事あるわけないよね、という気持ちと
きっとどこかにあるはず。あってほしい… と願う気持ちをこめて。

そこでたどり着いたのが、パプアニューギニア海産という会社だったのです。

出勤・欠勤の連絡がいらなくて、好きな時間に来て好きな時間に帰れる。
(当時はフリースケジュールのみで、「嫌いな作業はしてはいけない」というルールはまだ存在していませんでした)

まさに私が求めていた環境でした。
夢じゃないかしらと 募集要項をじっくりじっくり、何度も読み返しました。 胸が高鳴りました。

残念ながら、療育のすき間時間に行って働いて帰って来られるような距離ではなかったため、応募には至らなかったのですが。

でも、この日本のどこかにそういう会社が確かに存在しているということ。
それを知れたのは私にとって本当に大きな希望の光だったのです。

それ以降、「パプアニューギニア海産」という会社の名前は ずっとずっと私の中に残りつづけていました。


なんとか2年間の療育を終えて、息子は卒園し、小学生になりました。

ちょうどその頃二人目(娘)が生まれたためすぐに働きに出ることはできませんでしたが、
学校と放課後等デイサービス(主に障害のある子が利用できる発達支援施設であり、子どもたちの放課後の居場所)の利用によって、翌年には私にもパートに出られるだけの時間の余裕ができました。

フリースケジュールではないけれど、生活が仕事で侵食されない、仕事に行くのが嫌で吐きそうになったりもしない。
今の私にとってはこの上なく条件のいい環境で働けています。
やっと安定して働けるようになって、気持ちも楽になりました。

ちなみに、過去のトラウマ?などもあって意識的にずっと避けてきた職種だったりします。だから最初はとても不安でした。

でも今、気負わずに働けていることを思うと「自分に合っている仕事」かどうかは、その場の環境が大きいのかもしれないな?と思っています。

自分はダメだとばかり思っていたけれど、そうじゃなかった。
私にも、自分に合った働き方ができる職場があったんだ。出会えていないだけだったんだ。
今の職場は、そう思わせてくれました。


そんな中、久しぶりにパプアニューギニア海産の名前を思い出すきっかけとなったのが、昨年6月18日の、大阪北部地震。

最大震度6弱の大きな地震で、私が住んでいる地域でも凄まじい地鳴りと長い揺れがありました。

特に揺れと被害が大きかった地域として繰り返し報道される地域、
大阪市北区、高槻市、枚方市、茨木市、箕面市…

地震から数日経った頃、何度も目に耳にするその地域名に、ふとパプアニューギニア海産のことが思い浮かびました。
確か、工場ってこの辺りじゃなかったっけ…?と。

かつて働きたすぎて、近場への引っ越しまで考えていたことがあったため、だいたいの場所を覚えていたのです。

久しぶりに「パプアニューギニア海産」の名前を検索してみると、やはり茨木市に工場がありました。

大丈夫かな…
工場やそこで働く人々の無事が気になって、Twitterでも検索をしてみました。
(こういうとき、リアルタイムな情報を得るのにTwitterは便利ですね)

すぐにパプアニューギニア海産の工場長である武藤北斗さんがヒット。
武藤さんのツイートによると、「工場は」奇跡的にほぼ無傷ということでした。

詳しくは当時の会社のHPをご覧ください→  2018.6.18  地震被害につきまして


工場や従業員の無事が分かってホッとし、地震からも数日経った頃、今なら自分の想いを伝えられるのでは と私は気付きました。

パプアニューギニア海産のことを初めて知ったとき、感激のあまり私はHPの問い合わせ欄からメールを送ろうかと考えていたことがありました(たまに大胆な行動に出るのです、、)
結局想いがまとまらないまま月日が経ってしまったのですが…

ここでもTwitterの140文字という制限が、最初の一声をかけるハードルを下げるのに役立ったのかなと思います。

かつてパプアニューギニア海産の働き方に、感動した人間がいること。
たとえ実際にそこで働けなくとも、そんな会社が存在しているという事実だけで、私にとって希望の光だったということ、これからも応援していますという事など…  5年越しにようやく、直に伝えることができました。

そして、こうも尋ねました。
パプアニューギニア海産さんのことを、自分のブログで紹介してもいいですか?(いつになるか分かりませんが…)と。

武藤さんは
「いいですよ、僕もamazarashi好きですし(^^)」

(↑私のTwitterの自己紹介欄の「amazarashiが好き」というのを見てくださっての言葉です)と、快くOKしてくださいました。

いつになるか分からない、とは言ったものの…
最初にお声かけしてから、1年以上が経ってしまいました…(普段趣味で使っているブログじゃなくてnoteになりましたが)

でもそれはパプアニューギニア海産の魅力を最大限に伝えるため、私の中の想いを整理して言葉にするために、必要な時間だったんだろうと(都合よく)思っています。



仕事に、社会に望むこと

私はいま、運よく働けています。

それでも、働き方については常に模索しています。
安定して働けていて職場への不満も特にない今でも、時々求人票を眺めたりするのです。

いまだに生活は楽になったとは言い難いですし、いつ、また働けなくなるか分からない。そう思うからです。

自身や家族が突然、病気や障害を負うかもしれない。
何らかの理由で、子どもが学校へ行けなくなったりするかもしれない。
今の仕事をつづけることが困難になる日が、来るかもしれない。

仕事を失った、もしくは失うかもしれない
そんな目の前が真っ暗になりそうな状況のときでも絶望しなくていいように、いろんな選択肢があることを知っておきたいのです。

立ち塞がる壁で行き止まるのじゃなく、まだ他にも道はあると知っていれば、希望を失わずに済みます。
私がかつて、パプアニューギニア海産の存在を知って そうだったように。

どこかに一つでも成功例があるなら、それは今後増えていく可能性があります。いつかそれは私の近くにもありふれるようになるかもしれない。
子どもや孫の代には、もっと生きやすくなっているかもしれない。
それこそ夢物語だと言われてしまうかもしれませんが、そう信じたいのです。

だれもが希望を失わずに生きていける社会であってほしいし、どんな状況でも働けるような、多様な働き方ができる職場が増えてほしいと願っています。

そのために自分に何ができるのか、まだよく分かりません。

自分でそういう会社を立ち上げようというビジョンも今のところないし、
政治家になって社会を変えるというのも、イメージが沸きません。

今の私にできるのは、せいぜい選挙に行くこととか… こうしてネットの片隅で小さく声を上げること くらいです。

でもそんな些細な一歩でも、何かひとつ、誰か一人くらいの心の中では、数年後 数十年後に芽吹く種になるかもしれない。
そう思ってここまで書いてきました。

ここまで書き上げるにあたって、あのときの保護者会での経験、悔しさ、無念… そういったものが大きな原動力となっていたことをひしひしと感じています。
(「書きます」と言ったからにはやり遂げるぞ、というのもありますが)

変えたかった、変えられなかった。
ずっと心につっかえていた…

それでも、園も保護者会も卒業して新しい土地へ引っ越して、仕事にも行けるようになった今、その気持ちもいつか薄れて忘れてしまうかもしれない。
だから忘れないうちに文章に残しておかなきゃと思いました。

武藤さんが定期的に上げるnoteもまた、文章を書くモチベーションになっていました。

すごいな、やっぱり私はこの会社のことを書きたいな、と何度も思わせてくれたのです。


パプアニューギニア海産のエビは、とても美味しいです。食べたらきっとびっくりします。

『手作業にこだわり、薬品や添加物は一切使用しない。原材料は子どもからお年寄りまでが名前をみてパッと思い浮かぶようなものだけを使う。例えばエビフライは「天然エビ、小麦、パン粉、水」のみを使用している。水は徳島県の山の湧き水を使うなど、細部にまでこだわる』  (武藤さんのnoteより引用)

おいしさの理由は天然エビであることや、漁獲から冷凍までのスピード、無薬品であることなどもありますが、

それに加えて 従業員が心地よい環境で働けていることと、だから一人一人が丁寧に仕事に向き合えているということが品質に大きく影響していると思います。

よく言う「作り手の気持ちが宿る」とはこういうことなのかなと思うのです。

食べる人のことを考え、従業員が自分の家族にも食べさせたいと思えるものを作っている。

これって食べものに限らず、とっても重要なことではないでしょうか。

会社のやり方や自分の仕事に不信感を抱きはじめると、つづけることが辛くなってしまいます。

パプアニューギニア海産がエビ一筋で30年以上つづいているのも、そういった誠意と信頼があってこそなのだろうと私は思うのです。


パプアニューギニア海産では、ベテランさんも新入りさんも、時給は同じです。パートリーダーなども存在しません。

飲み会や忘年会の類いも(希望する人がいないので)行われず、休憩室には誰とも話したくない気分のときのための「おしゃべり禁止スペース」があるなど、昇給とか従業員同士和気あいあいといった雰囲気とは遠い職場環境です。

一見するとドライで、さみしいと感じる人もいるかもしれません。
でも、ただ淡々と仕事をこなせるのならそれでいい。それがいい。そういう人にとってはとても働きやすい職場だと言えるのではないでしょうか。

干渉も余計な詮索もしない。自分に生活があるように、他人にも他人の生活が、生き方がある。そのことをそっと受け入れる。

そこにいていい、という穏やかな心地よさがあると思います。

そしてこれは私の想像ですが、そういう環境にいる人たちは 仲間が本当に困っているときには、見てみぬ振りなんてしないのではないでしょうか。

自分の居場所がちゃんとあれば、他人のこともいちいち気にならないし、揉め事を起こそうという気も起こりにくいはずです。

誰もが自分の生活を大切にして生きることを諦めなくていい社会になれば、もっと寛容な世の中になれると思っています。


パプアニューギニア海産の働き方がメディアで取り上げられ話題になる度に、「製造業だからできた」「うちの会社では無理」などという声をちらほら見かけます。そういう固定観念があるうちは確かに無理かもしれません。

例えば保育所のように、子どもの年齢や人数に対して保育士の配置基準(人数)が定められているような職場では、確かにフリースケジュールは難しいかもしれません。万が一だれも出勤しない、人数が足りないとなってしまっては大変です。怪我や事故に繋がりかねません。

でも、パプアニューギニア海産の働き方をそのまんま真似をするのではなく、大切なのはそれぞれの会社がどれだけ従業員の(生活の)ことを考えているかだと思うのです。
そのためにできることは、その会社によって違うはずです。

パプアニューギニア海産のフリースケジュールも、「嫌いな仕事をしてはいけない」も、とても魅力的です。

でも何よりも魅力的なのは、従業員にとって本当に働きやすい職場を目指して動いている、それぞれの生活を大切に思っているということ。

私がパプアニューギニア海産の働き方や、武藤さんに魅力を感じる一番の理由はそこだと思うのです。

自分にも大切にしたい生活があるように、目の前にいる人の生活を、ほんの少し想像してみる。

それはきっとどんな会社にも、そして仕事以外のどんな集団生活においても、出来うることだと思うのです。


なんて、ずいぶんと偉そうなことも書いてしまった気がしますが…
私も人のこと言えない部分がたくさんあります。

自分と他人の違いを素直に受け入れられないこともあるし、知らない世界のことに不寛容になってしまったりもします。

まずは身近な、目の前の家族との関係から 見つめ直していきたいです。


「人は争うもの」、だからこそ争わないためにはどうしたらいいか考え、工夫することを武藤さんは怠りません。

パプアニューギニア海産のルールや取り組みは、そのユニークさ斬新さに目が行きがちですが、紐解いてみるといずれも、「いかに人と人が争わないか」「心地よく働けるか」「自分の生活を大事にできるか」ということに重きを置いていることが分かります。

競い合い、高め合い、自他ともに成長していくことを大切にしている会社も、それが必要な場合もあるでしょう。

でも、中には とにかく平凡に淡々と仕事ができることを望む人たちが、少なからずいるのです。

もっと、そんな声にも目を向けてみることから、本当の意味での働き方改革が始まるような気がしています。


自分と違う生き方を排除するのでなく、一人一人の違いを、生き方を尊重する。

自分の生活を大切にするように、ほんの少し 他人の生き方にも寄り添ってみる。

そんな平穏であたたかな職場で、社会で、世界で、生きていきたいと私は願うのです。



【参考にした文書、リンク 】

パプアニューギニア海産のHPパプアニューギニア海産

武藤さんのnote好きな日に働く、嫌いな仕事はしないのエビ工場が本音を語る

リクナビnextジャーナル→ 好きな日に働き、好きな日に休む。嫌いな作業は“やってはいけない”──「小さなエビ工場」に大逆転をもたらした“会社のルール”とは

Yahoo!ニュース→ 「好きな日に働き、嫌いな仕事はやらなくていい」――“自由すぎるエビ工場”が破綻しない理由

政経電論→ 職場を効率化したければ管理するな!パプアニューギニア海産・武藤工場長に聞く新しい働き方

私はまだ入手していませんが、書籍もあります。→ 「生きる職場」 小さなエビ工場の人を縛らない働き方


▫︎パプアニューギニア海産のエビを食べてみたい!と思った方はこちらの全国の販売店舗一覧を確認いただくか、オンラインショップからも購入できます。

近隣の方の場合、「シール貼ってエビもらう」でゲットする方法も。
「シール貼ってエビもらう」は、一般の方が商品パッケージにシールを貼る内職をして、お給料の代わりにエビが1パックもらえちゃうというものです。

詳しくはこちら→ シール貼ってエビもらう

時期によってはやっていなかったり、来年の5月頃に工事が移転する(工場移転のお知らせ)という話もあるので、事前に問い合わせてみてくださいね。

400枚でエビ1パックです。
私もこれでエビをいただいて食べました♪

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↑夫と一緒に挑戦したので2パック

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鮮やかな色♪殻付きのエビは、茹でただけでもとても美味しい。偏食の息子もつまみ食いが止まらなかったです。びっくり。

エビをおいしく食べるコツ

エビを真っすぐに茹でる

↑あとから知ったので、次はこの方法でリベンジしてみよう。

殻からもい〜いお出汁が出ました。エビピラフにしたら最高でしたよ。

画像3

↑ちょっと目を離してしまってコゲた感ありますが…
薄めの衣に身がギッシリのエビフライは絶品です。
家族みんなエビフライ好きなのであっという間になくなりました、、また食べたいな。

エビやエビフライは工場向かいの直売店TAYUCOCOでも販売しています。
ぜひ一度食べてみてくださいね。

ってなんだか宣伝しまくっていますが、本当に関係者ではありません。笑


それでは、長い長い文章にお付き合いいただき… 本当にありがとうございました。
しっかり目を休ませてくださいね…!


※障害を「障がい」と表記するか否か、一応当事者の私は 正直どちらでも良い(あえてひらがなにしなくてもいい)と考えているので「障害」と表記しています。差別的な意図や深い意味はありません。

#こんな社会だったらいいな

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