見出し画像

「マルチタスク AI信仰とチェスゲーム ーコンピュータは脳の模倣という誤解」

はがくんさんのケアレスミスを防ぐ記事の中に
マルチタスクは効率を下げるという内容がありました!!!!

最近はもろもろ、マルチタスクが脳に悪いんじゃね? 効率わるいんじゃね?
ということが認知されてきている気がします。

なので、改めてここで マルチタスクは幻想!!!! 誤解乙!!!

とかかいてもしかたないと思うのですが、そもそもマルチタスクへの幻想はどうやってうまれたのか、
ぶっちゃけいろいろ調べたんですが、ようわかりませんでした。が!!!!

そもそもマルチタスクという言葉はコンピュータ用語でIBMの論文で登場したそうです。

で、以後に心理学者が マルチタスク的に処理すれば人間も効率よくできるのでは? という実験を続けてきたそうです。

なので、そもそもマルチタスクという言語や概念自体が、コンピュータ的な領域からの出自で、それを元にして、人間にも当てはめられるんじゃね?
と思われた経緯があるそうです。
※ここでいうコンピュータは戦後の電子計算機のこと。本来、コンピュータという単語は計算を行う“人”が主体的な意味の言葉だったそうです。

おそらく、コンピュータが飛躍的に成長を遂げる中でどんどんどんどん、性能が上がっていく中で、

マルチタスクができる = 能力高い = 能力の高い人間もそうに違いない

みたいな誤解と誤謬が生まれたのではないか。

で、おそらく 能力の高い人間 というのは多忙を極め、凡人ができないことをさらさらとやるさまがマルチタスク的な処理の幻想を生んだんじゃないでしょうか。

なぜ彼は仕事をこうも効率よく捌けるのか? まるでコンピュータのようだ。 

つまりはマルチタスクだ。的な。

で、結局でいうと、超高速でのシングルタスクでの仕事処理が、マルチタスクで仕事ができる幻想というオチ。

おそらく論文等を探す限り、マルチタスクで仕事ができるようになる、というのは民間信仰なきがしますが、一回根付いた言葉は強く。

マルチタスクで仕事をすることが 是 という価値観が刷り込まれてしまったのでしょう。

要領よく仕事を裁く できないと仕事ができない、という昔ながらなことをマルチタスクという言葉が妙にかっこいい時代にあった言葉として、納得感を与えてくれたのでしょう。

チェスに勝つAIは人間性があるのか?

チェスや将棋や囲碁でコンピュータ、AIが勝利することが受け入れられる時代。
もともと、どうして、こういったことがされるようになったのか。

なにを証明しようとしていたのかというと、人間の脳。

チェスというゲームは人間の知性の現れ。なので、そのチェスで人間に勝つことができれば、コンピュータは人間の脳や知性の秘密を明らかにできたと同義と言えるだろう、というような発端だった(まぁ単純に処理能力テスト的な意味もあったのだろう)

チェスなどのゲームにしたのも、コンピュータでその当時、人間と同等に“ゲーム”できるのが、限られた盤上のチャスなどのゲームだったということらしい。

そして、勝利することができた際、証明されたのは

人間の知性とチェスはあまり関係がないようだ。

ということ。

そもそも、コンピュータやAIの仕組みと脳は処理機能が異なるので、

それはそれ!! これはこれ!!! ということ。

個人的には脳の解明自体とエミュレートはいつかできるとおもっているんですが、現時点での処理の仕方が違うので、そこを見誤っていると“信仰”になってしまう。

そして、信仰は無謬を招く。

常に懐疑しつづけないと、思考停止になってしまう。
すでに、AIブームは若干、思考停止な傾向(AIなら間違えないという論調)。

脳とコンピュータは違うし、それをどう扱うか。

コンピュータ信仰も脳科学信仰も、信じるだけではなく、疑うことが重要。

本当に効率がいいのか、効率よく、“なに”がしたいのか。

大切なのは“そこ”


最後まで読んでくれて thank you !です。感想つきでシェアをして頂けたら一番嬉しいです。Nazy