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闘わざるもの食うべからず カジキと山椒のトマトスパゲッティ

先日、ドライブで四国を訪れた。メインは車窓からの大自然の景色とおいしい空気を吸いに行くことだったが、空気だけでは胃袋は満たせない。道中何件か道の駅を訪ね、昼食を摂ったりお土産を買ったりした。この道の駅に立ち寄る過程は私にとって旅行中に無くてはならない時間なのだ。それは地元食材の直売所を偵察できるからである。

直売所は食材の宝庫である。そこには普段の生活圏内で入手困難な食材が溢れており、連れて帰って料理をすれば普段の平坦な食卓がたちまち旅情を帯びて立体化する。具体的にいうとその食材が採れた(であろう)情景やその日の体験がありありと迫ってくるのだ。

今回の四国ドライブで立ち寄った収集では史上最高の出会いに恵まれていた。なにせ珍しい名前を目にすれば試したくなる性分で、おなじみ地元の方が作ったお味噌の他、地鶏のおつまみ缶、味の予想がつかない謎の茶葉、清流で採れた海苔など、いわば珍味とも言うべき食材をゲットできた。収穫内容から、四国は陸海空の気候や地理的条件に非常に恵まれた場所だということを再認識した。それだけでなく四万十川の○○や土佐の○○といった大自然のブランド力が強い。普段利用するするスーパーでもその文言を見れば思わず手に取ってみたくなる。その結果、業者並みに食材を仕入れることとなった。お陰で身内へのお土産が二の次である。(ごめんね!)

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そんな収集品の中で私的激熱食材だったのが仁淀川の山椒だ。高知県は仁淀川の側にある「かわの駅おち」で手に入れたものだ。そこはスノーピークが運営している道の駅の川バージョンで、店先にはキャンプサイトと越知町の長閑な自然が広がっている。川の駅なるものがこの世にあることも驚きだったのだが山道が永遠と続く世界に突如人で賑わう開けた場所が出現したことも驚きだった。

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そもそも私は山椒を調理したことが無かった。ただ山椒の入った昆布や柚子山椒味の焼き物っておいしいよな、清流の側でできる山椒ってどんな味がするのかな?好奇心に駆られて買ってしまった山椒だったが、思っていた以上に下処理に手こずった。ある晩の事、ネットで調べた通り山椒を10分以上茹で、水に一時間以上漬け置き、時々つまみ食いをしては触感や食べごろをチェックした。翌朝、山椒をお米一合分入った炊飯器に投入して炊飯。炊き上がったらスーパーで買ったちりめんじゃこも混ぜ込んで丁寧に握った。そう、手習いに私がつくったのは山椒とちりめんのおにぎりだった。味見をしたが一口ではわからず、しかし出勤時間が迫っていたので全容はお昼の楽しみにとっておいた。これがすべての始まりだったのだ。

その日は仕事中ずっと、朝仕込んだおにぎりのことしか考えていなかった。いつになく仕事に精が出たし「部長、今日の私には仁淀川の山椒のおにぎりがあるんですよ!」顔にそう書いてあったに違いない。とにかく楽しみで仕方がなかった。そして運命のチャイムが鳴った。速攻手洗いを済ませ昼餉の準備が整ったら、ランチボックスから小さなおやまを二つ取り出した。水滴で濡れたラップを丁寧に剥がし、緑の粒がまだらに輝くおやまのてっぺんにそっと齧りついた。噛んで、味わい、風味を確かめた。二~三口それを繰り返した。

「…………。」

何とも言えない風味。脳内が疑問符だらけだ。山椒ってこんなスパイシーな食べ物やったっけ!?しかし朝から準備した山椒ごはんは食べれたものではなかった。やがて刺激は毒気にかわり、山椒はしたたかに且つ確実に私の口内を麻痺させていった。まさにサイレントキラーだ。水を飲むも痺れは引かず、しかし吐き出すわけにもいかず、とりあえず飲み込んだ。結局人目を忍んでおにぎりから山椒を必死でほじくった。夢のおやまはボロボロのちりめんおにぎりに化した。大きな期待を抱いていた分失望は大きかった。

帰宅後、私は失敗を踏まえて残りの山椒と格闘すると誓った。要するに灰汁抜きができていなかっただけのことである。二~三粒の味見だけでGOを出した自分を反省し状況を整理した。まず茹で時間は触感的に十分だ。残りの山椒は半日以上冷蔵庫の中で水に晒されていたし、次調理する際はうまくいくはずである。そう意気込んでその晩にもう一度、万が一でも食べきれるよう少量だけ山椒を入れてご飯を炊いてみた。しかしまたしても口内に棘が残った。もはや山椒はこんな味だったろうか?灰汁が抜けないことには次に進めない。頭を抱える私と山椒。平日の闇夜の台所、「私たち」だけがスポットライトに照らされそこにいた。悲劇の第二幕終了である。

残業続きの日々が終わり週末に入った。誠に不利益な週だった。期待されている分期待に応えなくてはと自主的に残業して未処理の案件に取り掛かっていたが結局家でやったほうが早いことに気づいて休日労働という禁じ手を出してしまった。もちろん利益は出ない。平日は期日に追われるストレス、週末はこうしたプライベートの生産性(くうねるあそぶ)のガタ落ち。仕事ができる人は時間の余裕がある人にうまく業務を分けられるし、こんな風に公私混同もしないことはわかっている。

そんな暗雲立ち込めた一週間の終わり、課題だった案件の処理が大方済んだので息抜きに晩御飯をつくろうと思い立った。冷蔵庫には午前中何かに使えるだろうと買っておいたカジキが二切れ、トマト二玉、玉葱など野菜が数種類。何だかスパゲティでも作れそうな品揃いだった。早速適当に野菜たちを切り、熱したフライパンにオリーブオイルをひいてチューブのニンニクと鷹の爪を炒る。ニンニクが狐色になったらくし切りした玉葱を入れて炒め、数分後に同じくくし切りのトマトを全部入れる。形を潰しながら焦げないように炒めてソースをつくっていく。

パスタを茹でようとした時、肝心のカジキを入れ忘れたことに気づきすぐさま冷蔵庫を開けた。そこで目に入ってしまった。冷蔵庫の隅に眠る茶碗一杯分の山椒に。消費期限が迫っていたがあの毒気はもはやトラウマ、下手に調理すれば他の食材が台無しになってしまうかもしれない。しかしそのまま隅に追いやってしまえば廃棄の道しかない。

ここで私はカジキの勝率を思い出した。カジキは癖の無さと煮崩れ知らずの引き締まった肉感が特徴で、焼き物だけでなく煮物や酒蒸しにしても百発百中美味しく仕上がる。以前簡単に振る舞ったセロリとカジキのアクアパッツァを友人に絶賛されたことがあって、以降私にとってカジキは失敗知らずのありがたい食材になった。私の地域では少し値が張るのだが、勝率の高さと満足度の高さからしてスーパーに仕入れがある日は必ず買っておきたい食材の一つである。カジキに山椒の灰汁を抜く効果が無い事は素人目にも分かるけれど、ここはその勝率の高さに賭けてみようと思いたった。カジキを通り越してカイジばりに開眼した。

急いでカジキを切り分け山椒と共にフライパンの中に投入。中火で煮詰めている間に同時進行でパスタを茹で、アルデンテで取り出したら少しの茹で汁と共にパスタをフライパンに入れる。パスタと煮詰まった具材を絡めながら更に数分後、山椒の調子が気になってきたので恐る恐るソースの味見をしてみた。麺を入れる前も考慮すると20分くらいは煮ていたろうか?

「…………。」

痺れが感じられなかった。時差で毒気が追いかけてくるもない。まさしくそれは普段食べる山椒の味と一致した。むしろトマトソースとうまくマッチしている様子であった。しかしまだ安堵はできない。パスタの硬さが丁度よくなったらお皿に盛って完成である。即興でカジキと山椒のトマトスパゲッティと名付けた。待ちに待った実食、フォークでパスタとソースを巻き上げる。山椒も確実に絡めとり、口に入れて味わった。

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味わう事数秒間、気が付けば私は無言で頷いていた。そして唸っていた。あまりの旨さに出る言葉が無かったのだ。煮詰めたトマトソースのまどろみと、山椒の爽やかなアクセント、それはそれは心地よくて一口目が無くなるまで私は何度も頷いた。

これが正しい山椒の味だ。正解の味、正解の料理法だ。何故なら目の前の一皿からあの日の光景が立ち上がってきたからだ。遮るものが一つもない五月晴れの大空と、それを照り返す新緑の大地。初夏の風は優しく、キャンプ場でフリスビーがしなやかに宙を舞って迷わず子供の手元に降りた、川の駅の情景が蘇った。一週間やるせなさで燻っていた我が脳内から油をはじく様に雲がはけていった。

賭けは成功だった。トマトソースの旨味で山椒の刺激は心地よく、ハリのあるカジキの肉感で噛み応えもばっちりだ。勝因は山椒とグルタミン酸の相性か、はたまた単純に煮詰めた時間によるものかはわからない。もしかすると本当にカジキが灰汁を吸い上げてくれたのかもしれない。もしそうならまさに「僥倖」だ。

山椒含め諸々のことに悪戦苦闘した一週間は、こうしてハッピーエンドで幕を閉じた。私の平坦な食卓は山椒を買ったあの日の旅情に魅せられ、救われた。食べ終わるのが寂しいくらいだった。私の山椒初体験記はピークエンドの法則に乗っ取ってこのように瑞々しさと豊かさに満ちたものになった。もはや思い出である。

それでもまだ冷蔵庫には消費期限が近い茶碗一杯弱の山椒が残っていた。仁淀川の青空はまだ何度か見れそうだ。


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