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【聴く】「シュリンク(​Shrink)」

こんにちは&はじめまして ななるです。

シュリンクな体験をしました。

実際には、シュリンク+スポットライト。

昨日、傾聴の先輩に話をきいてもらった時のことです。


「Shrink(シュリンク​)」:縮む、収縮する

アメリカ英語圏で、心に関わる仕事をしているひとたちを「シュリンク(​Shrink)」と呼んでいます。狭義では、精神科医の俗称です。

アメリカで暮らしていたころ、心理カウンセラーは日常でした。

高校や大学のキャンパスにも、会社にも、必ずひとりは居て、1~2週に1度、月に1度、面談の時間がありました。学校では、セメスターに1度会うスクールカウンセラーが、スケジュールの相談とあわせて、心理カウンセリングのようなこともやっていました。

カウンセラーに会いに行くんだ。今日カウンセリングがあるんだ。

日常的な会話だったけれど、スケジューリングされていなかったらどうだったろう?とふと考えました。

カウンセラーが身近なアメリカでも、精神科医(Psychiatrist)にかかっているとはいいません。カウンセリングを受けているとは、云う。

職場に常駐していたのは、Psychiatrist(精神科医)だったけれど、看板はカウンセラーだったし、日常的に心のサポーターがいる国でも、「精神」という言葉は、敷居が高いんだろうと感じます。

これが日本なら、猶更。

心理や心、精神とつくと皆興味を示すのに、心理カウンセラーや精神科医となると、途端に行きたがらなくなります。

心理障壁、高いんだろうなあ。

という私も、日本で仕事を始めたばかりの頃、「今日、カウンセリングの日だわ。○○メンタルクリニック寄るから」と云った瞬間、知人同僚にドン引きされて以来、カウンセリングは禁句になりました。

けれど私、カウンセラーに会いたいわけではありません。

ただ、頭を整理したい。

取っ散らかった床に、何が取っ散らかっているのかを、整理したい要望があるだけです。片づければ、玉ねぎの芯にたどり着くように、砂場に落とした一粒の金を探し出せたりするのです。

先輩に話をしながら、まるで自分と話しているような気分でした。

自分自身に「そこじゃない?」「それは?」「そこは?」と尋ねながら、あっちに行ったり、こっちに行ったり。拾ってみたり、捨ててみたり。

言葉を紡ぎながら、先輩の声を聴きながら、ぼやんと光りだすものがあり、手を伸ばして掴んだ瞬間、『あ、これか!』と腑に落ちました。

腑に落ちると同時に、取っ散らかったジグソーパズルがぱたぱたとはまって絵が広がりました。そうだよ、そうだったんだよ。


先輩に話を聴いて頂いた後、昔のカウンセラーたちを思い出しました。思い出しながら、先輩とお話している間の、安定感と安心感に、全身ゆだねていた自分に、驚きました。

先輩に話をしている間、ただ私は内側を言葉に紡いで出そうとしていただけでした。手探りで言葉を紡ぎ、話をしているうちに、取っ散らかった部屋が片付いていく感覚がありました。

カウンセラーと話していた頃、時折、片づけられているという感覚がありました。ここから片付けよう、とスポットライトを当てられている印象です。

「聴いてもらう」は、片づけをしている私のそばに、「どうだろうね?」「どうしようか?」「どうしておいてたんだっけ?」とつぶやくもう一人の自分がいる錯覚を起こします。

手に取った何かを、ああでもない、こうでもないと吟味しているうちに、一緒に吟味していたもう一人の自分が、どうだっけ?と探求を始めているから、私も一緒に「どうだっけ?」と潜っていきます。

潜っているうちに、何かが指先に触れる。

触って、カタチがわかって、持ち上げてみて、「これか!」と気が付いた時に、泳ぎ切った後のすっきり感。仰天しました。そして、気が付いた。

困ったときに、「相談」したい。

でも意見が欲しいわけじゃない。あれこれ、云ってほしいわけでもない。

「答え」を探しているのだけれど、与えて欲しいわけでもない。

ただ、「聴いて」欲しいだけなのです。

聴いてもらうという体験を経て、「相談」=「答えを探す」ではないときもあるんだと納得しました。

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