見出し画像

夏と、ソーダ水のような彼。

 好きなタイプは?というおきまりの会話がある。その度に「好きになった人がタイプ」とかありきたりな答えを返しているけれど、遅れて来た感情が「彼でしょ!」と私に話しかける。

 そう、私は後にも先にも「これ以上ないタイプだ!」と思った人に出会ったことがある。時田秀美という名前をした彼は、当時中学生だった私のヒーローだった。彼の言葉はちょっと恥ずかしくて、たまにアホらしくて、でもいつも正しかった。勉強ができる=頭がいい、ではないということを教えてくれたのも彼だったし、ありのままでいいと言ってくれたのも彼だった。現在と昔の感情なんて比べられないけれど、自分の感情が一番動いて一番向かったのは彼だったと思う。

 そんな彼は、山田詠美さんの「ぼくは勉強ができない」に登場する。あまりにも格好良くて、でも時に不格好で、思春期真っ只中の彼の口から出る言葉の1つ1つは、今の私が読んでも心を動かされる。

ぼくは、人に好かれようと姑息に努力をする人を見ると困っちゃうたちなんだ。香水よりも石鹸の香りが好きな男の方が多いから、そういう香りを漂わせようと目論む女より、自分の好みの強い香水を付けている女の人の方が好きなんだ。

 彼の名言である。この本にはいくつも名言があるのだけれど、一際好きな一節だった。洗濯物の香りも大好きだけど、私が惹かれてしまうのはお気に入りの香水を付けている人だし、自分も香水をつける。「作り込んだ好かれている私」じゃなくて「自分が好きでいられる私」のほうがよっぽど価値があると幼い私に教えてくれた。そしてそんな秀美を育てた母にも頭が上がらない。女手一つで秀美を育てた彼女の格好良さは、強く生きたいと願う女性に希望をくれる。

 「そんなつもりじゃなかった」という傷付かないだろうセリフが、何よりも罪深いと思ったのもこの小説である。何か辛いことがある度、もっと鈍感だったらとか、傍観者効果が働いていたらと自分を責めてしまう。でも、自分のしてしまった行動で相手を悲しませてしまった時、「そんなつもりじゃなかった」があるせいで、その相手の悲しみは居場所をなくす。鈍感ほど優しくて鋭い刃はないのだ。鈍感なことは果たして幸せなことだろうか。

 怒れたら楽だし、言いたいことを言えたら楽なのだ。どちらも悪くない時があるけど、どちらかが良くてどちらかが良くないとやりきれない時もある。人生矛盾だらけだ。自分の中の正義を通したはずなのに、残った感情がマイナスのものでしかなくてそれをぶつけるところがない時の悲しさほど、自分を苦しめるものはない。

 誰もが偏見や嫌悪感と戦いながら生きている。思春期特有の感情、自分勝手さ、戸惑い、そして精一杯の正義をふんだんに使って描かれたこの作品は、私が読書好きになったきっかけの作品の1つである。

 この本を、私は夏に読んだ。ラブストーリーではないのだけれど、当時私が恋をしていたからか、この本を見ると恋愛モードが疼くのも確かだ。複雑だけど爽快な夏におすすめしたい、ソーダ水のような一冊である。

 電車の窓側にもたれて読書をしている男性がいる。どこかイメージしていた秀美に似ている気がして目に留まった。高校生だったから彼はタバコを吸っていなかったけど、大人になった秀美は多分こんな感じで、そしてタバコを吸いながら私にこう言うんだ。
「タバコ?悪いと思わないね。だって僕の体は僕だけのものだ、今はね。結婚して家庭を持ったらやめるよ。責任が僕だけのものじゃなくなるからね。君も一本吸う?」
 そしてそのタバコを受け取った瞬間、香水の香りと共に再び恋に落ちることは目に見えている。ああ、私も勉強ができない。そのタバコが永遠のものじゃないと知りながら手にして、優しさに甘えることに懲りないからだ。そしてソーダ水のようだった彼が変わってしまったこと、そして同時に気付いて笑みがこぼれてしまうこと。ソーダ水の炭酸とタバコの煙は似ていて、そして儚くて、私はそれが好きなんだ。

読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。