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山崩れを見る文学者の眼 『崩れ』

荒川洋治さんの新しい読書の世界というラジオ番組で耳にして気になった幸田文さん。ブックオフに行ってみると、一冊だけ筆者の本が見つかりました。やった!

しかし『崩れ』というタイトルからは内容が想像できません。なんとなく官能小説っぽいタイトルだなあ、それに装丁にも惹かれない。でもあの荒川洋治さんが絶賛していたし、と思ってえいやと購入しました。


人は見かけが8割と言うように、本も装丁でピン!とくる本は読んでみるとやっぱり面白いことが多いです。でも人は見かけで判断できないとも言うように、本も装丁だけでは判断できません。
『崩れ』、とても良い本でした。見かけで選んでいたら絶対に手に取ることのなかった一冊です。荒川洋治さんのラジオのお陰でこの本に出会えたように、誰かからのおすすめに身を任せてみると世界は思いがけない方向へ広がっていきます。


さて、『崩れ』と言う題のごとくひたすらにひたむきに”崩れ”について書かれた本でした。
崩れ、崩壊、土石流など、崩れると言う自然現象を幸田文さんが文学的に見つめたエッセイです。崩れるというテーマだけで一冊のエッセイになる筆者の行動力と感性の豊かさにしみじみと感じ入ります。


日本三大崩れのひとつと言われる大谷崩れに胸打たれた筆者は、すぐに書物にあたって崩れという現象について研究します。それでも分からないところは専門家に伺い、そして実際に全国の崩れを見て歩きます。筆者、当時72歳。ときには負ぶわれても崩れを見にいくその行動力と突き動かされるような深い好奇心に読む側はなんとも圧倒されてしまいます。


山、森、川、谷、そしてそこへ住む人たちの生活が豊かに丁寧に、筆者の自身の味わい深い言葉で記されます。崩れということからよくここまで深く広く世界を感じとることができるものだなと、感性の豊かさに驚くばかりです。

今まで崩れという現象に目を止めたこともありませんでしたが、好奇心、観察眼、そして知力があれば世界はこんなにも興味深いことで満ちていて、それが言葉として書き留められることで後世に残る。エッセイってよいものだなとしみじみ思います。

荒々しい自然を題材としつつも、筆者の独特な言葉使いにはときにユーモアがあり、読み心地がとてもよいです。こねくり回した表現ではなく聴き慣れた単語で書かれているのですが組み合わせの妙があり、新鮮に響きます。そしてよく伝わる。

感性が鋭く深い方だということが、ページをめくるごとに伝わってきます。感じたことや見たことが的確に印象深く綴られます。


例えば山の奥の奥、道なき道を行く時のこと。そこに道はないように見えて、一歩足を置くと次に足を置くべき点が見えてくる。都会に住んでいると道とは線であると思っているが、もともと道とは一歩一歩の点々が踏み固められてできた線なのだと気づく筆者。山道を歩いてもこんなこと考えたことがありませんでした。筆者の目にする世界の深さに驚きます。

山を踏みしめる一歩一歩に、木の葉の擦れ合う音に、季節の変化に、自身の心のざわめきに、しっかりと目を凝らし見逃さない感性があるだけでなく、それを人に伝えられる書く力がある。この両方が揃っているというのはなんと幸運なことでしょう。


崩れを見て感じて考える。疑問を抱き、資料にあたって調べ、専門家に尋ねる。再び現地を訪ね、そして自分の言葉でまとめる。
筆者のやっていることは小学校や中学校で習った自由研究や総合学習の基本と同じことではありませんか。しかしそれを大人になってもきちんと自然とやっているのが幸田文さんの非凡なところだと思います。


例えば初めに訪ねた大谷崩れ。自然を見るには四季それぞれの様子、また季節の移り変わり目の様子を見なければ理解できないと筆者は再び足を運びます。好奇心と呼ぶのでは甘い、理解したいという気概に打たれます。


例えば桜島を訪ねた時のこと。灰が降ると聞いた筆者はしつこく尋ねます。灰が降るとは、煙るのかむせっぽいのか、速度は、色は、匂いは、触感は、皮膚に触れる感触は?灰が降ったと聞いて頭の中でイメージを補完して済んでしまうのではなく、細かく疑問を抱いて確かめる筆者の様子に私は思わず感動します。物を考えて自分の目で見るというのはこういうことなのかと。


疑問を抱き研究し、訪ね、考え、言葉にまとめる。
こういうことの積み重ねで感性というものは磨かれるのかも知れません。

素晴らしい一冊でした。幸田文さんのほかのエッセイも読んでみたくなりました。

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