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『何もかも憂鬱な夜に』の圧倒的な衝動

本と書店にまつわるお話をいつも楽しみに読ませてもらっているY2Kさんのnoteでおすすめされていて気になっていた、中村文則さんの『何もかも憂鬱な夜に』。著者の名前は知っていましたが、今っぽい感じがして食わず嫌いしてました。読んでよかったです。noteを読んでいると普段自分では選ばない思いがけない本との出会いのきっかけがあるのが嬉しい。



あらすじ
施設で育ち、今は刑務官として働く「僕」。交差する幼い頃の思い出と現在。顔を知らない両親と夢の記憶。担当する二十歳の未決因と自殺した友との思い出。そして時折自身の中に湧き上がる衝動。犯罪とは、死刑とは、そして命とは。


すごく重たいテーマについて語られ、物語も登場人物たちも軽く扱うことのできない主題。普通なら触れたくないものかも知れない。そこへ真っ向から取り組んでいるのだけれど、文体には重々しさがないというか、とても読みやすい。手触りを感じる文章で、読んでいて実感を得られるからこそ、重たいテーマでも心が離れずにどんどん読み進んでしまいます。


出だしのところでまず心臓を掴まれたのが、死刑について語られる言葉。

死刑については本当に主任の考えに同じくで、被害者の遺族のことを考えると私も死刑に反対ではない。けれど死刑の執行方法も知らなかったし、何より死刑を執行する人たちのことを考えたことがありませんでした。冤罪の可能性があるという点についてのみ死刑制度の危うさを案じていたけれど、それだけじゃない。自分ってよっぽど狭窄的に生きてるんだなと、この拘置所の主任の話だけで、もうすでに頭をガツンと撃たれます。


最近よく考えるのは、人って思っている以上に脆くて危ういということ。誰も、みんなが。

自分自身も気がつくと、灰色の、揺らぎの境界部分へ足を入れていることがあるし、そちらへひっぱられて行く人たちがいることもわかります。

でも私は自分の中の何か核になる部分にある絶対的な曲がらないものを盲目的に信じることができて、最後の一線を越えることは"絶対に"ないと確信しています。もちろん死ぬまでが人生だから、いつか衝撃的なきっかけも、明確な理由すらなしにふらっと越えてしまうことがあるのかもしれません。人間だから無いとは言えない。

でも自分の中に絶対的な何かがあって、それを信じることができている。自分は恵まれているなと思います。何がそれを形成してくれたのか、そしてそれが倫理観なのか道徳なのか自己愛なのか精神的潔癖症なのか考えることが好きなお陰なのかはわかりません。上手く言えないけれど、生きることのそういう部分について直視ししたくなる小説です。

悪と呼ばれる人間と自分との間には、そんなに大きな違いはなくて、自分だって何かが少しズレていたらそちら側にいたかも知らないと、胸に迫ることのある人はぜひ読んでほしいです。


ハッとさせられる言葉がたくさん出てくるのですが、その中でも「人間と、その人間の命は、別のように思うから」という言葉、そんなふうに考えたことは今まで一度もなかったのですが、でもこの本を読むとこのセリフの意味をずしりと感じます。



小説というものには、他のどんな表現方法とも異なる凄い力があります。良い小説には圧倒的でフィジカルな力があって、小説の力に気圧され、だからこそこういうものを読めるなら、それだけでも人生とか、生きることとかに意味があるんだと揺さぶられます。


この本の中では、命や世界に対する良いもの、経験すべきもの、光を与えてくれるようなものが芸術として描かれているのが嬉しく、痛く共感します。この作者はきっと心の底から芸術に掬い上げてもらえたことがあるんだろうな。


『何もかも憂鬱な夜に』は、Y2Kさんが中村文則さんを未読の方に、初めの一冊におすすめというのがまさにその通りで、著者の他の本も読んでみたくなりました。それから又吉さんの解説も大変切実で良かったです。又吉さんも読まず嫌いだったけど、『火花』、読んでみようかな。



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