見出し画像

パリに住んで気づいた地元のやさしさ


パリに住んで初めの3年半は一度も一時帰国しませんでした。金銭的な理由もありますが、日本に行くことに魅力を感じなかったのです。

それまで日本に住んで居心地がいいと思ったことがなかったし、長く住んだ神戸はとても狭く、閉塞感に押しつぶされそうな気持ちでした。小さいころから、ここはわたしの居場所じゃない!早くどこかに行かなきゃ!と強く思っていて、地元♡LOVEな友人たちのことを冷ややかに見ていたと思います。


ところが去年、小学校からのお友だちが結婚することになり、こんな機会がないと一生日本に帰らないかもと、思い切って2週間帰国。


日本、めちゃくちゃ面白いじゃないか!!!!!!


とくに神戸に対する評価が一変しました。長く帰っていなくても、すぐに肌に空気がなじみます。ここ、初めてできた彼氏と歩いたなーとか、街を歩くといろんな思い出が蘇ります。美味しいお店の場所はGoogleマップじゃなくて、頭の地図に入っています。5年住んでも、いまだにパリのこと、ここまでは知らない。馴染みのお店やアルバイトしていたお店の人たちが覚えてくれていて、おかえり!と迎え入れてくれます。遠くに住んでいても、25年間過ごした時間が消えてしまうことはなくて、広く薄く、ときに深く人間関係を広げてくれていた。そんなセイフティネットに守られて過ごしていたんだなあ。


友だちは少ない方だと思っていたのに、3年半ぶりの一時帰国となると、思っていた以上に会いたいと言ってくれる人がたくさんいて、つかの間の人気者気分を味わえます。パリでも親友と呼べる人たちができたけれど、幼稚園や小学校から続く地元の人間関係とはまた異なるもの。最近のわたしのことはパリでできた友だちの方が詳しく、とくに外国人の友だちとは一緒に切磋琢磨してきた分、わかり合えることも多いのですが、昔馴染みの友だちと小学校時代の思い出話に花を咲かせたり、数年ぶりに会っても昨日の続きのように話せたり、昔みんなで見ていた流行りのテレビショーの話題で延々と爆笑できたり、そんな穏やかな人間関係によって実はわたしのアイデンティティーは守られていたんだなと気づきます。別に人生論や哲学的なことを語り合わなくても、くだらない話でゲラゲラ笑えるのがいい。自分の過去を知ってくれている人がいる、昔の思い出を共有できる人がいるということがこんなにも居心地のいいことだったなんて。住んでいたときは、生ぬるい環境に焦りを感じていて、もっと厳しい環境に身を置きたいと思っていたけれど、そんなふうに思わせてくれて、挑戦する勇気を与えてくれていたのは、生ぬるいと感じていたこの優しい環境のおかげで、それがどれだけわたしの心を養っていて、そっと包み込んでくれているものだったのか、離れたことでようやく理解できるようになりました。自分はホームシックとは無縁なタイプだと思って気取ってた。”地元”というものが、こんなにも自分の根幹に深く絡まっているものだとは思ってもいなかった。見落としてしまうぐらい当たり前に、確固とした帰る場所があるからこそ、どこにでも行けていたんだな。

こんなふうに思えただけでも、地元から離れて良かったです。

童話『青い鳥』は、「探しものは遠くにあるんじゃなくて、自分の身近なところにあったんだよ。」と解釈するのではなく、「探し求めて遠くまで行ったからこそ、近くにあった幸せに気づけたんだよ。身近にあった幸せに気づけた上に、遠くまで行った経験やそこで過ごした時間という宝物まで手に入れられたね!」と解釈したいです。


この記事が参加している募集

#この街がすき

43,597件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?