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ニッポンのミソジニー

この本を読みながら、そして読み終えた今もずっと、ニッポンのミソジニーについて考えています。あまりにも日常生活の細部にまで浸透し、密接に関わっている問題だから、考えることをやめられないのです。


『女ぎらい / ニッポンのミソジニー』 
上野千鶴子著

驚くほど面白く、ためになる本でした。

今までの人生で、日常生活における様々な瞬間、人の振る舞いや会話、社会の風潮や仕組みに対して感じていた、名付け難いモヤモヤに新しく明確な理解と、そして正しい怒りを与えてくれて目が覚める思いがします。


社会学や女性学はもちろん、広く文系の学問の学術研究について、私は今まであまり注視してくることがなかったようだと気がつきました。

この本を読んで、学術研究が人間や社会に与える影響を、しっかりと自分ごととして感じることができたのです。学問ってじわじわと人の意識を変えていく力があるんですね。


今までもそこに存在していたのに、定義や名前を与えられていなかったために、または誤解を招くような名前を与えられたために無視されていた事象を、研究を通じて新たに定義付け、正しい名前をつけ、世の中に普及させることの社会的な意義は大きい。学術研究の大切さをひしひしと身をもって感じさせられます。

男女問わず読んでほしい、そして読んで自分がどう感じるか、見つめる価値のある一冊です。

ただし、今まで受け流してこれたことが受け流せなくなってしまう劇毒のような本でもあるので、特に女性の方が手に取られる際は、気をつけてくださいね。


圧倒的多数によって作られてきた当たり前だと言われていることを受け入れられて仕舞えば、時々喉に刺さる魚の小骨のような違和感も、気のせいだ、大したことない、と飲み込んでしまえます。その方が、はっきり言って生きやすい。問題も少ないし、余計なエネルギーを消耗しない。人からも好かれると思います。

一方で、みんなが受け流している"当たり前"に対して声を挙げると叩かれます。疲れます。多数派や権力のある側へ盾をつくと実生活への具体的なリスクもあります。
それでも、みんなが当たり前だと思っていることに「違う!」と声を挙げて行動した人たちがいたからこそ、今、私が当然のように享受している権利を行使することができているのです。

翻って私は今まで、おかしいことに対しておかしいと、きちんと声を挙げることができていたでしょうか?

書物を読み、思考するだけでは足りません。生活の中で実践しなければ。そう叱咤激励され行動することを促されていると、この本を読んで深く感じました。


フェミニズムやミゾジニーは冷静に語り合うのが難しい主題です。揶揄されるフェミニストがいることも理解できます。フェミニストの如何を問わず、全てが正しい主張ではないでしょう。

けれど女性が男性の所有物で当然だった時代や女性は男性よりも下位の存在で当たり前だった時代を経て少しづつ、社会の認識が変わって来ているその偉大さを思う時、私はフェミニストたちに与せずにはいられません。

今では当たり前として認められている女性の権利を初めて求めた女性たちは、異端だと叩かれたことでしょう。しかし当たり前は時間をかけてアップデートされてきました。だから今、私たちが当たり前だと思っていることも、10年後、100年後には当たり前ではないかも知れません。

時代が変わっていくとき、そこには常に正しい主張と暴言のどちらもが存在し、激しく主張され、社会全体が大きく揺れながら新しい方向に向かって行くのだと思います。その揺れ幅の大きさは、問題の根深さを表しているのではないでしょうか。フェミニズムやミゾジニーをめぐる議論を眺めていると、そんなことを感じます。

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