霧雨に囲まれて聴きたいイギリス音楽

勝手に、「癒されたくないクラシック」というマガジンを作った。
私の好きな音楽を好き勝手に紹介していくマガジンにするつもりでいる。
「クラシック音楽」に「癒し」「優雅」それ以外の楽しみ方があるのだということが何となく垣間見えればと願っている。

初回はイギリスの音楽を取り上げてみる。
イギリスの音楽には、湿度がある。
ドイツの音楽ほど構築的でなく、フランスの音楽ほど空間に固執しない。
それを「感覚的」「よくわからない」と評する人もいるのだが、それで良いんじゃないだろうか。私だって、エルガーの曲を演奏する時はいつも悩むもの。

イギリスのメゾンの香水を嗅ぐと、それが湿度を味方にして香り立つ香水だということがわかる。
私は普段Vivienne WestwoodのBoudoirと、Crabtree&Evelynの鈴蘭の香水を愛用していて、どちらも香りのベクトルは違うのだが、まるであじさいの花弁のように柔らかく世界の湿度と結びつき、優しく肌に寄り添ってくれる。イギリスの音楽に似ているのだ、肌触りが。

ロンドンに住んでいた頃、あちらの空はよく曇っていた。
母は、雨が降ると庭に食器を並べていた。そうしないと、食器に付着した水道水のミネラルが白く浮き上がってきてしまう。その庭には時折リスが現れた。私はそのリスを追いかけてよく庭の垣根をすり抜け、隣に住む老夫婦の家に遊びに行っていた。イギリスの音楽を聴くと、そのときの記憶が蘇ってくる。
……などと感傷的に書いてみたが、その理由は簡単、イギリスの曲は民謡を始め、ドリア旋法が多用されているのだ。静謐なこの音階を耳にする度、私の心は郷愁で狂おしいほどに締め付けられる。その郷愁は、昔住んでいたノースフィンチェリーでも、この間まで住んでいた中欧の美しい都市でも、今暮らす首都圏近郊の街でもなく、もっと心の底に眠るどこか美しい世界に対してのものに対して感じているのだと思う。

セントポール組曲 ホルスト  -St Paul's Suite-
「惑星」の中の木星を耳にしたことのある人は多いと思う。
この組曲は、木星の作曲者でもあるホルストの手によって作曲された。
弦楽合奏の多層的な響きがとても美しい組曲。オーケストラとは違う、身体の水分を内側から震わせるような響きに、目を閉じて身体を委ねる体験、一度知ったらやみつきになるはず。
終楽章の対旋律のチェロにグリーン・スリーブス(←ドリア旋法だよ)が出て来るのだが、ここを演奏する時のわくわく感は何物にも代えがたい。

キャロルの祭典 ブリテン  -A Ceremony of Carols-
児童による合唱曲。伴奏はハープ1台。
撥弦楽器の響きというのは、ホールや教会の「空間」を感じられる。
児童合唱の清廉な響きとMiddle Englishとラテン語の語感が、合唱曲にありがちな「感情の揺さぶり」とはまた違った情感を与えてくれる。
昔、母の仕事にくっついていってこの曲を聴いたきり、この曲を生で聴いたことは無い。なかなか演奏される機会がないのだ。
いつか、カンタベリー大聖堂あたりの響きで聴きたいものだ。
...小さい頃に自分も歌いたかったな...。

シンフォニアダレクイエム ブリテン  -Sinfonia da Requiem-
この曲は、単純に演奏するのが好き。
私は、演奏家として音楽の一部になっていることを感じられる瞬間が一番好きなのだが、この曲はとても難しいのでそういった感慨に浸る余裕もない。
ただ、極度の集中の中でふとホールの客席の向こうの暗闇が見えることがあって、そういう時に、音楽がつなぎとめているこの世とあの世のあわいに立ち上る世界が見えることがある。

マニフィカト ラター  -Magnificat-
まだ存命の作曲家の宗教曲。日本で演奏される機会も多い。
こちらも2曲めのOf a Rose, a lovely Roseにもドリア旋法が使われていて、その合唱の響きは、オーケストラの構築する土台の上で美しく輝いている。この曲の魅力は南米の祝祭的なムードと、敬虔な信仰心とが押し付けがましくない距離で拮抗しているところだ。私が「信仰心」に心を打たれるのは、人間の美しさや強さをまだ信じていたいからなんだと思う。

皆さん、これらの曲をその日の気分でセレクトしながら、瑞々しい6月を過ごそうではありませんか。

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