不器用ブルジョワジー

音楽に国境は無いというけれど、本当だろうか。

私は西洋の音楽を専門的に学んできて、留学から帰国したところだ。

故郷で感じる季節の移ろいは、意識して封じてきた土着の民族の郷愁をいとも容易く解き放つ。

暖められた空気に乗って漂ってくる柔らかな土の香り。

トラクタの後ろに群がり、掘り起こされたミミズをついばむカラスたち。

用水路にどさどさと落ちる水。

やがて蛙の鳴き声も聴こえるようになるのだろう。

一年前に異国で味わった春とは大違い。

湿度が苦手な楽器を抱えながら、

私は深呼吸をしてその湿り気を体に取り込む。

乾燥した大陸で生まれた私の楽器は、湿度を帯びると膨張し、音の響きは鈍くなる。

それでも私はその湿り気を忌まわしく思うことが出来ない。


そんな折に、親友と飲んだ。

邦楽界に身を置く親友は、日本の音楽を学びそれを生業としている。

海外公演も精力的にこなし、日本の伝統文化を広めることにも貢献している。

普段二人で飲んでいると、ほとんど会話の内容は男の話に終始するのだが、

その日は珍しくそうならなかった。

「あのさ、そろそろ共演してみない」

「いいかもね。寧ろなんで今まで共演してないんだ、私たち」

「そりゃ、邦楽と洋楽だもの」

「そんなことで隔てられてしまうの、私たちって」

空豆を向く手が止まらなかった。

向かいにいる親友の顔を見るのがなんだか気恥ずかしくて。


私たちはぽつぽつと構想を投げ合った。

知人の作曲家にその場で連絡を取り、引き込んだ。

気になっていた会場に見学の予約を入れた。

盃を干しても干しても体は火照らず寧ろ、しんとした雪原が心の中に広がっていくように冴えていった。

そこは、日本でも外国でも、今でも過去でもなかった。

ここに雪を降らせるのも、そこに足跡を最初につけるのも私たちなのだ。

その地平は今まさに私たちの手によって生まれたばかりで、

私たちはこの地平に無作為に国境を引かれないよう、

大切に、しかし開かれた場所として耕して行かなくてはいけないのだ。



…というわけで、8月に自主企画の演奏会を行うことになりました。

わくわく。

タイトルは、その時に没になったグループ名。

意外と本質を表しているかもしれない。


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