『スキ』のことが『キライ』になってきた


※今回の内容にスキはつけないでください。


ハートマークはどうしてこうも私を悩ませるのか。


Facebookの『いいね(Like)』から始まったであろうサムズアップ、そしてTwitterでのお気に入りから『いいね』のハートマークへ。

これらはリアクションを簡単にさせた反面、言葉を交わす手間まで省略させてしまった。その結果として、コミュニケーションが軽薄になって、大事な部分が伝わりにくくなってしまった。


『いいね』ひとつ取っても、『スキ』ひとつ取っても、意味は様々だ。

共感の意味もあれば、既読の意味もあるし、他もあるだろう。

私が見てきた限りでは、「既読+言葉で返すまでもない」という意思表示もあるだろうか。


だからこそ、誤解を招かないように大事な部分は言葉にして伝えたほうがいいはずなのに、なぜかそうしようとする人が少ない。

デジタルネイティブ世代がこのことについてどう思っているのかはわからないし、「SNSはもっと気軽にやればいいんだよ」と言うかもしれない。とはいえ、その気軽さが逆に誰かを人知れず悩ませて、苦しませているかもしれないのだ。


気持ちが伝わらないなら、なんのためにハートマークがあるんだろう。

喜ぶべきではない内容の時にもなんでハートマーク押してるんだろう。

相手に余計なことを考えさせてしまうハートマークって、いったいなんなんだろう。


それならいっそハートマークなんてないほうがいい。

許可しない設定があればいい。

noteプレミアム限定でその設定が追加されたとしても、私ならお金を払ってでもその機能を使うと思う。

それほどまでに、ハートマークにうんざりしてきてしまった。

あのTwitterの創業者ですら「いいねについては後悔している。」と話していたそうだ。


前に何度か言ったことがある通り、私がスキを押す時は本当に良いと思った時だけ。でも、他の人にも同じ思いをさせているかもしれないと考えると、押すことにも抵抗が出てきてしまう。


言葉でも伝わり切らないことをハートマークだけで伝えられるはずもない。

ポジティブなものであるはずのハートマークが人を悩ませるのであれば、いったいなんの意味があるというのか。


あぁ、定期的に訪れる『ハートマークにうんざりする時期』がまた来てしまったようだ。

『スキ』のことを『キライ』になってしまうとは、なんて皮肉だろう。




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