その『いいね』の意味を知りたい
『いいね』。あるいは『Like』。
Twitterにあるハートマークのあのボタン。
もともとは『お気に入り(ふぁぼ)』だったことを知っている人は今どのぐらいいるんだろうか。
当時は、そんなに頻繁に押すボタンではなく、『心に引っかかった』という意味で特別な意味を持っていたような気さえする。
「リツイートとはまた違うんだけど、でもめっちゃわかる。その考え好き。」
「(いい意味で)むしろ広まらないで。」
と言ってもらえているような。そんな、黄色に輝く『お気に入り』が嬉しかった。
ところが、星印のお気に入りだった時は気にならなかったのに、『いいね』になってから気になりだしたことがある。
それは、「今のTwitterでつけられた『いいね』は本当にいいねなのか?」という疑問だ。
その『いいね』は本当に『いいね』なの?
これまで私なりにTwitterを使ってきて、『いいね』にもいくつかの意味があることを学んだ。
『わかる』という意味の、気軽な『いいね』。
『見ました/読みました』という意味の、本当に軽い『いいね』。
そして、本当の意味での『いいね』。
ただ、最後の場合はいくつかの条件がある。
本当に『いいね』と思ってもらえている投稿は、いいねがたくさんつくか、リツイート/引用ツイートとセットになっていることが多い。
リツイート、お気に入りで棲み分けされていたのが、いつの間にか、『いいね&リツイート=強い共感/反応せざるを得なかった』という解釈に変わったのだ。
ということは、いいねだけなのは、実は『そんなによくないね』なのか?
『お気に入り』が『いいね』に変わってからというもの、Twitterを使っていると、こんな考えが度々顔を出すようになった。
「めんどくせーな。もうこの会話終わりにしようや。」という意味でいいねだけつけて終わらせたいと感じる人もいるだろうし、
「はいはい、読みました(読んでないけど)」という意味で、リプに対して無条件でいいねをつける人もいるだろう。
・・・そんなのいいねじゃない。
「(どうでも)いいね」ってことじゃないか。
なんだよそれ。「〇〇さんっていい人ですよね」って言っておいて、実は「〇〇さんって(取り柄がないようなどうでもいい人だからとりあえず)いい人ですよね(って言っておけばいいか)」っていう意味の社交辞令でした、みたいじゃんそんなの。
あー!!ムカムカしてきた!!!
・・・と、普通の人に言われがちな「深く考えすぎ」がここでも起こってしまうのだ。
「そのいいねの裏には、いったいどんな感情があったんだろう」と。
あまり良くないニュースなのにいいねをつけたくない
特に解釈に悩むのが、良くないニュースの時だ。
「経営に苦しんでいます」
「入院しました」
「具合が悪いのでしばらく離れます」
「愛犬が息を引き取りました」
本来なら、『いいね』なんてとても言えない話なのに『いいね』がよくついているツイートを見かける。
「わかった」「OK」っていう意味でいいねをつけている人も多いんだろうと思うけど、深読みをしすぎてこう思う時もある。
「このいいねの中に、『ざまあww』って意味でいいねをつけている人がいたりして」
実際、私があまり良くない話をツイートした時にいいねがつくと、よくこの疑問が脳裏をよぎる。
復讐劇のドラマにありそうな、「(苦しんでる顔が)いいね!たまらないね!」という、実際に起こってもいない嘲笑が、赤いハートマークを見ると時々どこからともなく聞こえてくるのだ。
押す側は特に深い意味はなく押していたとしても、押された側にいる人は複雑な気持ちになっているかもしれない。
その押された側を経験してきた私自身も、『お気に入り』から『いいね』に変わった過去5年ぐらいその疑問を抱え続けてきた。
その自分自身の経験から、あまり良くないニュースの報告で終わっているツイートには安易に『いいね』を押したくないと思ってしまうのだ。
もちろん、その不幸なこと、辛いことが書かれている後に、「もう少し頑張ってみます」とか「忘れずに生きていきます」とか、少し前向きなことが書かれている時もある。
そういう時は「応援しています」という意味での『いいね』を付ける時はある、ということは付け加えておこうと思う。
最近は、本来の意味以外での『いいね』を押したくなくなってきた。
『いいね』という言葉は、一見すごくシンプルだ。
シンプルな言葉だからこそ、かえって事態をややこしくしてしまう側面も持っている。
まるで、主語を省いて話しかけて「は、なに? どういうこと?」と相手に必要以上に考えさせてしまうように。
相手の最近の態度。最近のトーン。発信内容。絡んでいる人たち。絡み方のバランス。あらゆる様子を見ながら自分なりに判断しようとする。
その『いいね』という言葉の前に隠された本心や背景を読もうとしてしまう。
こんな、欲しくもないややこしさに苛まれることが多かったからこそ、原点に立ち返ろうかと今は考えている。
本当に「いいね!」と思ったツイートにだけ『いいね』を押す。
「読みました」の意味でもリプに『いいね』を押すことに慣れてしまっていたので、矯正するのは時間がかかると思うし、うっかり元に戻ってしまう時もあるとは思う。
なので、わかりやすいところに『いいね』を押す基準について書いておくなり、知らせておいたほうがいいのかもしれない。
とはいっても、今度は「リプしたのにいいねつかないし、読まれてるのかな? もう関わらんほうがいい?」と思われかねない、別のややこしさが顔を出す可能性も考えられる。
・・・正解がないゆえに終わりがないのか。
やれやれ・・・ 削ぎ落とされた言葉も、いいことばかりではないようだ。
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