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ケイロウノヒ。

『新北京来れる?6時。みんな来るからよかったらおいで。』

母からの突然の電話。新北京とは、私が幼い頃から家族が集まるときの行きつけのお店だ。

そしてその輪の中には、いつもおじいちゃんがいた。


地元にUターンしてきたのは昨年夏。その間に、新北京での家族の集まりは何度も開かれていたものの行けず、この度は十数年ぶりだった。

ああ、新北京。

幼いときにぐるぐる回る円卓が楽しくて、からあげを何個も頬張り、デザートの杏仁豆腐まだー?なんてはしゃいでいた、ちいさな頃に見ていた風景。

新北京は夜の繁華街にあるので、幼いながらに独特のネオンの光や、お酒を飲んで楽しそうに歩くサラリーマンたちの姿にドキドキしたっけ。

そんな小さかったわたしも30歳を超え、子供ができて、同じように小さかった従兄弟も立派なお兄さんになって。

そして、おじいちゃんは、小さくくしゃくしゃになって、だけどそれでもみんなの輪の中で、しあわせそうに孫やひ孫がキャッキャはしゃぐ中、目を細めてビールを飲んでいた。


会も半ば。わたしの叔父さんが『じゃあそろそろ………』と取り出したのは、感謝状だった。


健康でいてくれてありがとう、という内容できれいな額縁に入ったものだった。読み上げたのは私の妹と従兄弟。

(はっ、敬老の日か。w と、行事に疎いわたしはこのとき思い出した)

ほんとにいつもこの叔父さんの優しさ、気配りには感服する。

十数人集まった、娘や孫やひ孫たちに囲まれたおじいちゃん。会が終わりに近づいた頃ムクッと立ち上がる。

『どうしたんおじいちゃん?トイレ?』と、みんなが聞く。

その数秒後に皆がわかった。

『あ、お会計やな。』

娘である私の母がさっと付き添ってふたりでお会計にいってくれた。

『杏仁豆腐?食べたんかいな?』
と、杏仁豆腐を食べたことを忘れても。

『トイレどこや?』
と、孫のKくんにトイレに連れて行ってもらっても。

それでも、お会計だけは一人でスマートにするんやなぁ。

幼いながらにみたおじいちゃんがお会計をする姿は、かっこよかった。

それを85歳になっても、孫やひ孫が集まったときはスマートにお会計をする。(しかも、自営業で現在も現役。)

変わるものと変わらないもの。


新北京は少し古くなり、わたしたちも歳を重ねた。孫は大きくなりなんとひ孫が2人も増えた。だけどあの時と変わらないメニュー、味、個室のシミ。

それでも変わらないスマートなお会計。

昔私が新卒で、小さな農業法人に就職したとき、おじいちゃんは心底心配した。

『生活が豊か、ということも大切なんやで。』

若かった私は悲しかった。なんでやりたいことやってるのにお金のことをわざわざいうの?決断をわかってくれない、と反発心さえ覚えた。

戦後なにもない時代を体験したおじいちゃんにとっては、豊かな生活の中で孫や子供たちとの時間にお金を使えることがしあわせで。

たくさんの短期記憶はなくしても、スマートなお会計が体に染み付いているほど、家族の長がナチャラルにできる器がある人なんだ。

85歳になる今もその信念を体現し続けていはり生き様を目の当たりにして、あ、あのときおじいちゃんが言いたかったことってこういうことやったんやな、と。

彼が大切にしたかったのは、きっと、今日みたいな時間のことだろう。

別れ際おじいちゃんありがとう、と手を握ったら『今日もええ1日やったなあ。また来るんやぞ。』と手をほっぺにくっつけた。

柔らかくてお餅のようにふわふわだった。


敬老の日。

どうか、いつまでもげんきでいてね。
わたしはあなたを心から尊敬しています。

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