解離の仕組み / 兄妹いろいろ。
要するに、兄にとっては数年前の出来事でしかないことが、私にとっては昨日のことのように許しがたく感じていると言うことなのだろうなと思う。
解離持ちにとって記憶は錆びない。
褪せないままその当時のまま人格として、もしくは人格の欠片として保存されてしまう。
逆を言うと、「忘れるということができないがために解離という現象が起きる」。
解離性健忘にしたってそうだ。
忘れがたいことを忘れるために健忘という状態を脳が引き起こす。
心が壊れないために。
*
祖母の葬儀の日、当たり前のように話しかけられた。
正確に言うと、躊躇いを祓うような戸惑いはあったのだと思う。
だけど、話しかけられた会話は他愛もないことで、そつなく振る舞うるうなは兄に対しても何事もなかったかのように言葉を返した。
葬儀後、母と兄と三人で話をする時間を設けた。
その時も私は何が言いたいのかもわからないまま、ただ自分の解離性同一性障害について説明をしただけだった。
兄からは、絶縁状態に至った事柄の話はでなかった。
私は謝って欲しかったのだろうか、。
*
理解し合えないのなら、こちらの対応を改めるしかない。
ただ、それを許してくれない私が居る。
怒りはとても厄介な感情だ。
身を滅ぼす。
頭では不毛だとわかっていることでも、それを感情が許さない。
心すら置いてけぼりにして、ただ持て余した感情だけが叫ぶ。
*
私でない声は聴こえるけど、人格化してしまっているのかは微妙なところ。
というより、"これ"に名前をつけたくない。
忘れたことにしてしまいたい。
認めたくないと言うこと?
焦燥は私が背負えばいいよ。
狭い心に住み処はない。
私ごと消えてしまえばいい。
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