忘れられた子供たち。

つまり、こう言うことなのだろう。

あの子達のために大人になった私がどれだけのことをしてあげるか、与えてあげられるか、選択肢を提示してあげれるか、想い考えてあげられるか。

それを試されているのだろう。

檸檬にとって、「大人」は敵にも近い存在なんじゃなかろうかと思う。

反抗期真っ只中の年頃だ。
それが三十代半ばの身体でそう振る舞わなければならないのは酷と言うものだ。

檸檬は賢い。
DIDという状況も理解しているだろうし、そうであるなら自身の存在意義である主義主張を保ちながら「大人」であることに無理が生じるのはあたりまえだ。

この身体で生きている以上、「私」の振りをしなければならない。
少なくとも、他者から見た私という存在の一部として居なくてはならないのは苦痛を伴うのだろうと思う。

置き去りにされたままの子らの心では、矛盾が生じる。

本来なら自然と昇華されるか、矛盾とうまく付き合うかして乗り越えていくことが、DIDとなるとそうもいかない。
人格たちは各々に存在している。
私の預かり知らぬところで育ってしまっている。

「知った風なことを言うな。お前になにがわかる。
 ボクは悪くない、おまえのせいだ、お前が悪い」

私じゃ話も聞いてくれない。
与一さんが代わる。

*

与一さんが檸檬と話してくれた。

ひとりじゃないこと、
周りを頼って良いこと、
檸檬のせいじゃないこと、

それを理解するところから始めてみるように、檸檬自身も成長すること。

自分のせいだとなじってるのはお前自身じゃないのか?
今はもう、そんなことを思ってるやつはここにはいないぞ。

そんなようなことを話していたように思う。

あー、タバコ吸いたい。

大人の俺にもご褒美をくれ。

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