映画鑑賞レポート『私だけ聴こえる』
こんにちは!七香です。🏝
先日、耳の聴こえない親を持つ、耳の聴こえる子どもたち(コーダ)が、音のない世界と聴こえる世界のあいだで居場所を探す長編ドキュメンタリー、『私だけ聴こえる』を鑑賞してきました。
ポスターを見たとき、
この映画のキャッチコピー
「ずっと、ろうになりたかった」
という言葉がすっごく印象的だったんですよ。
だって、、音が聞こえる、会話ができる、音楽のある世界
これらがなくなるのを私は望んだことが一度もなかったし、消えてほしくもないから。
聴者がそこまで頑なに ろう になりたいと思う背景には
きっと私たちとは違う文化や立ち位置があって。
それを私は見過ごすわけではなく、やっぱり、「知る」ことが大事だと思ったんです。
コーダという言葉自体知ったのも最近ですが、コーダの育ちは理解されにくく、聴者でもなくろう者でもない。
「私がどれだけ幸せかも分かってないくせに」
映画内では、理解してくれない周りに向けて発したセリフがありましたが、
耳が聞こえなかったり、コーダとして複雑な立ち位置が「かわいそう」という視点で見るのは違うんだと思いました。
コーダにとって、家族が耳が聞こえない、自分は話せるけど手話で会話するのが当たり前の世界。
聴覚障害者にとっても、音のない世界 いわゆる ろうの世界は当たり前の世界。
人はどんなかたちで生まれたとしても、それがその人の当たり前の人生で素晴らしいもので。
でも、家族を含め他者と共存していく中で、「同じ」とか「普通」を求めざるを得なくて、そのギャップに悩まされていく、、。
ただ、同じでいるために合わせる必要はないけど、
「共感性」というものは、すごく大きな生命力になるんだと思いました。
今まで、聴者もろう者も一緒に音楽を楽しむ方法を考えていたけど
聴者は聴者の方と音楽の楽しさを共感しあって、
ろう者はろう者の方と音楽の楽しさを共感しあって、
(分けてるみたいな言い方になってしまうので補足ですが、もちろん、聴者もろう者も音楽を通して一緒に共感しあえても最高なんです)
何が言いたいかというと、
いろんな楽しみ方をする人が同じ空間に安心していられること
それこそが、本来私が作っていきたい空間なのかもしれません。
コーダというものにスポットライトを当てて、ろうの文化など、本当にいろいろ考えさせられる映画でした。
みなさんも機会があったら、観てみてください。🎞
本日も読んでいただきありがとうございました!
🌟関連ページ🌟
・映画『私だけ聴こえる』公式サイト
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・映画鑑賞レポート『Coda コーダ あいのうた』
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