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置かれた場所で咲くのではなく、自らが置いた場所で咲けたらもっといいよね。

「置かれた場所で咲きなさい」。
今ある環境が全てだ! とかこの環境に自分がいられることは恵まれてるんだから、そこで一生咲き続けなさいね。ちょっと大袈裟に言うとこんなふうなことが、日常でそこかしこにある気がする。

大学生で「自分の好きを仕事に」できることが理想だけど「親がこどもにやってほしかったこと」をこどもが期待背負ってそっちを優先させてしまったり、自分の能力を全く活かせない、畑違いなところで咲いてしまったり。

その結果、自分のことを嫌いになり始めて「なんであの分かれ道で正解を選べなかったんだろう」とか、自分の気持ちよりも親を優先してしまったんだろう」とか

悶々とした気持ちが終わらないくらい湧いてくると思うんだ。

そもそも、これは人間ではなくてことわざのせいだとわたしは感じている。
ことわざを最初に作ってくれた人には申し訳ないけど、
「出る杭は打たれる」
「置かれた場所で咲く」
「石の上にも三年(いたらそのうちいいことあるんじゃない? 知らんけど)」
みたいに、
受動的な言葉が多く感じない?
「出る杭を打つ」
「自分が置いた場所で咲く」みたいな

主体的な言葉を使ったことわざって、あまり聞いたことない気がするのはわたしだけ?

それを日々言葉に出して言うことで自分の耳にスッと入ってくるからさ、気持ちも何となく受け身になってしまうんじゃないのかな、ってわたしのものすごく勝手な思いが並べられるnoteの世界。

三年がんばっても自分の才能が芽を出しそうにないなぁって思ったらひょいっとその石から飛び降りてみることも大切だと思うし、置かれた(与えられた)状況を楽しむことができるのも大切だけど、それ以上に大切なことは「自分はどうしたいの?」ってことだと思う。

自分の気持ちを殺してまで優先させるべきもの。
それは、本当にあなたにとっての幸せになるものなのかな?

仕事で、プライベートで
自分の心の中だけで。

いろいろなシチュエーションで、「心」が自分の本音を邪魔するときもある。

でも、それはあなただけに聞こえてきた
か細くても自分の声だから
あなたにしか大切にできないんだよ。

「違う!  こんなのわたしの本音じゃない!」なんて
自分を否定したくなるときもあると思うけど、
わたしはそんなの嫌だなぁ。
どんな自分であっても、ダサくても天然でも
「まぁ、自分の気質やもんね」とアッサリ受け入れてあげられることが最終目標なんだ。

人。
どうしても「今いる場所に」と理由もなくしがみついて、現実を変えることが怖くなるときもあるよね。

変わりたいって、自分を変えたいって思ってても変われないように、「わたし」はすごく厄介な生き物だと思う。

単純ならそんなことでいちいち悩まなくてもよかったのに、とあなたが頭を抱える日が 一日でも少なくなりますように。
七夕直前のわたしの願いごと。

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