見出し画像

海外に住むって孤独〜ムンバイ5ヶ月目〜

ムンバイに越してきて5ヶ月が経過。長かった…
日本人は少ない、親しい人もいない、お金も十分にない状況から始まった初1人暮らしinムンバイ。落ち込むことが多く、生活を安定させるのに時間がかかりnoteを書く余裕がなかったのだけど、最近ムンバイの生活のも慣れてきたので久しぶりに今の心境を綴ってみようと思う!

日本を出てからのこの5ヶ月

デリーの時と違い、日本人がCEO以外私1人という今回の職場。違う文化、言葉、常識を前にして同僚たちとのコミュニケーション、ムンバイの生活に慣れるのに苦労した。しかし根本的な原因は私の「誰も私の苦労を理解してない、しようとしない」と言う心のブロック。同僚たちは皆さん親切で穏やかな人たちばかりなのだけど、私が前職、デリーでの生活と比べて不満を抱えていたから。「ムンバイの物価の方が圧倒的に高いのに会社からのサポートが足りない」、「日本人がインドで生活することが大変だと言うことを誰も理解してない」、「現地採用だからといって、ローカルのインド人になれるわけではない」、「気持ちを共有できる人が周りにいなくて寂しい」と言う不満。
その一方で「望んでここに来たのは私」、「不満にフォーカスするより対処することが大事」「分かっててここに来たのだから、文句を言うのはおかしい」、「海外に住むとはそういう事」、「この状況を作ったのは私の選択、私自身の責任」、「これもいい経験になる」と言うことも理解していた。だから、上の不満は受け入れて一旦頑張ることにした。

ただ、受け入れてもやはり新生活に慣れるのは大変で、寂しくて1ヶ月に1、2回は体調を崩し同僚達に心配されていた。寂しさを感じるorムンバイ生活が嫌になる→喉が痛くなるor頭痛がする→体調を崩す。と言った流れ。それも最近は改善し体も心もこの生活に追いついてきた実感がある。徐々に、慣れてきたんだと思う。

今回初めて「海外で生活する」ことの大変さを実感

前回のデリー生活では職場に日本人が大勢おり、日本人に優しい福利厚生を享受し、インド生活に慣れている仲の良い同期と一緒に暮らしていた。言語、文化、1人で生活をマネージする際の壁にぶち当たらずに済んでいた。「インド最高じゃん!」と無邪気に言っていたのが懐かしい…

2度目の海外生活で私が個人的に感じたこと
海外で1人で生活するとは孤独。言葉と常識、文化の全く違う地で自分の心地の良い生活を作り上げるのには大変な労力、気力がいる。自分が何を優先するか(快適な部屋か、立地か、高価な日本食等の食事か、など)を自問自答、検証しながら選択し、自分の考えや要求を主張していくこと。時には戦うこともある(主に大家…)。英語が瞬時に話せないと馬鹿にされる時もある。侮られないように弱みを見せない、力を見せて行く(あるかのように見せる)ことも時には大事。
誰も自分の求めるような心地の良い方向へは導いてはくれない。それができるのは自分だけ。自分だけが変えられる。自分しかいない。
それでも、自分の気持ちや状況を誰かに共有することも大事。言葉や文化、立場が違っても、全部理解できなくても伝える努力が必要。そうでないと伝わらない。そうしないと自分で自分を孤独にしてしまう。誰かと過ごす時間も必要。自分から動くこと。

今思い返すと

前職でインドに初めて来た元同僚の女性が仕事とプライベートどちらでも、何に対しても自分の考えや要求を強く主張する様子を見て「大袈裟だな、ピリピリして神経質だな」と思っていたけど、今なら分かる。万全な保証がない状態で海外で1人で生きて行くには必要なことだったと。

海外で生活されてきた、1人で自立して生活している方々からすると「何だか子供だな」と思うかもしれない。私もそう思う、私あまちゃんだったんです。
今まで親や姉妹、親切な友人達にお世話になり、支えられ、頼りっきりで自立できていなかったこと、苦労や我慢が嫌いな私はずっとそれを避けて生きてきたと言うことを今回のムンバイ移住で改めて実感した。そして見たくなかった自分のキャパシティにも目を向けざるを得なくなった。今まで避けていた事を今体験している。

そんな中で嬉しかったのが、先日ムンバイまで遊びにきてくれた元シェアメイトの「ますます頼もしくなったあなたに会えてよかった、おもてなしありがとう!」と言う言葉。一緒に住んでいた時も、どこに旅行に行く時もお世話になっていた彼女に「おもてなし」ができたなんて。

「27歳にしては遅い気づきとチャレンジだな」と落ち込み、自信を無くすこともあるけど、今年の「自立、自分の身を自分で立てる」と言う目標達成への道は着実に進んでいる。一年前の私と比べて変化を遂げている。だから良しとしよう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?