依存は防衛本能

常に刺激される痛覚を鈍らせるために必要。
暴飲暴食もフラッシュバックなどで刺激される痛覚を鈍らせるための本能的な行動だと思う。
感覚に対しては直接的に別の感覚を刺激することで紛らわせる。

依存してる様は醜く思えるかもしれないがその人は傷をおっていて、その傷は一向に癒える気配がないのかもしれない。
トラウマに起因するのならばそのトラウマが呼び起こされるようなものを避けられない限りひたすら痛みは続く。

経験を積んだり本を読み勉強をすれば新たな知見を得て変われることもあるが、それでは遅い。
だから気を紛らわせるために甘い物を摂取したりして即効性のある物で紛らわせる。

不眠症も同じ。
見えない傷がずっと傷んでる、痛覚が刺激され続けている状態で眠るなんてことは難しい。
その痛みはいろいろな感情を呼び起こし当人を苦しめる。
だからスマホを開いて気を紛らわそうとする。

それに対してスマホを触るから寝れないんだ。
なんて言うのはその人の傷が見えない。見ようとしない人間の暴言なのだ。
余計言われた方は傷つくし、殻に籠る。
傷は悪化して治りは遅くなる。
時間が経てば経つほど周りの人からは傷の原因など忘れ去られ、何もないのに苦しんでいる人と言うふうに映る。
しかしその苦しみに時間は関係ない。
過去に起きたことであれ、記憶や感情を生々しく叩きつけられ当時の感情をそのまま、もしくはもっと増大させて呼び起こす。

依存は行為で目に見える。
しかしその原因は目に見えない。
そのせいで悪化してしまう可能性がある。
しかし依存は一時的には必要なことなのだと思う。
でなければその苦しみが永遠と続き、その生々しさ、記憶の臨場感は四六時中その人を襲い続ける。
そうなれば他者を傷つけたり、自分を傷つけたりする。

適度に依存をしながら精神を整えて習慣を作り、自分を深める行いをするのが良いのだと思う。

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