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ショートショート:『金』‐時と涙を超える魚


ぬるい空気のせいかなのか
それとも 湿る瞳のせいなのか
かすんだ視界の片隅には
ぼんやりと浮かび上がる様々な色した まぁるい光玉。

子供がきゃっきゃとあげる声は
私の耳に入ることなく 高く 夏空の中に吸い込まれてゆく。

祭り通りを行き交う人を避けるように
私は一人 道を外れた所にある神社の石垣に
いつになっても曇りが晴れない視界を
ただただ受け入れながら 座っていた。

もうダメだ。

自分を繋ぎとめていた細い糸が小刻みに震え
無言の悲鳴を上げていた。

今までボロボロになりながらも這い上がることを繰り返し
やっと夢が掴めそうになった瞬間
ふと それが姿を消した。
追い求めてきたものが、追い求める道ごと跡形もなく。
助けを求め 私が伸ばした手の先に 
それを掴んでくれると信じていた人の姿もまた
夢と共に闇の何処かへと消えていた。
宙ぶらりんに差し出された私の手の先に見えたのが
この生暖かい真夏の祭り通りだった。

大粒の涙が握りしめた手の上にボトボトと落ちて行く。

体中の水が流れ出るような大粒の涙が 手を伝い
瞳へと戻っては また落ちてゆく事を繰り返していた。




『おい!』

どのくらいこうしていたのだろう…
ハッとし あげた顔の頬が 乾ききった涙の跡でぴんと張る。

目の前に一人の少年が立っていた。

丸刈りにした頭に、薄汚れた白いシャツ。
よれて埃だらけの半ズボンに、ボロボロになったゴム草履。
無造作にポケットに突っ込まれた左手に
グッと右手に握りしめられた一匹の、金魚。

少年と目が合うと 彼は目を丸くし… 
と思ったら すぐに私から眼をそらした。

十二、三という所だろうか…まだこんな素直な子がいるんだな。
私は自分の目を軽くこすった。
彼が私の泣きはらした顔を見て 驚いたことは
何となく 彼の反応を見て分かったからだった。

『まっ、まつり!!終わったぞ!!』

ずりっと一歩後ずさりしながらそう放つと、彼はポケットから引き出した左手で鼻をこすりながら私の横を早足で過ぎていった。

とっさに私の口をついて出た。

『あ、ありがとう!』

自分の声の大きさに 自分でも驚いた。



通りを見ると 人は誰も見当たらなかった。
提灯の明かりが ぼーっと真っ赤に揺らぐだけ。
幾つもの赤い光玉が ぽつりぽつりと通りを照らし 
香ばしいイカの香りが鼻をくすぐる。
ふっと吹き付けた風に どこからか風鈴の音が乗り
目の前に一斉に舞い上がる蛍たち。
遠くで下駄の音が鳴ると 猫がにゃーと甘い声を響かせる。
カラン コロン カラン コロン。
祭りの余韻に目を閉じる。

ふと手を置いた石垣が ごろっと揺れる。

時間…今 何時だろう…

そんなことを思いながら 石垣に生える苔をつまむ。
少しぬめり気のある感触が 何となく心地よく感じる。

不思議と今まで流していた悲しみが何だったのかさえ
分からなくなるほどに
私の中の糸がゆるく 空中を漂うように 静かだった。


と、後ろから誰かが走ってくる音が聞こえた。
草むらを分けながら シャッシャ ザッザと…。
後ろを振り返ろうと 身体をひねり返すと
さっきの少年が 生い茂る草むらから現れた。

『わぁ!!!』

驚きのあまり声を出すと、

『ねーちゃん、いちいち声デカいんだよっ!!』

前かがみになって息を切らしながら 少年はそう言い放った。


『ん!!!』

少年がおもむろに私の前に右手を差し出す。
手の中には 赤い紐で閉じてある透明の袋に入った小さな金魚。

『やる!!』

『え? 私に?』

『ほら!!やるから!!』

少年は左手で顔を覆いながら ぐいと金魚を私に突き付けた。

訳の分からぬままに ちょろりと動き回る金魚を受け取ると
少年はすぐにくるりと向きを変え 足を出す。

『待って!で…でも…これ、せっかくお祭りでとったんでしょ?』

そう言うと 少年は足を止めた。


『ねーちゃん しってっか?』

背を向けたままそう言ったかと思うと またクルリとこっちを向いて
右手で鼻をこすりながら にかっと笑った。

『金魚ってな、自分の涙の中でも元気に泳ぐんだぜ!
 すげー つえーだろっ!!』


 呆気にとられる私を背に 彼が草むらの中に飛び込んだ。

『それ!取るのに60円したんだから 大切にそだてろよ!』

草むらから大きな声が響き 慌てて叫んだ。

『君の名前 なんていうの?!』

少しの沈黙のあと

『金五郎!!』

草むらを揺らしながら 遠くから でもはっきりと聞こえた。

『あ、 ありがとう!!金五郎君!!!』

ありったけの大声で高く茂った草に向け放った。


小さな金魚がパクパクと口を開け閉めしながら
ビニール壁の外の世界を不思議そうに眺めていた。



『自分の涙の中でも、力強く泳げる…か…。』

小さな金魚が 今の自分よりよっぽど大きく感じた。
この小さなビニールの中で、どれほど泣いたことだろう…。
それでもなお、この金魚は外の世界を見つめながら
涙を糧にして呼吸して
涙の中で生きている。
涙で自分の泳ぐ世界を広げながら…。


『帰ろ…かな』

キレイに並び固められた石垣の上に ちょこんと置かれた鞄を手に取り
未だパクパクと口を開ける金魚を手に 
目の前の砂利道から祭り通りに出る。

さっきまでは人が誰一人として いなかったと思った祭り通りは
また賑わいを取り戻していた。
「スーパーボール6個とれたぜ!」
「パパ!あれ買って!」
「かき氷いかがですかぁ!!」
様々な声が飛び交う中
色とりどりの提灯をくぐりながら 金魚の名前を考えた。



『金ちゃん』
そう 決めた。



『いってきます!!』

あれから一年。
未だ金ちゃんは 口をパクパクしながら大きな水槽の中で
ガラス壁の外を不思議そうにじっと眺めている。
そして私は こうして金ちゃんに毎日笑顔で語り掛け 前へと進んでいる。
どん底からもう一度 這い上がってみよう…
そう思わせてくれたのは 他でもないあの少年だった。


涙の中でも泳ぐ金魚の様に…
強く…なってやる。

そう心に決める事が出来たから。


今日は夏祭り。
父と共に赴任先へと行っている母が家に帰っていた。
『あー!行きたい行きたい!一緒にいこうよ!』

一年前 途方に暮れ歩いた道を、母と一緒に笑いながら歩く。

『うわぁー!懐かしい!母さんが小さい時から変わってないなぁ!』
飛び跳ねながら祭り通りを歩く母は まるで子供だ。
頭上には色とりどりの光玉が輝く。
甘い綿あめの香りと、ツンと来る焼きそばの匂い。
キラキラと輝くりんご飴に ひょっとこのお面が恨めしそうに顔を覗かせる。
『あっ!金魚すくい!!』
母が駆け寄った先には、沢山の金魚が入ったプールがあった。
その端に「一回200円」と札がかかっている。

200…円?

『母さんね、小さい頃金魚すくい上手だったのよ!!
 おじいちゃんが毎年連れてきてくれてね。必ず金魚すくいしてたのよ!』
そう自負していた物の、母のポイはあっけなく破れた。
クスリと笑いながら
『金ちゃんいるから大丈夫よ お母さん』
沈む母の肩にそっと手を添えた。

沢山の笑顔を 沢山交わす。
祭り通りを私は 今年 堂々と笑顔で歩いている。

でも心の何処かで坊主頭を探していた。
心の何処かで 二カっと笑う彼を探していた。
私を泳がしてくれた 彼にちゃんとお礼が言いたかった。

『あっ!蛍!!』
母の声につられてみると、一匹の蛍が曲線を描きながら通りを飛んで行く。
『蛍なんてこの辺でもう滅多に見れないんじゃない?!』
両手を合わせて蛍の行く先を見つめる母。

あの日の蛍達を思い出し、ふと神社のある方へと目をやった。
神社へと続く細い脇道の光玉が 赤く灯っている。

『お母さん、ちょっと寄っていきたいところあるんだけど』

首をかしげる母と共に、祭り通りを外れて砂利道を進む。
ジャリ ジャリ。
蛍が舞い上がった草むらだった…はずの道。

『あーー!!この神社!!』
母は嬉しそうに声をあげ、たたっと足早に先を急いだ。
綺麗に手入れされた神社の階段をひょいっと上がる。

彼が消えたはずの生い茂る草むらも、
何処にも見当たらない。


『ここね…』

『おじいちゃんが毎年、夏まつりの日に来てた場所!』

母方の祖父は、私が生まれた年に亡くなった。祖父の記憶は私の中には一つもなく、こうして母が時たま思い出す事だけが「記憶」として私の中に刻まれる。母はいつも「祖父は素敵な人だった」とそう言っているが、遺影の中で微笑む祖父だけが、私の本当に知っている祖父だ。

母は昔の記憶の糸を辿るかのように、ゆっくりと辺りを見渡す。
ふと思い立ったように 石垣の方へと歩み出した。



優しく微笑みながら母は一年前、私が座っていた場所にゆっくりと手を置いた。

『おじいちゃん…ここにきてはね…』


『誰にともなく、こうして此処に手を置いてね…』


----”強く泳げよ”

『って…そう笑って呟いていたのよ。』





母はちょっと潤んだ瞳で私に微笑みながら

『なんかのおまじないだったのかしら…ねっ!!』

と舌をだした。




『お…母さん…。おじいちゃんの名前って…』

まさか…。


あり得る事がない「まさか」がじんわりと広がる。


『あれ?やだ!!知らないの!?!』



鼻を右手でちょこんとこすり、 母がニカっと笑う…




『金五郎!!』




一年前の彼の面影を乗せて笑う母の後ろで 

蛍がふわりと舞っていた。





幼い祖父からもらった年齢不詳の金ちゃんは…
今日もじっと、水の先に広がった世界を
私と共に眺めている。



(おわり)

Xuさん、Riraさんによる夏の企画:)この企画に参加させていただきます。
久々のショート…なんだかちょっと自分が書きたい様に描けなかった感満載ですが許してください。

夏が待ち遠しい…そう日本の雨雲を眺めていた私。一か月の一時帰国を楽しんで参りました。今でもまだぐずぐずしたお天気な日本だと聞きますが、夏はすぐそこに居る。この素敵な企画にそんな夏への想いを馳せさせて頂きました:)
素敵な企画をどうも有難う、Xuさん!Riraさん:)

☆見出しの絵は母に母の時代の夏祭りを聞いた時に、母が走り描きしてくれた金魚です。おおざっぱの説明に添えられた絵なので、使ったと言ったら「んもうぉ~!」って頬を膨らませるでしょう:)ふふふ。


七田 苗子



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