長編小説「ひだまり~追憶の章~」Vol.3-⑥
~真夏のスキーヤー@祇園祭を過ぎた京都~
Vol.3-⑥
いつもの時刻発の電車に駆け込み、危うく遅刻を免れた。
私のタイムレースは、会社に到着する50分前から始まる。昨夜からの珍客、池田君を朝早く追い出した後、他人の匂いを拭い去るべく部屋を片付けている内に、スタートに出遅れてしまったのだ。
帰宅した時、『我が城』に他人の抜け殻が残っているのは、妙に嫌だ。それが肉親でも腐れ縁の友人でも。独り暮らしを始めてから、『我が城』に単独で乗り込んで来たのは、弘也だけ。
それゆえ、すこぶる珍客である池田君、昨夜は砂糖入れ過ぎのコーヒー3杯と、持参したユーハイムのクッキーを流し込みながら、堰を切ったように長々と自分の過去を語り始めた。
感慨深げな私の相槌を聴くだけ聴いて、実は適当にあしらっているのに満足気な顔して、愛車MOVEで自宅へ帰って行った。
高校時代の思い出なんて記憶さえ曖昧で、それより故郷を出て行く明日の自分の志しか興味なかったので、池田君の過去の記憶の明確さに驚かされるばかり。それ以上何事も起こらなかった事だけ、私は満足していた。
別れた弘也との失敗経験から、ゴールは故意に遠ざけノタリクタリしているのが正解だと学習していた。年下のわりに大人びた雰囲気な所に惹かれたのだけど、もっと長い目で観て他の魅力を見つけてからゴールを急いだって、好いのだと。
その時点の学習成果は後々、あながち間違いではないと確信する。がしかし後々出逢うほとんどは、通り一遍の魅力の他が見つからず、付き合う事にも成らないチャンスしかなかったのだ。
もう、〈質より量〉で選ぶ年齢でもないのだ。
電車の扉にもたれて、窓の外をボンヤリ眺める。
先シーズン信州で生活する前の、アルバイト時分も含めると、昼夜もう何百回となく眺めてきた、家並み。何を見つめるともなく眺めてしまう。浮気しているサラリーマンも、上級生に憧れている中学生も、衝動買いを後悔している主婦も、似たような無数の屋根の下に、帰って行く場所が在る。
ふと、乗換駅までの線路沿いに、弘也の自宅を見つけた。
去年の秋に音信不通に成る前から今日まで、線路上からは気づきもしなかった。4人家族で暮らす弘也には、ひとつ恋を失おうと独りぼっちに感じる夜は無いのかもしれない。眠れぬ程寂しく成れば、弟とオセロだって出来るのだ。
こんなに身近に住んでいるのに、今はやけに遠くの存在に感じてしまう。想い出の凝縮された一軒家がゆったりと流れて行く。一瞬のうちに弘也と過ごした日々がフラッシュバックする。
春先に見たあの夢のせいだろうか。。。ただ人恋しいだけなのか。。。
冬の間、信州で生活していた時は心の表層にも出て来なかったのに、最近ふっと弘也の事を思い出してしまう。
今更再開して、何かして欲しいわけでもない。以前のように一緒に居るだけで穏やかな安堵感に包まれたり、底無しに落ちて行く快楽に浸れたりする自信もない。
ただ、愛着のジャクソン・ブラウンのCDが弘也の手元にある限り、ふと思い返してしまうのかもしれない。あるいは〈サヨナラ〉も告げずに行き来が途絶えた別れ方をしたために、納得の行く答えが得られないでいるだけかもしれない。
かと言って、今更『CD返して』と会いに行く勇気も無く、できる事なら知らない間に郵便受けにでも返してくれたら、、、と願う。他力本願で自分勝手。そのくせ本当に返してくれたらスッキリしてしまえる自信もないのだ。想い出をくれる分、所有権を放棄するべきか。。。優柔不断で潔くない。
これらの性格は、誕生日が5日しか違わない弘也も同時に持ち合わせている特徴だ。調子の好い時とは裏腹で、運が悪い時は、補い合えない似た者同志の弱点の露呈が事を有らぬ方向へと、悪化させて行く。
憎むことさえ出来ないのだ。
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