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遺しておこうなきもち。#1

「遺す」とは、何かの価値あるモノやコトに対して、価値の一部でも損ねることなく、その全てを次の代に引き継ぐコト

株式会社ファンクショナル・アプローチ研究所オフィシャルブログ

はじめまして、ℱⁿナミ(https://twitter.com/nami_live4u)です。とろける声の七色ボイス、歌う雑談配信者です。
声劇、イラスト、動画編集もやります。本業は商品やサービスを世に広めるお仕事なので、今後は経験も生かしながら声のお仕事もしていきたいと思っています。そんな私の声が知りたい方はYoutube(onl.bz/j6QvBvC)へ。


とはいえ、最初におつたえしておこう。配信者のこんな面を、知りたくないという方もいると思う。これはそんな文になるよ~というニュアンスを「遺」に込めた」。ここはきれいなだけのステージじゃない、楽屋裏。

日頃、声でつたえることはあっても
すべてがつたわるわけではないから
文章で書き遺しておこうと思う。

たぶん、いま感じていることもずっとは続かない。
かたちは変わる。幸せの意味も変わる。
それでも、足あとをたどって原点回帰の縁(よすが)になればいい。
そんなきもち。


休日の朝、5時に起きた。
寝ぼけたまま自重トレーニング開始。体を少し温めてから、たまっていた家事をする。
季節がうつりゆく窓の外をしばらくぼんやりと見つめて、最近手に入れたお気に入りの鉄製のお鍋で沸かしたお湯を飲む。
こんな私の過ごし方を、人はどう思うのだろうか。
「オシャレ」だといってくれる人もいるだろうし、「優雅だ」と言ってくれる人もいるだろう。くだらないと一蹴する人もきっと一定数いる(笑)。
私にとってはというと、とんでもなく恵まれたことだ。
それと同時に、まだ「とんでもない犠牲を払っているな」とも感じる。
いつかは、こんな気持ちがなくなるといいなと思いながら。


わたしには努力という名の「負けず嫌い」が備わっている。知っている人もいるけれど、「細く長く」を意識しなければ、私は寝ることすらしなくなる。ご飯も食べずに動き続ける。欲しいもののために。なによりも「自分に負けること」が滅法気に食わない。

それは配信者としても同じで、歌を歌うことも、きれいに歌う努力をすることも、まったく苦ではなかった。私にとって努力は己の価値と同等なのだ。それがなければ、価値がないから。「誰かにとっての価値」がなければ意味がない。
だから私は、時間という対価を払って努力をしがち。私にはたいてい何にでも理由がある。する理由も、しない理由も。つづける理由も、辞める理由も。表現の形ですらも。選ぶ方法と手段でもって、圧倒的な数と量で質を上げつづける。

技量が上がっていくのは楽しい。
できることが増えることは嬉しい。
だから、もっともっと、こなしたい。

……ひょんな話の流れからこの話になったのだけど、
そこでふと相手が返したことばに、私は息をのむことになった。

「価値って、ないとダメですか。」


その瞬間、世界が止まってしまったかと思った。


いてくれてありがとう、と他のだれかに何回思っただろう。
来てくれてありがとう、と他のだれかに何千回つたえただろう。
それなのに。

そこに居てさえくれたらいい、と他のだれかには思えるのに
じぶんにカケラも思わなくなったのはいつからだった?

そのとき、気づいてしまった。
他のだれでもない、私自身が 「いてほしい」 と思われたいことに。
ずっとずっと、寂しかったことに。


そのことがあって、5年勤めた職場を辞めた。
責任もあったしやりがいもあった。だけど離れることを選んだ。
長時間労働は苦ではなかったけれど、やっぱりこころが擦り切れていた部分はあったのだと思う。

入社当時から面倒をみてくれた直属の上司は美少年顔のスタイル極上、タバコの残り香がすてきな40代男性なのだけど、最期の出勤日にいちども私を見なかったのが一番つらかった。たぶん、だけど、上司はすこし泣いていた。私も泣きそうでまったく顔を見れなかった。後輩にがんばれよとは言わなかった。今にして思えば「同時期によく配信活動やれてたな」と思う。私はどうやら、極上のがんばり屋さんらしい。こうして私の睡眠時間2時間生活は終わりを告げた。そのあと2週間ほど泥のように眠りこけた。

肩の荷が下りる、というけれど。
透明でみえない、いつのまにか背負っていた荷物が
ふいに消えた。
本当にそんな感じがした。


そんなわけで、あたらしい会社に内定を得た私は、4カ月ほどおやすみしてから社会人生活に復帰した。
この休養のあいだ、配信活動では17時間配信をしたり月配信100時間突破したりと自己最長記録を塗り替え、リスナーさんの支えがあってイベントで連続入賞し、CMと2023年冬に地上波放送される「3人のチロル」ナレーション権をいただいた。
ここまでがざっくりとした近況報告。


いまは、すごく、多角的に生きていると思う。

以前はというと、「仕事する時」には仕事の、「配信する時」には配信者の自分がいてそれぞれの価値を自分でつくりあげていたと思う。
だから「やらなきゃ」とか「こうあるべきだ」といつも考えていて、実際それに必要なことを身につけていった。
実績や、価値や、存在感をぶら下げて、こころの中に勲章のように飾っていたと思う。

ℱⁿナミの推しマは
ℱ =フォルテ(強く、の音楽記号)
ⁿ =整数・〇〇乗  ⁿ は、関わってくれる人の数。
みんなの想いの数だけ、 配信者として強くなれるように 居心地のいい場所であるように そんな気持ちが込められた推しマです。

ℱⁿナミのプロフより。

でも、いまの自分は。
歌をうたう自分も、ご飯をたべる自分も、仕事をする自分もみんな等分に愛しくて、どれもいいのだとこころの底から思える。一時的にどれかに偏ったとしても、じぶんの力で戻せる。じぶんが生きたい方向に行ける。
「やれない」「やるべきだ」と自分を縛っていたのは自分だった。

人と同じじゃなくても、私には私にしかないものが確かにある。それを認めてくれる人たちがいることに底知れぬほどの感謝がどんどこ湧き上がる。

嫌なことは嫌って言える。自分のために。
傷つけそうなひとから遠ざかることができるし、
仲良くしたいひとには自分から近づける。

私は、配信をはじめて、たぶん、やっとわがままになれたのだ。

そしてこれからも、配信活動をどこかで、ゆるゆるとやると思う。

もしかしたら、新しいことを新しい場所で始めるかもしれない。でもそれはたぶん、配信を始める前の世界線のように「辞める→始める」というきっぱりしたものではなくて、いまこの延長線上にある活動になると思う。そんな予感がする、としか言いようがないのけど。

なぜかというと、これまでに出会ってくれた周りの人がわたしにくれた、感情や、時間や、温情をそっと抱きしめながらそっと降り立つことに嬉しさがこみあげるようになったからだ。
昔の私が好んだ「白黒はっきりついた世界」よりも、この境が曖昧とした、もそもそしたゆらゆらゾーンを楽しめるようになったかもしれない。

たぶん、今ならそれができると思う。

最期になるけれど、伝えておきたいこと。
出会ってくれてありがとう。
いつも見守ってくれてありがとう。

今日のあなたが、しあわせな一日をすごせますように。
つぎに見返すときはもっと強く願えますようにと、願いを込めて。

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