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敏感さんでもそうじゃなくても

 40代で気づいた。「あ、私HSPだ」

HSP=敏感さん。アメリカの心理学者エレイン・N・アーロン博士の研究に基づいたもので、脳の作りの違いによってストレスを処理する能力が活発であるが故に不安や恐怖を感じやすい性質を持つ性格のこと。20%の人がこの気質を持っていると言われている。

敏感さんがしんどかったこと

 今までの生き辛さの理由がわかった。私としての辛さは「強烈な違和感」や「不安」が全人類標準装備だと思っていた為に、いつもそこにあった。みんながそれをうまくやり過ごしている中で自分だけがその違和感にずっと引っかかっていると思っていたこと。クリスマスのプレゼント交換で、誰かのプレゼントが回ってきて「ゲッ」って小さな声で言った友達を見て、苦しくなったこと。学校で先生が友達をめちゃくちゃ殴っていたこととかが悪夢みたいに何度も思い出されて吐きそうになったこと。その違和感や不安をうまく処理出来ない自分を見せない様に、笑って良い返事したりして先生を怒らせない様にした学校時代とか。そんな自分に嫌気が差して帰って布団の中で反省会とか。

 奇しくも我が子が同じ様に学校で苦しんでいる時、たくさん調べている内に出てきた言葉、HSP。情報化社会、万歳。

 これを知ってから、私は自分のことを本当の意味で全面的に受け入れることが出来る様になった。それと同時に、今ある「当たり前」を徹底的に考える様になった。「普通こうじゃん」ってのが日本の価値観のベース。一億総「普通でいたい」国民みたいな。基準がかなり曖昧な「普通」を追い求めてみんなが我こそは「普通」でありたいと願っている。
その割に出過ぎた杭みたいな人は、ヒーロー視されたりする不思議。きっとその「普通」に飽き飽きしている人たち、またその「普通」に実は実態がないんだってことに気付き始めた人たちが「脱普通」に憧れ始めているんじゃないか。そんな気がしてならない。情報化社会、万歳。
 でも落とし穴は「普通じゃないことが普通」みたいな不思議なカテゴリーも出現したりして…何が何やら。普通を追い求めるのをやめた人たちがまた新たな「普通」を作るというループ。

 とにかく2割という圧倒的少数派=普通じゃない部類で40年過ごしてきた自分にとって一番しんどかったことは、普通になれない苦しみよりも「普通でいろ」と要求されることだった。
 このHSPを知ってから「そもそも脳の作りなら仕方ないじゃん」と開き直ってから私の人生はまた面白くなってきた。

 そう、正に開き直り。正直敏感だとか言いながら今まで結構好き勝手に生きてきた。普通じゃないことは自覚していたから、敢えて「普通になろう」というのを早々と諦めていたし、親も普通を求めなかったから(親も普通じゃなかった)自由に振る舞えた。その点はかなり環境に感謝している。
 だから、今私が「実は私、"敏感さん"でさ」っていうとにわかに信じがたい!という人も多い。「めっちゃ学校生活楽しんでたやん」って言われることも多い。そう見えてたんやな、私的にはそう思う。必死やったんやけどな。

HSPっていう肩書き

 ま、人が私を「HSP?嘘やん」って言ったところで、全然痛くも痒くもない。私は今それを自分の言い訳にしなくても生きていけるから。私は自分が楽に生きていける様に、大人になってから無理をするのをやめた。付き合いたい人とだけ付き合い、一人で過ごすことを良しとしている。
 学校では一人で過ごすと「友達がいなくてかわいそう」とかネガティブに思われるので、一人でいないためにどこかの集団に所属する必要があり、時に私は大変な無理をしていた。その時の無理がトラウマ級だから、今は敢えて一人で過ごす時間や信頼できる少数の友人、家族と過ごす時間を大事にしている。気が進まない飲み会にもパーティーにも"ちゃんと"行かないと決めている。

 だから、今自分がHSPであろうがそうでないように見えようが何であろうが、私はこれを"自分自身さえちゃんとわかっていれば良い"ことだと思っている。自分に向かって「おいおい、無理すんなよ。したくないこと無理してしていないかい?無理して笑っていないかい?」と時々声をかけてやれる。昔みたいに「みんなは楽しそうにやってるのに、なんで自分だけ楽しくないんだろう」なんて思わずに済む今が、最高に楽しい。

HSPの希望

 なんと今、「敏感さんに憧れる人」がいて驚く。はぁ、私がこんなに長い間苦労して付き合ってきた自分のこの特徴が、今や憧れられるものだとは。まだまだ捨てたもんじゃないですね、世の中は。
 でも確かに。今までは「みんなみたいにうまくやれない」という負の色が濃かったこの特徴も、実は顔を見てその人の気分を察するというのは一つの能力だとわかったのはつい最近のこと。それがピッタリ当てはまる職業に自分が偶然出会っていることにもまた驚く。HSPは小さな心の変化に敏感なのだが、それが自分自身だけでなく周りの人の心の変化にもかなり敏感に気付くという点で、教師や心理カウンセラーに向いているという記事を何かで見て納得した。生徒が不安そうな時、さりげなく声をかけることが出来る。生徒が何かを言いたげにしている時、少し話を聞く時間を作ることが出来る。ただ、あまり大勢と常に向き合っていると自分の心が疲れる程敏感にキャッチしてしまうので、今は少人数クラスの教室の先生。丁度良い働き方。
 HSPはそれを自分のストレスにせずに、強みにすることも出来る。ちょっと前までは「心が弱いっすね」とか「お豆腐メンタル」なんて普通に教育現場で小馬鹿にされることもあったけれど、もう少しこれが理解されても良いと思う。本人にもどうすることも出来ない脳の作りなのだから。
 そして、一説によるとこのHSPは人類が始まった時からあって、その「敏感さ、鋭い洞察力で危険を予知できる」から、人類を存続させるために大きな役割を担っていた…なんて話もある。また共感性も高いので、コミュニティーの中では人を癒す役割もになっていた様だ。

 HSPに限らず、こうして人の数程あるそれぞれの特徴や性格は、それぞれが良い仕事をしながら混じっているから人類はこんな風に続いてるんじゃないかな。みんな同じになろう、普通が最高、って考え方はそういう意味では危険がいっぱい。それぞれの特徴を尊重し合いながら生きていくのがみんなにとって快適な気がするけどな。どうなのかな。

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