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子どもに自分の人生を被せない

 受験シーズン。私が絶対になりたくない大人の像がある。
それは、子どもに自分の夢を被せる親。先生。

 例えば「うちの生徒が○○高校(この辺りで一番偏差値が高いと言われる高校)に、○人受かりました」とか「うちの子の大学は...」とかを自慢気に語る様にはなりたくない、ということ。
でも、その行為自体を否定もしないし軽蔑もしない。
 親として、先生として、その気持ちは十分理解出来るから。そんな子を少しの間でも教えた先生として鼻が高い、そんな学校に行ける子を育てた親として誇らしい、そんな気持ちは人間誰しも持っている自己承認欲求だからだ。
 でも私はその誘惑に負けたくない。

 理由は幾つかある。私は私という一人の人間で、私の人生を歩んでいる。私の生徒もそれぞれ、我が子もそれぞれの人生を自分らしく自分のために歩んで欲しいというのが私の希望。そこに少しでも親や先生の期待を感じて欲しくない。
そして、私の人生を人の手柄で満たしたくないということ。私は自分自身を満足させることだけ考えたい。自分で自分を喜ばせたいのだ。それは好きな人との会話だったり、読みたい本、自分の学びや見聞を広げることでしか得られない。私を喜ばせるのは地位でも手柄でもない、というところだ。

 私は私らしく生きたいし、私の大切な子どもたちや生徒たちにも、自分らしく生きて欲しい。そしてお互いが満足な人生を生きて、その楽しさを語る相手でいたい。それぞれの喜びを分かち合って、一緒に喜びたい。

 そんな理想の中にいるから、私は人間が本来持っているであろう「手柄」や「地位」から得る他力本願な満足を自分から遠ざけようと意識しているのだ。上手に人と自分との境目をつけられたら、どんな状況でも幸せでいられる。このバウンダリーを大事にしたいと思っている。


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