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理不尽に慣れて溶け込め

 タイトルは現状。そして私はこの現状を憂いている。いや、絶望している。日本の教育は「理不尽」を徹底的に叩き込み、絶望した子どもたちが一人また一人と自分自身を失っていくのを「よしよし、それで良いのだ」と見てきた教育だ。

 なぜ私がそう断言出来るかと言うと、周りを見渡すとそういう大人が多いからだ。私が受けてきたあの教育を受けたのだから無理もない、と理解した上で。不満も疑問も心の中に押さえ込んで表向き笑っていれば、なんとなく和を保つことは出来る。皆が陰で不満を言っていたから、と会議で異論を唱えてみても、誰も続かずただ皆の白けた顔がこちらを向く。
「どうせ変わらないこと、意見するなんて時間の無駄」とその目が語る。
 
 学校の不満を言う保護者は多い。その意見はどれも学校にとって素晴らしい改善のアイデアになるであろう、フィードバックだ。でもそれを言うと自分も目立ち、子どもも目立つ。意見を言うことで自分が危険になる、と経験上感じているから、表では言わず陰で言う。表で意見を言う人が攻撃的に見えるかも知れないが、それは「意見を伝える方法を学んできていない」結果。
 教育だけでなく社会にも絶望した人たちは我が子が怒鳴られ、殴られていても悲しく笑いながら「社会はもっと厳しいからね」とか「今慣れておかないと」と言う。そもそも、そんな社会の中で生きることが嫌ではないのか。

 日本は「諦め」に埋め尽くされている。客観的に考えてみるとおかしくないか。そんな大人の「諦め」を日々見て、声をあげる人が周りから排除されていく様子に、「自分も言わずにいた方が無難」を学ぶのだ。
 自分の生活や幸せを守るために「動く」ことよりも、その為に「黙る」ことを選ぶのだ。

 さ、いよいよ危険が自分に迫ってきた。病気、受験制度、消費税、あらゆる危険はもう「諦め」ては前に進めない。今こそ、笑顔を作って全て受け入れるのではなく、違和感や意見、自分の思いを伝える時。
 これからの教育では、子どもたちに溢れる情報から何をどう選び、それを元にどう考え、表現していくのかを学ぶ機会を与えるべきだ。その為には現場だけでなく家庭も社会も変わるべき。子どもだから、と黙らせるのではなく、その声を聞き同じ目線で話し合うこと。

 同じ教育、同じ「諦め」を続けていたら危険なことは、もうみんな分かっているだろう。これ以上、理不尽に慣れさせてはいけない。溶け込ませてはいけないのだ。

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