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子どもの世界

 私がいわゆる「不登校」と呼ばれる子どもたちの声を聞き始めて随分経つ。子どもだけでなく、先生や保護者、そして自分自身と向き合い多くの声を集めて考えた。そこで出た答えは

 大人は子ども時代のことを忘れている。

 ということだ。「当たり前」「出来て当然」に囲まれた毎日、学校と家を行ったり来たりしながら絶望的な気持ちになったことを、私たちは忘れている。少なくとも私は忘れていた。
 「不登校」と呼ばれる子どもたちと向き合ってその思いがブワッと蘇ってきて不快感でいっぱいになった。私は中学生の時に「朝起きて学校に行き、夕方家に帰る」だけの毎日が永遠に続く様な気がして、何度も逃げ出したくなっていた。でもどこに逃げたら良いかわからない。そもそもそれ以外の世界があることを知らなかったから。

 大人になって教育に携わる様になって。ある本に「子どもは大人みたいに自由に鬱憤晴らしをする方法も場所もない」という言葉を見つけて納得した。確かに。違和感や理不尽に毎日ぶち当たって、心は定まらない。でもいつしかそれは日々をこなすことの中に埋もれて誤魔化されていく。
 大人になっても敢えて自分自身を日常に埋めたままの人もいるけれど、ある時自分を取り戻す人は、その時にとても苦しむことになる。私は子どもの居場所を考える中で、多くの心を病む大人の方々と出会った。自分を置き去りにすることは、果たして成長過程で必要なことなのか。

 この記事は多くの大人に読んで欲しいと思う。教育関係者や親に読んで欲しい。でも悲しい哉、自らも同じ様に自分を閉じ込めて生きてきた大人たちにこの解決は難しいというのが現時点。その証拠に、子どもたちを取り巻く環境は良くなるどころか悪化している。

 そんな中で、私が一つ自分に出来ることを見つけたとしたら、それは「サードプレイス」作り。学校でも家でもない場所を作って、出来るだけ多くの方に知ってもらう。フラッと立ち寄れる場所があるよ、と伝える活動を始めてから、私自身もまた多くの人たちと出会うことが出来た。
 大人のためのサードプレイス、子どものためのサードプレイス。世の中には学校や会社、家とは違う場所がたくさんあって、そこであなたはそのまま受け入れられる。ありのまま、羽根を休めにおいでよ。そんな場所をリアルで、オンラインで、作っている。パッと顔を上げると、そんな思いで場作りをしている人がたくさんいる。

 どうか、毎日が苦しい人がいたら。このことを伝えて欲しい。あなたのためのサードプレイスが、近くにあるかも知れないよ。

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●私の英語教室は子どもたちのサードプレイスになっているらしい

●私が携わっている #tamaree の活動


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