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「もしも」を本気で考えたら

 

「もし100万円あったらどうする?」

こんな会話が、子どもの頃とても好きだった。夢があるし、いろいろ思い巡らすのが楽しかった。兄弟でよくこんな「もしも話」をした。
 英語の先生になっても、こんなもしも話から、どんな時に本気で怒る?最後に爆笑したのはいつ?みたいなことを生徒の皆さんに尋ねては困った顔をされる。
習慣のない方にとっては自分の内面をこんな形で探検するなんて、面倒臭い作業でしかない。変なものが出てきたらどうしよう?何も出てこなかったらどうしよう?そんな風に思ってしまうから。
特に大人になったら、今まであちこちでジャッジされながら生きてきた蓄積で「これを言ったらこんな風に思われる」「これ言っても誰も興味を持ってくれないだろう」と、なかなか言葉が出てこないのを感じる。

 でも私は知ってる。ひとたびこれが習慣化すると、ワクワクする。自分の中にあるものが意外と楽しいことに気づく。今まで「悪いところ探し」をされ過ぎて、自分なんて面白くないって思い込んでいる人が、自分の面白さに気づく。私の仕事はそういう気付きを一緒に経験すること。

 あなたのことをもっと教えてください。

 それは自分にも向けられる。ある時夫との会話の中で、本気でお金が恐ろしいほど入ってきたらどうしようか?と考えていた。ディスカウントストアの休憩スペースで。

自分発見

 正直、アラフィフになっての「100万あったらどうする?」は、ローン返済や今度くる車検、子どもの学費の一部…みたいにほとんど夢を見ることが出来ない金額になっている。だからこその、「恐ろしいほど入ってきてしまったら」という話。

 無料でもらったクレープをかじりながら、私は「寄付するかな」と言った。夫はそう言うだろうと思った、と。
私は、クーポンでもらったクレープを喜んで頬張り100円のコーヒーを「これは私の奢りだから」とカッコつけて夫に渡す、この日常を愛している。
だから、自分の日常が崩れるほどの大金は不要なのだ。

 「それか…学校作る」

 この言葉はポロッと心の中でつぶやいた言葉。
子どもたちが「もっと知りたい」「やってみたい」「自分ってステキ」って思える学び場を作りたいかも。
 こういう瞬間に自分も知らなかった自分の本音って出るんだね。だから会話が好き。自分のしたいことがわからなくなったら、自分とゆっくり話をしてみるのも良いかも知れない。


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