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根拠の無い自信でどこまでも

「英語を話せる様になりたい」

 私の夢だった。幼児から英語を習っていた私は、英語が出来ると思い込んでいた。この「根拠の無い自信」をつけてくれた環境には今でも心から感謝している。実態を伴っていなくても、私はずっと英語が得意だと思い込んでいた。
 中学、高校と試験に出てくる膨大な量の単語や熟語の暗記などで「あれ?」と思うことはあっても、なぜか心の中にはずっと英語を話して生活している自分の姿があった。

 迷わず大好きな英語をもっと学ぼう、と大学は文学部英語学科。教員免許も取って卒業。そこでふと思う。

 あれ?私、英語話せない。

 不思議だった。ずっと英語への自信は揺るがず海外生活への憧れもあった。私は英語得意です、っていう顔をしてきた。英検2級も取った。でも…ずっと描いてきた「自由に英語でやりとりできる自分」はそこにいなかった。

 憧れていた海外生活へのチャレンジと、そこで英語を使わないと暮らせない状況に自分を追い込むのが、一石二鳥で得策に思えた。大学卒業後バイトでお金を貯めて海外へ飛んだ。

 一年間、知り合いも誰もいないニュージーランドのクライストチャーチで文字通りマイナスからのスタート。6月のニュージーランドは夜が早く来て寒い。ニュージーランド訛りの英語も全く理解できずに凍えながら泣く日々。新聞の不動産欄や売ります買います欄を見て毎日交渉。ノリノリで話してくれる相手の英語がわからずに涙声で"Sorry…"と言い、電話を切ってしまうことも度々。
 なんとかして家を借り、電気を通して生活を始める。週単位で家賃を払うので、毎週不動産屋に通っては半分以上理解不可能な英語での雑談をする。仕事をして旅をしてパーティーをして…一年を過ごし、いつの間にか生活に支障のない英語力を身につけていた。

 ニュージーランドに行くまでは、自分が英語を流暢に話している夢を見ては、朝起きてガッカリしていた。どうやったら話せる様になるのかどうしてもわからない、魔法みたいなものだと思っていた。
 でも一旦話せる様になると、その仕組みがわからなくなる。生まれつき日本語を話していた感じと似ている。あれから27年ずっと私の言葉は日本語と英語。もちろん英語も完璧ではないけれど、旅や生活をするには十分なツールと言える。

 最近また英語を話す日常が恋しくなって、オンライン英会話をしている。
今でも日本語どっぷりの日々の中で、ふと全てが夢だったかの様に思うことがある。「私って英語話せるんだっけ」と不安になることがあるけれど、オンラインで先生やクラスメイトの顔が見えるとすぐに英語で話を始められる。

 言語って不思議。「これがわかるようになった!」とか「良い点数が取れる様になった!」とわかりやすく自分の成長を感じることは難しいものの、自然な形で少しずつ自分のものになっている。
 点数とか目に見える結果ではなく、自分の中に浸透していくものが言葉。また生きるツールとして言語を考えてみると、そんなに人と比べたり上手でないといけない、と背負う必要もないのだと思う。

 そこに必要なのは「根拠の無い自信」だけ。
私は幼い頃にこれを植え付けてくれた環境に心から感謝してる。今英語熟練者から「お前はまだまだや」と言われても「これで満足なんです」と言い返す自信がある。
 根拠の無い自信は、私たちをどんどん高いところに連れて行ってくれる。

 私は今語学講師として、その根拠の無い自信を人に届ける仕事をしている。

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