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人生を愉快に切り拓く

偏差値

 家族で話していた時に、偏差値の話になった。偏差値が全ての基準、と刷り込まれた時代に育った夫と私。今となっては人生の経験値によってその思い込みも薄れているのはありがたいことなのだが。
 興味本位で自分の出身大学の偏差値を見てみよう、ということになった。私の大学…ビックリ!偏差値低い。確かに私は自分が受かる範囲の中でとにかく大好きだった「英語学科」を受けまくっただけだった。その結果受かった大学だったのだが、よく考えたら偏差値を気にしたことがなかった。行けば尊敬できる素敵な友達は出来たし、学びも楽しかった。頑張って教員免許を取得するために単位もかなりプラスして取った。
 高校時代まで本当に勉強が嫌いだったけれど、私は大学で学ぶ楽しさを見つけたと言っても過言ではない。だから今の今まで私は偏差値なんて気にしてもいなかったし、大学生活楽しかったな…という思い出ばかりだった。

 家族が慰めるように「でも高校は偏差値高いところやったよね」って言ってくれてたけど、ちょっと待て。そんな中途半端な偏差値の優劣言ったところで、逆に偏差値が低い大学に行って人生を面白く切り拓いてる自分、素敵じゃないか、そちらの方がワクワクしてきた。

So what?

 そういうと今極端にテレビなどが振れている「偏差値高い大学行っても仕方ない」みたいな思想の持ち主なのか、って思われそうだけど。そうでもない。以前も書いたけれど、自分の学びに合った場所を探す上で偏差値が高いところである必要がある人はたくさんいると思う。そういう人にたくさん出会ってきたけれど、彼らは本当に面白いし尊敬できる。

 でも今私が自分の経験を伝えたいのは「自分に合った場所が見つからない人」や「偏差値が高いところに入れたら幸せだと思い込んでいる親」だ。
「偏差値が高いところに入れたら幸せ」なのは、その偏差値の大学が合う人にとって、の話なのだ。なんだか言い方がアグレッシブになってきたけれど…間違って伝わらないように丁寧に説明すると、その時のその人のタイミングや学びに向かう姿勢は、大学選びに大きく影響する。
 例えば勉強が嫌いで何もしたくない。学びになんて興味ない。知りたいことなんてない。大学は遊びに行くところだ、と思っている人を親の意向で「とりあえずあそこを受けなさい」と無理矢理偏差値が高いところを受けさせたところで、それまでの準備にお金がたくさんかかる割に叶わないことも多い。そして仮に叶ってしまった場合でも、本人の中のモチベーションが低いためその大学で十分に楽しめない可能性も高い。周りのモチベーション高い人たちの中で劣等感を味わって自分を見失う人を多く見た。
 私が尊敬する高学歴な人は、「あの教授がいるから、あの大学に行きたい」「もっとこれを詳しく知りたい」「これを学べるのはあの大学しかない」みたいなことを言いながら、そこを目標に据えた人。総じてそんな人たちは塾に高額なお金も払わず、夜中まで勉強したりせず、親から勉強しろと言われたことがない、という人が多い。「したいことがあるから、そこに行きました」ということ。

 高低の差はあれど、私と同じモチベーション。
そういう人たちは大学や学科、学ぶ内容や学びを乞いたい人を見ているわけで、偏差値を見ているわけではないということ。塾や学校では「君の成績ではこの高校、大学が受けられるから受けなさい」と偏差値だけで言われることが多いけれど、プロが言うから全部正しい訳でもない。自分の道は自分の声を聞くのが一番良いに決まっている。

自己肯定感と経験値

 私は偏差値の低い大学で、充実した4年間を過ごした。あの中で私は忙しく、そしてゆっくりと、いろいろな角度で学びを楽しみながらその先の未来を描いた。私にとっては自分と向き合う学び深い時間だった。
卒業してしばらくして、海外に旅立った。

 海外や日本でいろいろな仕事をして、今はフリーで働いている。偏差値の低い大学の私の経験とスキル、私があちこちで得てきた経験から紡ぎ出したメソッドは、今多くの方に求められている。

 私は新卒で働いてはいない。けれど仕事がなかったことはない。フリーターの時期は長かった。社員になったこともある。技術職に飛び込んだことも。まさにローリングストーン。大多数の生き方とはちょっと違うかもしれないけれど、社会に出てみたらビジネスを立ち上げる人、自分らしく働いている人、幸せに生きている人の多くが学歴や偏差値を気にしていないことがよくわかる。
 実際、そういう方々とそれまでの自分の歴史の話をする時は大体学校(大学)以降からのストーリー。私はそんな人のストーリーを聴くのが大好きだ。高校や大学の偏差値の高さなんて話題にする人はいないし、仮にそれを語られても、その人自身の考え方、生き方は見えてこない。

 これから時代は変わっていく。偏差値が幸せの物差しだった時代は過ぎ去り、その人自身の経験や考え方がより大切になってくるだろう。
一つの物差しをみんなが取り合う時代から、それぞれの物差しを互いに大切にし合うカラフルな社会がやってくる。そう信じている。

 だから、私たちはアップデートが必要。古い価値観を若い人たちに押し付けることだけはしてはいけない。やめましょう、ね。
未知の世界は誰でも怖い。でも自分の知る世界だけで測るのは、もっと危険。これからのことは、これからの人たちのこと。私たち偏差値世代は、黙って彼らの旅を応援するしかないのだ。


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