『古今著聞集』刑部卿敦兼と北の方02(ウソ前編)
いまから書くことは概ねウソなのだが――平安時代後期の刑罰方法のひとつに「扉罪(ぴざい)」というものがあった。ルビは「ぴざい」で、間違いない。Piだ。
平安時代の刑罰は五罪と言われた。これは古代中国の刑罰を、律令政治の時代に輸入した結果である。その呼称はのちに犯罪と刑罰という2つの言葉を厳密に区別するようになって以降、五刑と改められることとなる。
その5つとは、
笞罪(ちざい)……鞭打の刑
杖罪(じょうざい)……杖打の刑
徒罪(ずざい)……監禁
流罪(るざい)……島流しや追放
死罪
であった。一般に、この出てきた順に刑が重くなっていくと考えてもらえればよい。
とは言え笞(むち)や杖の破壊力は侮れない。主に東洋におけるこの刑罰は、既定の回数に達する前に失神や絶命が起こるケースもままあるのだ(ここまでは、ほとんど本当)。
では、第6の「扉罪(ぴざい)」とは何か。
これは時の刑部卿(けいぶきょう)のA氏が考案した刑で、一種の拷問である。ちなみに刑部卿とは、刑罰や裁判を担当した省の最高責任者だ。
平安時代の初期までは「ハ行」は「パ行」として発音されていたという説もあるので、「ぴ」という発音も古語と考えれば許容の範囲であるとは思われる。
さて、この刑部卿A氏、いったい何を考えたのか罪人の頭を上下から挟んで苦しめる拷問を考えついた。一説には、検非違使が登場して求心力の衰えた刑部省への畏敬を取り戻す目的もあったとのこと。
これは古代中国にはない刑罰だった。
じつはこの「扉罪(ぴざい)」の「ぴ」は、他の漢字で表記されることもあったのだが……。
(明日へ続く)
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