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何に「おもしろい」と感じるのか、考える

 大学の一般教養におもしろい授業が多くて、理系だったにも関わらず、ひたすら「日本の近代文学」とか「現代社会の読み方」とか「多元社会の現状」とかを履修していた。

 以来ずっと、ぼくは文学研究が好きで、文化人類学・民俗学が好きなのだけれど、どうして好きなのか、何故おもしろいと思うのかということについて、最近ようやく考えが至った。

 最近とある場面で、ぼくには「知的興奮」が大事なんじゃない? と言ってくれた人がいて。すごく腑に落ちて、それから、どういうときに興奮するのか、と考えていたんです。(知的に。)

 で、一つ、最近すごく興奮したイベントがあって。

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 下北沢にダーウィンルームというお店があって、動物の剥製とか土偶とか、それに関連する本とかが買えて、コーヒーも飲める。博物館の最初の形、分類せず、系統立てず、不思議なものを詰め込んだ「驚異の部屋」みたいに、理系・文系の縛りに囚われず、「知りたい」と思わせるようなものを詰め込んだお店。知的好奇心をすごく刺激する場所。

 前から知っていたところで、下北沢に行った際には必ず入って、何も買わずに10分くらい。ペンギンの剥製とか、アンモナイトの化石とか、鉱物とか見て(元地質学専攻)、ほくほくして出てくる。擦り減った知的好奇心の癒し。

 で、最近行ったとき、店員さんに、チラシを渡されて。ダーウィンルームは、二階で「知」にまつわるイベントも定期的に行っていて、そこに宮台真司が来ると。あの、90年代援助交際について論じた、宮台真司の講演会。知識浅はかですみません。本は読んだことない。

 当日まで迷って、仕事がなんとなく一区切りついたので、完全フレックスタイム制を盾に11時半出社18時半退勤で行ってみることに。まだ夜風が涼しい7月の前半だった……。

 ダーウィンルームのイベント参加は初めてで、ツタに覆われた緑の店舗の脇の、細い階段を上がると、虫籠やら水槽やら黒板やらに囲まれたスペース。

 宮台さんは、「生活保護不正受給炎上」「不倫炎上」「モンスターペアレンツ」「クレイジークレーマー」なんかの問題を、学問的知見に基づいて分析していった。言いきってしまえば、断罪していった。

 講演を貫いていたのは、「法・制度・システムの外で、どう生き抜くかこそが、重要だ」という考え方で。どこをどう切り抜いても、ものすごくおもしろい講演だったのだけれど、ぼくの目線で一つ切り取ってみる。

 上で挙げた現代社会の問題。これは全て、法・制度・システムを、何も考えずに無条件に信じ込んだ上で、それに沿わないものを、何も考えずに否定している行為と言える。「不倫は悪い」と無条件に信じ込んで、批判する。

 こういう、無条件の前提の全肯定が生まれたのは、セム族的な世界だ、と。要するに、ユダヤ教的な、一神教の全能。セム族的な考え方では、「神に従いさえすれば、私たちは救われる」と考える。逆に「私たちが今救われていないのは、誰かが神に従っていないからだ」と。神の、全、肯定。

 このセム族的な哲学に真っ向から対立したのが、ギリシャ哲学。神に従っていれば救われるなど、あり得ない、と。この世界では、善人が早く死に、悪人が長生きする。遊んで暮らす人が楽しく、働き者の畑が洪水に見舞われる。神に這いつくばれば酷いことが起こらないなんて、嘘だ、と。

 この考え方を、「理由律の否定」といって。「神が~だから○○」「○○は~だからだ」という考え方の、否定。

 哲学の歴史は、この、「セム族的考え方」(=近代哲学)と、「ギリシャ哲学」(=現代哲学)の流れで語れる、と宮台さんは言っていて。で、上述の現代社会の問題は、セム族的な、神の全肯定の現代版、「法・システムの盲信的肯定」に根ざしている、と。

 でも、法・システムなんて、絶対ではない。例えば、3.11では、それが完全に破壊された。もしくは、人は、簡単に法・システムの外に放り出されることがある。『万引き家族』に描かれているように。

 そうなったときに、法の外に出たときに、生き抜ける力こそが、大事だ、と。生き抜くための、仲間とのシンクロ、こそが大事だ、と。

 これが、講演の骨旨の、一つのまとめ方かな、と思っている。ものすごくおもしろかった、上の考え方の傍証の一つとして、何故祭りができたか、というのがあって。祭りは、人間社会に法ができたとき、それに伴ってできた、と。祭りは、そのときだけ、「日常」を「非日常」に変える。無礼講。規律の反転。権力構造の反転。なぜ、こんなものを作ったのか、と。それは、法で守られた世界は、仮初の姿にすぎないものだ、ということを思い出すためだと。法のない、むき出しの世界を思い知るためだ、と。そこでは、どう生きていくのか。仲間と共に、むき出しの世界で、生き抜くことが重要だ、と。

 宮台さんは、現代の身近な問題を、学問的な知見を持って、分析した。この講演で、アカデミズムに、学問に、久々に酷く興奮した。

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 どうして、この講演にすごく興奮したのか、と考えて、それは、「関係していると全く思っていなかった二つのものの間に、実は関係があると知ったから」だと思った。多分これが、ぼくの性癖。

 身近な問題と、学問的な知見。この間に、ぼくは、関係を見出していなかったのだけれど、そこには、深い関係があった。それを知って、ぼくは、講演の帰りに下北沢でラーメンを食べに行ってしまうくらいには興奮した。

 ぼくは、全く関係ないと思っていた二つのものの間に、関係を見出す行為が、ものすごく好きなのだ。さらに言えば、ぼくが学問を好きなのは、それは「出来事」を分析することで、「知」との間に糸を引く行為だからだと思う。だからぼくは、小説を読解して象徴を見出して、物語とそれが象徴しているものの間に関係を見出すのが好きなんだと思う。

 構造主義が好きなのも、あるもの(神話とか)を、形のレベル、構造のレベルまで簡略化して、日本の神話とヨーロッパの神話、実は構造が同じ! と言って、関係を見出すのが、ものすごく好きだからなのだと思う。

 自分が好きなものを、おもしろいと思うことを、なぜ好きなのか、おもしろいと思うのか、掘り下げて考えると、好きなものを選びやすくなる、おもしろいものに出会いやすくなる。



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