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Number1026号 長谷部誠は海外へ挑戦する日本のサッカー選手のロールモデルである。

Number最新号の長谷部誠特集を読んだ。
その中で長谷部誠という選手が日本では過小評価すぎることに私は気付いた。

そこで、今回はNumber誌および自分の知識と過去の彼の情報をもとに長谷部誠像を再度見直してみた。

日本の皆さんが抱いている長谷部像とは違う部分にフォーカスしながら書いていきたいと思う。


キャプテン長谷部

長谷部といえば日本代表のキャプテンというイメージがいの一番に浮かんでくるだろう。

実際に日本代表のキャプテンとしてワールドカップに3度出場(2010年・2014年・2018年)。キャプテンとして出場した代表での試合数は81試合で、日本代表歴代1位である。

キャプテンシーというとカリスマ性があり、チームメイトから一目置かれ、チーム全員をまとめあげる力が必要となる。

しかし、実際の長谷部誠は後輩の面倒見が悪いと自分でも語っている。
そして、長谷部ほどチームメイトにイジられてきたキャプテンはこれまでいなかったのではないだろうか。

一時期の日本代表では真面目な振る舞いを見せた選手へのツッコミとして「長谷部か!」というのが流行っていた。

長友、本田、内田、岡崎と個性が強いメンバーを束ねるにはピッチ外ではそれぐらいゆるいキャプテンが最適である。

もう一つ紹介すると、現在のフランクフルトでも37歳チーム最年長プレーヤーでありチームのキャプテンでながらも長谷部は存分にイジられている。

ロッカールームのあだ名は「おじいちゃん」と呼ばれているらしい。
最初はドイツ語で「Opa」(おじいちゃん)だったが、誰が学んだのか日本語でしっかり「おじいちゃん」と呼ばれているらしい。

全世界共通して長谷部はイジりやすい。
それはどの選手が言うように、かなりの天然キャラであることに要因がある。

2006年のドイツW杯の時のキャプテン宮本恒靖にもそれぐらいの突っ込まれるようなキャラクターであれば、チーム内での分断はなかったのでは?と考えてしまう。

元チームメイトでボランチを組んでいた鈴木啓太は長谷部には鈍感力が備わっていると語っていた。

いろんな選手の不用意な態度や結果がでなかったときのマスコミからのバッシングなどキャプテンとして受け止めてしまう選手もいるだろうが、長谷部はそこら辺が鈍感なのだ。

どんな業種であれ、リーダーシップをとるためには鈍感力は必要な要素でありそうだ。

岡田武史、ザッケローニ、アギーレ、ハリルホジッチ、西野朗と歴代の日本代表監督が長谷部をキャプテンに指名してきた。

その理由は、彼はどの監督とも適切な距離感でコミュニケーションがとれ、どんな監督の戦術にも長谷部自身が理解して実行できるというサッカーIQの高さに要因である。

それをいち早く気付いたのが、岡ちゃんこと岡田武史監督だ。

初めてキャプテンになった2010年の南アフリカW杯を考察してみたい。

親善試合で結果が出なかった岡田監督はW杯直前にもかかわらず、チームの戦術をアンカーを導入し、MFであった本田圭佑を1トップにするという4-1-4-1という超守備的な戦術にシフトするという奇策にでた。

この戦術をチームに浸透させるためには従来のキャプテンである中澤祐二では実行できないと岡田監督は考えたのだ。

なぜならこの戦術では日本代表の10番で主力であった中村俊輔を外す必要があったからである。

横浜マリノスのチームメイトであり、2006年のドイツW杯からの盟友である中澤と中村には納得のいかない戦術変更であることは間違いない。

そこで岡田監督は大ナタをふるい、キャプテンを中澤から長谷部へと変更した。
そして、GKも楢崎から川島へと変更したのだ。

当時の長谷部は26歳で下から6番目の若さであった。

彼が戦術を理解し実行する姿をみて、チームは徐々にまとまっていった。
そして、年の近い長友や本田、岡崎からも意見が言いやすい環境となり、持ち前のコミュニケーション能力により年上の松井や大久保、駒野からも支持を得られた。

そして、長谷部は自分は単にキャプテンマークを巻いているだけの存在であり、今でもキャプテンは中澤さんであると自分は思っている。とメディアを通してパーフェクトな振る舞いしたことにより、チームを円滑にまとめ上げた。

長谷部キャプテンを中心とした守備戦術に急遽切り替えた日本代表は、グループリーグを突破するという結果も残せた。

長谷部はどの監督にも重宝される。

それは監督が要望するどんなポジションや戦術に対しても貪欲に理解しようとして、監督の意図をピッチ上でみごとに実行することができるからである。

彼はいろんな監督の下でプレーする中で、面白い練習や変わった戦術などを自分のノートに書き留めているという。

きっとそれぞれ出会った監督の良い点を盗み、将来において監督となった場合に活用しようと考えているに違いない。

私個人の意見だが、長谷部は性格的にもアーセナルのミケル・アルテタ監督と似ていると思う。
私はアルテタのように、一見正攻法であるように見えて少し奇策を加えるような戦術をやる監督になるような気がする。

そして、長谷部はジェコやマンジュキッチの若い時代を共にプレーしている。

長谷部いわく、彼らは今でこそ世界的なストライカーになったが、当時はまだ若く未熟な選手だったらしい。

ジェコがボールを持つたび、長谷場はいつも後ろでシュートを打つなと祈っていたほど、ジェコは下手くそだったらしい。

そんな選手が覚醒して一流プレーヤーになっていく過程をみてきたことは、指導者になった際には非常に良い経験になることだろう。

ストライカー不足は日本サッカーの積年の課題である。
長谷部がスカウティングをすることによって、日本のジェコやマンジュキッチ、ヨビッチのようなFWを見つけて、育てていってくれるんではないか、と期待してしまう。

おそらくドイツ語も流暢に話し、ドイツ文化に溶け込んでいる長谷部はドイツの地で指導者の道を歩み、ブンデスリーガの監督となるだろう。

そして、ゆくゆくは日本代表監督として凱旋帰国してくれる日を楽しみにしている。

長谷部のフィジカル能力

2007年から現在に至る2021年までブンデスリーガで活躍してこれた要素として、皆さんは彼のサッカーの思考力や技術力でやってこられたと思っている方が大半だろう。

もちろんそれもあるのだが、長谷部の能力はそれだけではない。

「kicker」という創刊100年をこえるスポーツ誌で18-19シーズン、3バックの真ん中のセンターバック部門において長谷部はブンデスリーガのベストイレブンに選ばれている。

屈強な身体のブンデスのFWを止めるためには、フィジカル的強さが不可欠だ。

長谷部のフィジカル要素で一番際立っているもの、それはスピードである。

長谷部の試合中のトップスピードは時速33.3kmでチームトップの速さである。
37歳の「おじいちゃん」と呼ばれるこの男は100mを10秒8で走れる脚力を持っている。

ちなみにブンデスでの最速王ははドルトムントのハーランドがカウンター発動時に時速36.04kmを計測した記録が一位である。

これは化け物の数字なのでさすがにグーの音も出ないが、若い世代が多いフランクフルトの選手のなかで長谷部が最速のスプリント能力をみせている事実には驚愕する。

その脚力に加えて、もっと重要な速さがある。
それは情報を処理し、適切な行動に移す思考スピードだ。

誰よりも素早く状況判断し、相手の攻撃を潰すことで存在感を放っているのが長谷部である。

そして、3バックのリベロとして「日本のカイザー(皇帝ベッケンバウアーの意味)」と呼ばれ、ベストイレブンに選ばれたのである。


浦和レッズ時代の長谷部

私がJリーグの浦和レッズ時代の長谷部を生で観た印象を語りたい。

今はボランチ、リベロといった守備的ポジションにおけるブンデスリーガのトッププレーヤーだが、私がJリーグで観た当時の長谷部は現在フロンターレの三笘薫選手のようなドリブラーの印象が強い。

当時のポジションはボランチやトップ下であり鈴木啓太というバランサーがいたおかげでガンガン前にドリブルでボールを運んでいた。

Jリーグ入団当初、浦和の監督であったハンス・オフトは長谷部に尋ねた。

「お前はパサーか?レシーバーか?」
長谷部は「パサーです。」と答えた。
そして、オフトはこう言った。
「お前はレシーバーだ。」

つまり、オフトはJリーグでは長谷部を攻撃的な選手とみなしていた。

実際に彼は「和製カカ」と呼ばれるようなダイナミックなドリブルを中央でしかけ、多くの得点に絡んでいる。

三笘のような繊細なボールタッチはないが、長谷部は相手の守備組織の空いているスペースを瞬時に察知して、高速でダイナミックなドリブルをしかけていく姿は爽快であった。

その真骨頂がでた映像がこちらだ。


長谷部は海外へ挑戦するJリーガーのロールモデル

最後に、長谷部が37歳になってもまだブンデスリーガ中心選手であり、15年間コンスタントにプレーし、元韓国代表の車範根のアジア人最多出場記録の309試合を更新することがどれだけ凄いことか、ドイツ人でしかわからないだろう。

正直、私も実感としてはわからない。
しかし、ギド•ブッフバルトが長谷部は「日本のマテウス」だと言ってくれた事については、その凄さを少しは感じられる。

当のマテウスは、
「現役時代の私の方がピッチの上では速かったと思うんだけどな〜(笑)。」
と言いながらも、40歳目前に現役引退するまでW杯通算25試合出場の世界記録をもっているレジェンドも37歳になった長谷部のパフォーマンスを褒めてくれている。

長い期間ブンデスリーガでプレーしてきた長谷部に対し、自分のチームのみならず相手チームの選手からも尊敬されている。

異国の地でキャプテンマークを巻くことは、並大抵のことではなく特別なことだ。

パフォーマンス、バランス感覚、落ち着き、信頼、、、。
主将になることは長年にわたってチームにどれだけ貴重な存在であるかを、しめさなければならない。

日本の企業であるDMMが買収したベルギーのシントロイデンには10人以上の日本人プレーヤーが所属しているが、そのような環境で海外に出た意味があるのであろうか?
といつも私は疑問を持ってしまう。

今のJリーガーたちは海外に出ることだけを目的にしてはいけない。

現地の言葉や文化を理解して、地元サポーターのみならず、その国のサッカー関係者にリスペクトされることが海外挑戦の最大の成功であると、長谷部の功績から感じてしまう。

以下は長谷部が地元でどれだけ愛されているかを良く表している、私のお気に入りの記事である。

最近の日課である散歩に出掛けて近所の石畳の道を歩いていると、電柱に誰かの写真が貼られているのを見つけました。目を凝らすと、そこにはアイントラハトのユニホームを纏った長谷部の姿が……。写真の上には手書きでドイツ語が綴られています。
 『Er ist der Adler』(彼こそがアドラー)
 “Adler”(アドラー)とはアイントラハト・フランクフルトのエンブレムにも刻まれているクラブの象徴、犬鷲(イヌワシ)のことです。
 内から発する闘志、情熱、信念は確かに伝播している。この街で暮らしていると、そんな『Makoto Hasebe』の存在を、より身近に感じられるのです。  (Number WEBより抜粋)

海外の国の文化に溶け込み、その国の人たちに愛されるサッカープレーヤーになることで日本と海外との架け橋となり、日本人サッカー選手を通して日本という国を世界中に認知させること。

だからこそ、海外でプレーする選手はプレーで結果をだすだけでなく、リスペクトされるような言動や人格をもたなけばならない。

それが日本のサッカーの未来を切りひらき、日本のW杯優勝への夢へと繋がっていくことになるのであろう。

その先駆者が長谷部誠というサッカー選手であることは間違いない。


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