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トラブルメーカーは未消化の「怒り」に振り回されている

世の中に好戦的な人は少なからずいます。

例えば、
スーパーやコンビニで店員さんに大声で文句を言ったり、

タクシーの運転手さんや飲食店のウエイターさんに食ってかかったり、

日常の些細なことで、怒りの感情をぶちまけてしまう人は好戦的と言えるでしょう。

いわゆるトラブルメーカーな訳です。

そういった傾向の強い人は、職場でも学校でも煙たがられます。

ニュースで取り上げられる様な事件の容疑者が、「むしゃくしゃして、やった」と供述している、と報じられることがあります。

確かに、この容疑者も、スーパーで怒鳴る人も、タクシーで絡む人も、

皆、むしゃくしゃしているのは間違い無いでしょう。

日常生活に於いて、ムッとすることは誰にでも有ると思います。

私は海に近い街に住んでいて、暇を見つけては海岸沿いの道をドライブするのが楽しみなのですが、

煽り運転をするクルマに遭遇することが間々あります。

気分の良い時間を邪魔されて、危険な目に合わされて、本当に腹が立つことがあります。

しかし、怒りに呑まれて報復したり、窓を開けて怒鳴ったりすることは、ありません。

むしゃくしゃして、やってしまう人達は、怒りに呑まれてしまい、見境がつかなくなってしまう訳です。

私に限ったことでは無く、大半の人は瞬間的にムッとした後、
「いかん、いかん」とか、
「ま、いいか」とか、
自分なりに自分を冷静にさせる思考を駆使して、波立った心を静まらせるのだと思います。

大多数の人は、家庭や職場での立場や、何より自分自身を守ることを最優先に考えるのだと思います。


日常生活の中でムッとすることは誰しも、わりと頻繁に有ると思うのです。

その日、体調が優れないのに持ってきて、仕事上のトラブルが重なったりしたら、

心穏やかにはいられないでしょう。

むしゃくしゃする訳です。

しかし、大半の人は自分で、自分の機嫌を取ります。

ところがそこで、怒りや苛立ちに呑まれてしまう人がいます。

しかも、その人は、今回だけ特別にむしゃくしゃしていた、ということでは無く、

いつも苛立ち、いつも怒っている場合が多い様に思います。

どうして怒りに呑まれてしまうのでしょうか。

仕事上のトラブルも、体調も、確かに悪条件とは言えますが、

きっかけでしかありません。

原因は他に有ると考えます。

原因の中でも、大きなものは二つ有ると思います。

一つ目は、その人が抱える「無価値感」、
二つ目は、怒りの感情の許容量、
の問題です。

一つ目の、その人が抱える「無価値感」は、
その人は「自分には価値が無い」という強い思い込みを心の中に持っており、

価値が無い自分に、どうしても興味が薄いのです。
大多数の人は、何か出来事が起きて、怒りが湧いたとしても、
今、怒りをぶちまけることと、
その後に困ったことになることを、
天秤にかけます。

怒りは極めて強い感情です。
抑え込むには、それなりの心理的負担がかかります。
自分の身の安全、その後の社会的立場、家族のことなど考えなくて良ければ、
この場で怒りをぶちまけた方が、心は楽なのです。

とはいえ、
身の安全も、会社での立場も、家族を持つ責任も、それは大切なものばかりです。

天秤にかけて、重さを測ると、ここはグッと堪らえよう、と思います。

ところが、
「自分には価値が無い」と思い込んでいると、
自分の安全も、自分の社会的立場も、自分の家族も、
「自分の」と頭に付くものの価値は軒並み低いのです。

価値の無い自分への興味は薄いので、言わば薄っすらとした自暴自棄の状態が通常の構えです。
捨て鉢な状態がデフォルトなのです。

だから、
湧き上がった怒りに呑まれます。


二つ目の、怒りの感情の許容量ですが、
怒りに呑まれる人は、
いつも苛立ち、いつも怒っている、と述べました。

つまり、
その人の心の中に有る、怒りの備蓄タンクは、既に満杯状態で、
ちょっとしたきっかけが有れば、怒りは勢いよく溢れ出すばかりの状態なのです。

トラブルで、行き違いで、相手の言葉尻で、怒りは溢れ出します。


では、どうしてその人は、
「無価値感」を抱え、
怒りのタンクは満杯なのでしょうか。

余程のレアケースを除いては、原因は幼少期にまで遡ります。

幼少期の親との関係性によって、その人は「無価値感」を抱え、怒りを貯め込んだのです。

本来、幼少期は親から肯定的に受け入れられて「自分には価値が有る」という意識を育む時期です。

はしゃぎたい時に親の顔色を伺うこと無く、泣きたい時に親の感情を優先すること無く、自分の感情を表すことが出来たなら、

その子は、「自分の感情を出していいんだ」と思えます。

ところが、
はしゃぎたい時に、親の顔色を伺って、親が大人しくすることを望んでいると察するや、自分の感情を捨てて、親が望む大人しい子になってみせる。

泣きたい時も、親が笑うことを望めば、無条件で親の望む様に笑ってみせる。

そんな幼少期を過ごした人は、自分の素直な感情を悪いものとして、心の奥に隠します。

親が望む感情が良いもので、自分の素直な感情は悪いもの、なのですから、

自分に価値を見出すことは出来ません。

自分は「無価値」だという感じ方が定着します。

心の奥底に有る怒りの備蓄タンクには、自分の素直な感情を全て諦めなければならない怒りが、毎日毎日貯め込まれます。


かくして、
自分の人生に関心が薄く、
いつも苛立ち、いつも怒っている、
「怒りに呑まれる人」は出来上がります。

その人が苛立つのは、

今日の体調が問題ではありません。

今の出来事が、そうさせている、のでは無いのです。

体調も出来事もきっかけに過ぎず、

根っこは幼少期に繋がっていることが殆どです。


自分と向き合い、根っこに辿り着いたなら、

決して「無価値」では無い自分を思い出します。

そのとき、

怒りは溶けて流れます。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム






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