「尊重」を知る人
親になったとき、子供の健やかな心を育む為に最も大切なこと、
他人と接するとき、良好な人間関係を構築する為に心に留めていなくてはならないこと、
それは、尊重する、
ということだと思っています。
尊重する、ということがどういうことなのか、が実感としてわかっていない人は、とても多いのです。
相手を褒めそやすことだと思う人、
自分が我慢して、相手に迎合することだと思っている人、
沢山います。
おそらく、心の中の「確かな【自分】という意識」が充分に育まれていない状態の人が多いのだと思っています。
なぜなら心に【自分】があれば、
心にも無いおべんちゃらを使うことは、相手を愚弄することになると分かります。
なぜなら心に【自分】があれば、
相手に迎合して受け入れられることが、自分を苦しくすることを知っています。
なにも「我を通す」ことを推奨している訳ではありません。
心に【自分】があった上で、良好な人間関係の為の「さじ加減」として、
自分を尊重しながら、譲ったり、合わせたり、我慢したりすることは必要だと思います。
あくまでも、心の中の【自分】を尊重出来る範囲の中で、
人間関係を円滑なものにする為の「さじ加減」です。
心の中に【自分】がある人は、殊更に考えなくとも、
自分が自分を、或いは、他人が自分を、尊重しているか、雑に扱っているかが分かります。
自分を尊重する、ということは、
自分の尊厳を守る、ということです。
価値有る自分の価値を認める、ということになります。
自分を尊重する人は、他人を尊重することが大切なことを知っています。
なぜなら、尊重することの大切さ、を自身の事として深く分かっているので、
他人の尊厳を傷つけてはならない、ということも自ずと分かります。
勿論、人間関係には行き違いはつきものですから、
自分や他人を尊重することを知っているから、
なんの波風も無い状態で人生を歩めるか、というと、そうではありませんが、
生きる基本の構えとして、「尊重」を知る人は、
安定感があります。
人生という長丁場を考えるとき、「尊重」を知るか否かは、幸せへ直結する重要事項だと思うのです。
先に述べた様に、
「尊重」を知る人は、心に「確かな【自分】という意識」を持つ人です。
過剰に攻撃的になったり、無視を決め込んだりする人は、
【自分】が充分に育まれていない可能性が高いと思われます。
人間関係においての距離感は【自分】が充分に育ってはじめて、測ることが出来ます。
【自分】があれば、過剰に攻撃的になる必要は無く、
適切な距離を置くことに先ず努めます。
距離を置いて尚、衝突しそうなら、距離をもう少し大きく取ります。
【自分】がある人は、「尊重」を知る人です。
価値有る自分、の価値を知る人です。
だから、相手を打ち負かして溜飲を下げる必要も、
相手に優越して自分の価値を確かめる必要も無く、
よって人間関係の距離を適正に保つことに注力します。
お互いがお互いを尊重しない、機能不全家庭が大きくなった様な人の集まりが有ります。
ブラック企業やカルト宗教なども、それに当たる場合が少なくない様に思います。
なんだかおかしいと思いながら、生活があるから、とブラック企業を辞めることが出来ない。
かつて親を信じ込んだ様に、教祖を盲信する。
こういったことも、
自分を尊重しているか、ということが大きく関わっています。
自分を尊重出来ていないから、理不尽を許します。
自分を尊重出来ていないから、盲信してしまいます。
生活があるから、といって、理不尽な仕打ちを受け入れ続けたら、自分の心を守ることは出来ません。
心は壊れてしまいます。
私達は皆、幸せになりたいと願う筈です。
幸せになるには、何を置いても心を守らなくてはなりません。
その、心を守る基本の構えが、
自分を尊重する、ということです。
なんだか生きづらい人、
かつて虐待を受けたと気づいた人、
今、虐待してしまっていると気づいた人、
どうか、自分を尊重して下さい。
尊重する、ということが実感として分からなければ、
必死になって、本気になって、
探って欲しく思います。
本気になれば、
必ず探り当てることが出来ます。
探り当てたとき、
幸せは傍らに在るのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム
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